星になったあの方へ

 新潟県の朗読界の重鎮でいらしたTさん。先だって、旅立たれました。
若い頃はNHKの放送劇団にいらしたということで、朗読を聞いたときは「ほんとにプロなんだな」と感じました。
 新潟の朗読の世界も、師匠とお弟子さんの関係があるのですね。図書館の読み聞かせも、最初は あるお弟子さんからの要請で、朗読の方々がやられたのだそうですが「ぜんぜん人が来ないわ」と、手を引かれたということを、参加した当の本人から聞きました。
 その後、ボランティアを育成してやるようになったということです。相手に合わせて、自分の意識を調整して、本を選んだりすることもすごく好きな人でないと、なかなか続けられません。そういったことも説明が必要でしょう。
朗読の方々のピンチヒッターのようだったのでしょうか。だから、そのお弟子さんにとっては、まだボランティアは本の無償の兵隊さんのような感覚だったのでしょう。兵隊さんは反論しないものだと、なんとなく、思っていらした様子がある。

 私が論文を書き、奥様が会員さんだったので、Tさんも読まれたのでしょう。畳の部屋の集まりのときに、私に近づいてきて両手をついて何事かつぶやきながらあやまっておられた。「どうしたんですか?」と聞いても、ひたすら頭を下げていらした。80歳とかそれ以上の方に、そうされて、こっちもオロオロしました。
 
 あれこれ本を読んでいるうちに、放送劇団のプロだったTさんの戦後の立場とかが分かるようになりました。「やっと本当の先生が出てきた」とご夫婦で喜んでおられた由。「先生っていうのやめてもらえますか」と何度か言ったのだけれど。

 5月のその日は、病院の別のお部屋でTさんが『明和義人ものがたり』の紙芝居を演じてくださいました。若い頃、ラジオでこの話を読んだそうです。だから、どうしてもやりたいと、願いを口にしておられたのです。会員さんやお弟子さんが見守ることができました。
 そして、朗読型できちんと文字の通り読むのでなく、語尾を語りかけるように変えて読まれました。 奥様の『少年と子だぬき』も、歌が聴けてよかったですね。
Tさんの胸の中に、どんな思いがあったのか。
 最後(帰るとき)、病床で、こんな私で、という感じでありましたが、手を握ることができました。無かったことになった紙芝居という文化、それを気にし続けた人たち。合掌。

 そう、Tさんくらいのお年の別のあの方は、戦後、どこで紙芝居を見ていらしたのか。生き延びるために、どんな苦労をしてこられたのか。Tさんとその方が二人並んだ懇親会の、二人の様子を思い出します。Tさんはじっと何かを我慢するように目を閉じて体を震わせていらした。私はその時、その方の不思議なイントネーションが気になってしかたなかった。今、周囲の方は皆知っています。戦争など、なければ良かったのだ。
 

 
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