長男のFacebookお知り合いかものメールが入ったのであまり関心がないけど覗いてみた。大したことない。
家族だったりで自分の知ってる事ばかり。そりゃそうだわ。一緒に住んでるんだもの。
普段見慣れている私達よりたまに写真アップすると
見慣れていない友人から気づきメッセージがさりげなく入っている。
なるほど、そうだわと思ってしまう。
そこから次男の元嫁のFacebook登録に入ってみた。
「ううん、なるほど、世界が違う。息子の経済力では破産だ」
いろいろ、派手、メッセージをちょこっと読んでみた。
時代が違うな~。この資金元、使い方、って・・・・
私では出来ない発想。生き方なのか、目的なのかこの違い。
もし自分にしたいことをして生きてみなさいと言われたらどう生きる?
私の生き方って自分の与えられた環境、つまり、夫という檻の中での生き方ではないのか?
では、資金があったとしたら、女性を武器にする?
美貌はなくともセンスは武器。表現はばっちり。うまい。海外ってそんなにいいのかな。
素晴らしいインテリアの部屋。これもいいな。虚像。
きれいだけど、好みではない。でも今風。憧れのマンション。
高いだろう、資金元稼ぎとみあってるのかと思ってしまう。
もしも私が若かったら、しかも独身なら、未婚のママの生き方。
みんなこれらは仕事道具なんだとわかった。
また自分に戻ってしまった。私はこれでいいのかってね。
それから、自分のFacebookに戻った。既に誰かに乗っ取られているよ。
でも素敵な写真の博物館になってる。しばし、人の作品に陶酔。
私は美に弱いみたい。うっとり。シャッターチャンスが素晴らしい。
場所もいい。美しいところに行ってみたくなる。
資金貯めたころ、きっと他に入用が出て、消える。
それはいつも息子たち。でも誰も感謝してくれない。
こんな人生送ってる自分は何を期待してまでそうするの?
多分、何も期待してない。そうしたいからするのでもない。
そうせざるを得ないからするだけ。
スウェデンボルグのあの世の世界の本読みたくなる。
自分だけのしあわせなんて本当にしあわせと思えない。
自分だけが美味しいもの食べ、きれいなマンションに住んで、楽しく過ごせたとしても
周りの人間が明日食べるお金もないとか、一人で苦しんでるとしたら
何かしてしまう私。それはお金ではないときもある。見守りかもしれない。
その時は一人楽しみに旅行はいけない私。
そういえば、母が脳梗塞で不自由の身になった時、夫だけ日曜日
美味しい外食に出かけたっけ。母は歯がなくって外食行けなかったから。
姉たちはよく旅行に行っているからねといったなあ。
その時はどうぞって別にうらやましくはなかったけど、今考えると
他に行きたいところがあったから旅行しなくてよかったんだ。
ある先生の講座だけは行きたかった。
それを母を見るために行くなと言われたことがあった。
私は涙が出て泣きながら訴えた。
「このままずっとどこも行かないで母を見てろっていうのか」と。
何だかその時は永遠に続くような気がして。
夫は黙って留守番してくれた。たった一回だけだったけど。
それが母の相続の時、兄弟はみんな平等の権利があるからね。で片付けられた。
あんたは家賃はらわんで母と同居出来るんだからそれくらい我慢しなさいよと片付けられたのだ。
そういえば、電気ガス水道の光熱費は母の懐払いだから。
その点は助かったが・・・
だから、でも、たった一つだけの私の望みだったのが先生の講義を受けたかった。
それ以外、どこも行きたいとは思わなかったし、おいしいもの食べたいとも思わなかった。
その間、10年かかったけど。
多分、私しか出来なかったことは確か。今のように介護制度はなかったから。
この生き方しかなかったのか。
何度離婚しょうと思ったか。
でも、一人で生きていくには残していくものが多すぎた。
すべて断ち切ってまでして自分は幸せだろうかと。
では、今はどうか、それはまたの機会にb
家族だったりで自分の知ってる事ばかり。そりゃそうだわ。一緒に住んでるんだもの。
普段見慣れている私達よりたまに写真アップすると
見慣れていない友人から気づきメッセージがさりげなく入っている。
なるほど、そうだわと思ってしまう。
そこから次男の元嫁のFacebook登録に入ってみた。
「ううん、なるほど、世界が違う。息子の経済力では破産だ」
いろいろ、派手、メッセージをちょこっと読んでみた。
時代が違うな~。この資金元、使い方、って・・・・
私では出来ない発想。生き方なのか、目的なのかこの違い。
もし自分にしたいことをして生きてみなさいと言われたらどう生きる?
私の生き方って自分の与えられた環境、つまり、夫という檻の中での生き方ではないのか?
では、資金があったとしたら、女性を武器にする?
美貌はなくともセンスは武器。表現はばっちり。うまい。海外ってそんなにいいのかな。
素晴らしいインテリアの部屋。これもいいな。虚像。
きれいだけど、好みではない。でも今風。憧れのマンション。
高いだろう、資金元稼ぎとみあってるのかと思ってしまう。
もしも私が若かったら、しかも独身なら、未婚のママの生き方。
みんなこれらは仕事道具なんだとわかった。
また自分に戻ってしまった。私はこれでいいのかってね。
それから、自分のFacebookに戻った。既に誰かに乗っ取られているよ。
でも素敵な写真の博物館になってる。しばし、人の作品に陶酔。
私は美に弱いみたい。うっとり。シャッターチャンスが素晴らしい。
場所もいい。美しいところに行ってみたくなる。
資金貯めたころ、きっと他に入用が出て、消える。
それはいつも息子たち。でも誰も感謝してくれない。
こんな人生送ってる自分は何を期待してまでそうするの?
多分、何も期待してない。そうしたいからするのでもない。
そうせざるを得ないからするだけ。
スウェデンボルグのあの世の世界の本読みたくなる。
自分だけのしあわせなんて本当にしあわせと思えない。
自分だけが美味しいもの食べ、きれいなマンションに住んで、楽しく過ごせたとしても
周りの人間が明日食べるお金もないとか、一人で苦しんでるとしたら
何かしてしまう私。それはお金ではないときもある。見守りかもしれない。
その時は一人楽しみに旅行はいけない私。
そういえば、母が脳梗塞で不自由の身になった時、夫だけ日曜日
美味しい外食に出かけたっけ。母は歯がなくって外食行けなかったから。
姉たちはよく旅行に行っているからねといったなあ。
その時はどうぞって別にうらやましくはなかったけど、今考えると
他に行きたいところがあったから旅行しなくてよかったんだ。
ある先生の講座だけは行きたかった。
それを母を見るために行くなと言われたことがあった。
私は涙が出て泣きながら訴えた。
「このままずっとどこも行かないで母を見てろっていうのか」と。
何だかその時は永遠に続くような気がして。
夫は黙って留守番してくれた。たった一回だけだったけど。
それが母の相続の時、兄弟はみんな平等の権利があるからね。で片付けられた。
あんたは家賃はらわんで母と同居出来るんだからそれくらい我慢しなさいよと片付けられたのだ。
そういえば、電気ガス水道の光熱費は母の懐払いだから。
その点は助かったが・・・
だから、でも、たった一つだけの私の望みだったのが先生の講義を受けたかった。
それ以外、どこも行きたいとは思わなかったし、おいしいもの食べたいとも思わなかった。
その間、10年かかったけど。
多分、私しか出来なかったことは確か。今のように介護制度はなかったから。
この生き方しかなかったのか。
何度離婚しょうと思ったか。
でも、一人で生きていくには残していくものが多すぎた。
すべて断ち切ってまでして自分は幸せだろうかと。
では、今はどうか、それはまたの機会にb