「刷り込み」について

学びはじめに「こうですよ」と言われるとそういうもんかと思う。繰り返し繰り返し同じことを刷り込まれると、そこから出られなくなってしまう。同期会のようにグループを作り、お互いに機関紙などで監視しながら「こうですよ」から出られないようにする。同期の桜か隣組。同期の桜の歌詞を思い出して欲しいものです。

 こんな方法はどうでしょう。
学び始めは「最初はこうですよ」。次に「ああもあります」「こんなことも」。
みんな意見交換して『ああも』『こんなことも』知りながら進むという方向です。

 新潟県の紙芝居といえば迫力満点の超大型紙芝居が有名です。紙芝居というのはああいうものだと思う人も多く、それが刷り込みになってなかなか前に進めませんでした。トークで楽しむもの、声色を楽しむもの、という認識もあった。
  
 絵本の読み聞かせも、なにやら離れたところで皆が一緒に見る、格調高いものだという刷り込みがあります。語って聞かせる「おはなし」を、絵本を使ってやってみれば、読書習慣の動機付けにもなる。だから、絵本を使うおはなし会としての絵本の読み聞かせがはじまった。絵本に理屈付けできる人が権威になっていった。
 
 「おはなし」も、図書館でお部屋を閉め切って行うもの、デスマス型の書き言葉を声で立ち上げてもらうものを聞くのだ、という刷り込みもあります。学び始めに「図書館ではそうやってやるんだって」と、そう説明されるんだもの、そうかな、と思う。

語り手個人の思想を吹き込まれちゃったんじゃ危なくってしょうがない、という危惧があるのですね。とにかく、メジャーな印刷物をそのまま読んでもらったほうが安全であるということです。

 地域の伝説や地名の由来を語り文にして語ってみようと準備をはじめていましたが、それ以前の「聞き手選書」の提示で「ブー」 となった学校もありました。交流するって難しいのですね。でも、プログラムを作って持っていくこと自体が「こういうのがいい本」と「語り手個人の思想を吹き込む」ことになるんじゃないかと思うんだけど。どうでしょうか。

 今日は坂口安吾の誕生日だそうだ。ふーん。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
«  実演記録2...  紙芝居を電子化 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。