東日本大震災から2年 置き去りのランドセル 福島・熊町小学校
2013年3月10日(日)11:40
(産経新聞)
東京電力福島第1原発事故で、大半が「帰還困難区域」となっている福島県大熊町。同区域内にある町立熊町小学校の教室には、東日本大震災から2年近くたった今も、子供たちのランドセルが残ったままになっている。
机の引き出しも飛び出したまま。地震を受けて児童らがあわてて机の下にもぐったあと、避難のために飛び出していった跡が生々しく残っている。
学校側によると地震発生当時、約330人の全校児童のうち、1、2年生は帰りのバスを待っていたところ。3年生らは授業が終わり、帰り支度をしている最中だった。机にもぐって揺れをやり過ごした後、上履きのまま校庭に避難し、保護者の迎えなどを待って帰った。
まもなく、原発事故が発生。子供たちは荷物を残したまま、校舎に戻ることはできなかった。
教職員らが震災後、数回立ち入って備品などを持ち出したが、「児童が直接触るものに関しては、安全性(放射線量)の見地から持ち出していない」という。
2013年3月10日(日)11:40
(産経新聞)
東京電力福島第1原発事故で、大半が「帰還困難区域」となっている福島県大熊町。同区域内にある町立熊町小学校の教室には、東日本大震災から2年近くたった今も、子供たちのランドセルが残ったままになっている。
机の引き出しも飛び出したまま。地震を受けて児童らがあわてて机の下にもぐったあと、避難のために飛び出していった跡が生々しく残っている。
学校側によると地震発生当時、約330人の全校児童のうち、1、2年生は帰りのバスを待っていたところ。3年生らは授業が終わり、帰り支度をしている最中だった。机にもぐって揺れをやり過ごした後、上履きのまま校庭に避難し、保護者の迎えなどを待って帰った。
まもなく、原発事故が発生。子供たちは荷物を残したまま、校舎に戻ることはできなかった。
教職員らが震災後、数回立ち入って備品などを持ち出したが、「児童が直接触るものに関しては、安全性(放射線量)の見地から持ち出していない」という。