晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

「結婚」を決めるのは女性だ

2016-10-24 18:07:48 | 日記
女性が求める結婚相手「家事・育児の能力」(日経新聞2016,10,24)
【「結婚」はもう昔の“結婚”ではない】
結婚の主導権は女性にあることを得て勝手に勘違いすると、一生独身だ。結婚は一種の「契約関係」。しかし、その実像は日々変化しているにも関わらず、結婚に関してともすると男性は単純に自分に都合良く夢心地になりがちで、だからこそ現実とのギャップに生涯後悔することも少なからずある。男女共に結婚相手を選ぶということは、「協力して対等に共同生活を営む」ということ。
料理すらできない男性は、「ちょっと待った、貴方には子育てはおろか、結婚する資格すら無い!」と言われるだろう。
更に始末の悪いことには、男性は子育てを「知らない」ことを子育ての週刊誌程度の知識を得て誤魔化さんとする。これに比較して、女性は全身全霊を掛けて出産・育児に日夜奮闘している。どちらが子どもの心に寄り添えるのかは、明白だ。

真のラガーは50歳代で天国か!?

2016-10-20 14:29:18 | 日記
「日本ラグビーの改革者、平尾誠二さん死去」
早すぎるノーサイド ラグビーの申し子(毎日新聞2016,10,20)
東大入試中止の所為でやむなく熊谷高校から早大に進学。其処で花咲いた天才的ラガーながら55歳で急逝した、元全日本代表監督宿沢広朗氏のことが思い起こされた。
平尾氏もあの細い体でひょうひょうとタックルをかいくぐり、神戸製鋼ラグビー部を日本一の座に長く据え置いた。
二人の天才的ラガーを失ったことは、ラグビー界に底辺で関わった私としては、実に無念だ。私の高校同期のラガー15人中、既に3人が他界した。ラグビーやると早逝するということなのだろうか…いや、小池都知事とバトルしている五輪組織委員長は79歳の早大出身の元ラガーだがw

ディランの受賞に変化球スライダー的評価が秀逸 by日経「春秋」

2016-10-15 09:52:20 | 日記
衝撃のノーベル文学賞受賞に関して、様々なメディアが評価しているが、その殆どは素直な直球玉だ。しかし、世を拗ねて斜めに見る癖のついた老人は、「何をいまさら」と鼻白む。
ところがさすが日経新聞、このコラムを書いた人は、心底からディランの理解者だと窺わせる。おそらく、自身が70年代安保闘争に“斜め”参加していただろう、と勝手に愉しく想像できるw
以下の日経新聞からの抜粋を参照してほしい。
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日経新聞コラム「春秋」2016/10/15
 「ノーベル文学賞は……ボブ・ディラン」。事務局長がニコリともせず、こんな衝撃の選考を明らかにするのだからスウェーデン・アカデミーも芸が細かい。おととい、この発表をネット中継などで見ていて感嘆した人は地球上に無数にいただろう。おお、ディランだ!

▼「世界の吟遊詩人に栄誉」「ロックが文学になった」「反戦と抵抗の思いを体現」――。こういうときの常ではあるが、称賛の嵐が吹き荒れて当分やみそうもない。とはいえケチをつける声もあって、英スコットランドの作家、アービン・ウェルシュ氏は「もうろくしたヒッピーによる懐古趣味賞だ」と毒舌を吐いている。

▼既成の秩序からはみ出して、訴えたいことを自在に表現してきたのがディラン流だ。非難もむしろ勲章みたいなものだし、アカデミー側にしても賛否沸騰は織り込み済みだったかもしれない。文学の概念を広げる画期的な授賞か、けれん味の隠せぬくせ球か。団塊の世代あたりを中心に、ディラン談議がしばらくは続こう。

▼楽曲から詞だけを取り出して文学賞を贈るのなら映画の脚本も対象になる。歌舞伎だって落語だって立派な言語表現だ。などとあちこちでにぎやかなことだが、肝心のご本人は黙して語らず、それも相変わらずカッコいい。一昨夜から何度も「ノーベル賞作家ディラン」のしゃがれ声を聞き、違和感を楽しむばかりである。

風邪は“休め”のサイン?

2016-10-15 03:48:46 | 日記
「勘違いが多い!風邪を早く治す方法」
急に寒さが身にしみる今日この頃、風邪をひくことが多くなりました。しかし、安易に薬を飲んだり巷間で云われているように対処したりする前に、この際、自分の身体のことはもちろん、普段の暮らしについても考えてみませんか?
「風邪は病気ではない」…時々耳にします。これは一つには「そんなの軽い症状だから病気に値しない。仕事や学校を休むなんてもってのほか!」という場面で使われることがありますね。しかし、本来は風邪は身体や心の“悲鳴”だから、休むなどして対処しなさい、という意味で受け取ることなのかもしれません。
だからと言って、もしかしたら他の病気のサインかもしれないので、医師の診断も必要なのかもしれません。幼い我が子であったり、身体が弱っているお年寄りであったりすれば、単に寝かせておくだけでは心配です。
私たちは普段から自分や他人の心や身体の状態についていろいろな情報を集め、それに対して適切な判断ができるような力を蓄えておくことが大切です。そのためには、日常の周囲とのコミュニケーションがその力を高めてくれます。人間は社会的な存在と言われる所以です。