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神奈川絵美の「えみごのみ」

伝統か、革新か -田中一村展-

(前回の続き)
秋を意識した紫根染めの着物で


お出かけした上野もまた、
あっぱれ!と叫びたくなるほどの秋晴れ。



銀杏があおぞらに映えて、輝くよう。

さて、そんな気持ちの良い公園散策の後
入った都美術館は

すごい人!
事前にオンラインチケットを買いましたが
それでも入場までに30分かかりました。

そんな大好評の田中一村展、生涯を通覧しての展覧会は
初だそう。

入ってすぐの展示室に、12,3歳~20歳くらいまでの
作品がずらりと並び、神童、天才ぶりをまざまざと見せつけられました。
構図のとり方が、子どもとは思えない!

確か30代のころ千葉に移り住み、
山水画にかなり力を入れていたようですが
私はやっぱり花鳥画の方に「らしさ」を感じます。


50代以降、奄美に定住してからは
島の深い緑やオレンジ、黄色の花、果実の描写が印象的ですが
私はもっと若いころの、秋をテーマにした色遣いの作品が
とても好き。


東京芸大を2カ月で退学してしまったのは「家事都合」と
記録が残っているそうですが
戦前のアカデミズムが牛耳っていたであろう当時の画壇には
なじめなかったのではないかなあと勝手に思ったり。

それは、西欧でアンリ・ルソーがどこにもカテゴライズされない画風で
評価されるまで年月を要したのと同じように。

(ただ、確かにぱっと見、ルソーと田中一村の"雰囲気”は似ていますが
描写力はぜんぜん、後者の方が上だと私は思っています。)


晩年の、水の描写も繊細で
それが手前の樹木や花、果実の生命力の強さをなお
引き立てているよう。

奄美では染色工の仕事もしていたという田中一村。
もしかしたら彼が染めた大島紬が今もどこかに
あるのかも知れません。
(絵には名前が残るのに…)

アカデミックでもなく、かといって
戦前戦中のプロレタリアアートでも、ヨーロッパやアメリカの
影響を受けたモダンアートでもない、
まさに孤高の画家。
奄美の琳派、とのキャッチがつけられていましたが
まあ、琳派とは私は思いませんが琳派のような独自性を誇る
田中一村そのものが一つのジャンル、のような気がします。

コメント一覧

kanagawa_emi
>香子 さんへ
こんにちは! こういうのを神童というんだ!と、最初の展示室で私、いたく感動しました。
変に西欧の伝統的な技法を大学で学ばなかった分、独自性が発揮できたのかなあ、とも。

草紫堂さん、私も行ってみたいですが、なかなか…。
行かれたらぜひ、お話し聞かせてくださいね♪
香子
写実力というか写生力というか、子供時代から抜きん出てましたね。
まるで大人でも逃げ出すほどの才能でした。
なので中央画壇から評価されないのはどうしてなんだ!と
ワタシでも思いますもの・・・
生きているうちに評価されて欲しかったですよね。

前回の記事も拝読。
いつかは草紫堂さんのお店に行ってみたいですね〜。
盛岡のほど近い市に住んでる従姉妹に案内を頼んでます。
来年あたり行けるかな、買えないですけどね〜 (^-^;;;
kanagawa_emi
>まるたけ さんへ
こんにちは! ルソー人気ですよね。
田中一村は自分の才能や力を信じ、納得いく絵を
追求し続けた画家、という印象です。
おっしゃる通り誇り高き、ですね。
アダン、私は見たことがなく…見たのに忘れちゃったのかな。
豊穣のシンボルのような色かたちですね。
まるたけ
アンリ・ルソー、山田五郎さんのユーチューブで鉄板ネタですよね。最初見た時はなにこれ?子供が描いた?どうして足が地面についていない?
が私の正直な感想。受け入れられるまでに長い年月を要したのね。
一村、「孤高の画家」確かにその表現がぴったりくる画家さんですよね。
わたしはそこに「誇り高き孤高の画家」と付け加えたいです。
アダンの絵を見た時は、沖縄でこの目でみたアダンを思い出し、そうそうこれなのよ!と共感しました。
これをきっかけに彼の絵がもっと世界中に広がってくれないかしらとひそかに願っています。
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