抑揚のある語り

朝日新聞のBeに、東京子ども図書館のおはなしのじかんの事が写真入りで出ていました。今はコロナで休みですが、写真などは特別に撮影されたようです。
その記事の一部に、語り手の抑揚のある声に引き込まれる、という箇所があり、ちょっと驚きました。

私たちが昔「ストーリーテリング」として習い、私は他の先輩の語りを聞いて「なんだかとても淡々としてる」と思いました。今も図書館関係者の語りはそうだと思います。陰口で「優等生の語り」「いい子ぶってる」などと言われているのに、当の語る人たちの耳には入らないできました。なぜかというと「わかる人だけ来てくれればいい」と発表会は内輪だけのPRでされていたからです。
どうして優等生だと陰口をたたかれたか、ずっと考え続けてきました。それは、先生の言葉に「おはなしをそっと置いてくる」というのがあり、いかにも「置いておくからあなたが近づいて聞いてね」的な、控えめな、悪く言うと熱意のない語りを指示するものだったからだと私は思うのです。で、この記事を読んで、「あれから変わったのかな」などと思いました。

ちょうど語り手たちの会の機関誌『語りの世界73』を読んで、これに関係するような箇所がありました。小阪眞理子さんの文章です。私たちは外の世界に対して殻を持っていて自分を守っているが、語る時にはそれを少し破って自分の一部を差し出している、のだそうです。それで聞き手は引き込まれる。子どもの語りは皮がはじけていて、精一杯話を差し出そうとしているので、彼ら自身を感じられて、楽しい、とのことです。
つまり、「優等生の語り」は自分を壊さずあくまで物語を置いてくることにのみ集中しているので、つまらない感じがするのです。どんな習い方をしても、自分の殻を壊して語れる人はいますので、きっと新聞記事の人は殻を破る人なのでしょう。
絵本BOOKENDの松岡享子追悼文のなかで、松岡氏が「子どもが変わってきて、どこか上の空だ」などとあるのは、松岡氏の語りに殻が破れていない様子があったのではないかと思いました。松岡氏が大好きな聞き手であれば、一生懸命自分からすり寄っていくけれど、そうでない普通の子どもは自分からは寄っていかないと思うのです。
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