(共同)
民衆蜂起により23年間続いた強権的なベンアリ政権が崩壊したチュニジアの政変が、インターネット上で「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。ジャスミンはチュニジアを代表する花。
(NHK)
チュニジア情勢 周辺国に影響
1月24日 9時33分
北アフリカのチュニジアで、市民の抗議行動によって独裁的な政権が崩壊したことを受けて、中東のイエメンでも、連日、反政府デモが行われるなど、チュニジア情勢の影響が周辺の国へも広がりを見せています。
イエメンでは、22日、首都・サヌアの大学に学生や活動家などおよそ2500人が集まり、32年にわたる長期政権の座にあるサレハ大統領に退陣を求めました。これに先立って行われた16日のデモでは、名指しで大統領を批判することはありませんでしたが、AP通信によりますと、22日はサレハ大統領の名前を挙げたうえで、「友達であるチュニジアのベンアリ前大統領の下へ行け」などと声を上げていたということです。続く23日に行われたデモでは、取材していたカメラマンが、一時、拘束されるなど、イエメン政府が情報の管理に神経をとがらせていることがうかがえます。このほか、チュニジアの隣のアルジェリアや中東のヨルダンなどでも、現政権への不満が市民のデモという形で噴出しており、チュニジアから始まった市民の抗議行動の影響が、周辺の国にも広がりを見せています・・・・
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一体、何が起きているのだろう。
私は、この「ジャスミン革命」に代表される昨今の“意外性”が連綿と続いていることに対し、眩暈すら覚える。私達は、日本に居てこのような動きを僅かでも察知していたであろうか。確かに、一人の貧しい青年の命と引き換えの訴えを契機としてチュニジア民衆の怒りは爆発し、あっという間に独裁体制は崩れてしまった。あまりにも鮮やか過ぎて、日本の体制側も反体制側(もしかしたら死語?!)もあっけにとられ、情報・認識不足も手伝って語るべき言葉を誰も持ちえていない、というのが正直な日本の状況だと思う。
私は偶然、青年が自らの身体に火を放った12月17日の翌日、チュニジアに入国した。初めて訪れる国は、事前に若干の政治・経済情勢は頭の片隅においておくのは、別に私でなくとも誰しも行うことだろう。それによれば、アラビア語圏にありながら、近年安定成長を続け、宗主国フランスのリゾート地としても有名。日本でも、カルタゴの遺跡などを訪れる観光客も増え、イメージとしては平和な観光地だった。少なくとも、ときの政権を脅かすような動きがあるなど思いもしなかった。
世界の政治情勢に若干なりともアンテナを高くしていたという自負はもろくも崩れた。
この動きに、ある種の期待を込めてしまうのは、虐げられた人々が起ち上がった、それもFacebookやTwitterなどを駆使しながら、ということだから。とかくこれまで政治は一般庶民には無縁の権力者間での争いに終始しがちで、誰が勝ってもただ権力者の顔が変わっただけ、というところだった。しかし、この爽やかさはなんだ!ただ嬉しい!たとえ、政治の世界はおそらくこの爽やかな空気に嫉妬して、やがて色々な思惑や欲望によって複雑な表情を見せることになっても、だ。
久々に、市民が政治の表舞台に、突然登場してしまったこと、私達はそれを歓迎する準備などまったくできていないうちに、歴史の歯車はぐるんと一周してしまったのかもしれない。それほどに、歴史的な動きの第一歩になるかもしれない「ジャスミン革命」。私なりにしばらく注目していきたい。
民衆蜂起により23年間続いた強権的なベンアリ政権が崩壊したチュニジアの政変が、インターネット上で「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。ジャスミンはチュニジアを代表する花。
(NHK)
チュニジア情勢 周辺国に影響
1月24日 9時33分
北アフリカのチュニジアで、市民の抗議行動によって独裁的な政権が崩壊したことを受けて、中東のイエメンでも、連日、反政府デモが行われるなど、チュニジア情勢の影響が周辺の国へも広がりを見せています。
イエメンでは、22日、首都・サヌアの大学に学生や活動家などおよそ2500人が集まり、32年にわたる長期政権の座にあるサレハ大統領に退陣を求めました。これに先立って行われた16日のデモでは、名指しで大統領を批判することはありませんでしたが、AP通信によりますと、22日はサレハ大統領の名前を挙げたうえで、「友達であるチュニジアのベンアリ前大統領の下へ行け」などと声を上げていたということです。続く23日に行われたデモでは、取材していたカメラマンが、一時、拘束されるなど、イエメン政府が情報の管理に神経をとがらせていることがうかがえます。このほか、チュニジアの隣のアルジェリアや中東のヨルダンなどでも、現政権への不満が市民のデモという形で噴出しており、チュニジアから始まった市民の抗議行動の影響が、周辺の国にも広がりを見せています・・・・
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一体、何が起きているのだろう。
私は、この「ジャスミン革命」に代表される昨今の“意外性”が連綿と続いていることに対し、眩暈すら覚える。私達は、日本に居てこのような動きを僅かでも察知していたであろうか。確かに、一人の貧しい青年の命と引き換えの訴えを契機としてチュニジア民衆の怒りは爆発し、あっという間に独裁体制は崩れてしまった。あまりにも鮮やか過ぎて、日本の体制側も反体制側(もしかしたら死語?!)もあっけにとられ、情報・認識不足も手伝って語るべき言葉を誰も持ちえていない、というのが正直な日本の状況だと思う。
私は偶然、青年が自らの身体に火を放った12月17日の翌日、チュニジアに入国した。初めて訪れる国は、事前に若干の政治・経済情勢は頭の片隅においておくのは、別に私でなくとも誰しも行うことだろう。それによれば、アラビア語圏にありながら、近年安定成長を続け、宗主国フランスのリゾート地としても有名。日本でも、カルタゴの遺跡などを訪れる観光客も増え、イメージとしては平和な観光地だった。少なくとも、ときの政権を脅かすような動きがあるなど思いもしなかった。
世界の政治情勢に若干なりともアンテナを高くしていたという自負はもろくも崩れた。
この動きに、ある種の期待を込めてしまうのは、虐げられた人々が起ち上がった、それもFacebookやTwitterなどを駆使しながら、ということだから。とかくこれまで政治は一般庶民には無縁の権力者間での争いに終始しがちで、誰が勝ってもただ権力者の顔が変わっただけ、というところだった。しかし、この爽やかさはなんだ!ただ嬉しい!たとえ、政治の世界はおそらくこの爽やかな空気に嫉妬して、やがて色々な思惑や欲望によって複雑な表情を見せることになっても、だ。
久々に、市民が政治の表舞台に、突然登場してしまったこと、私達はそれを歓迎する準備などまったくできていないうちに、歴史の歯車はぐるんと一周してしまったのかもしれない。それほどに、歴史的な動きの第一歩になるかもしれない「ジャスミン革命」。私なりにしばらく注目していきたい。