さて、昨日に続き、いよいよ大書院の中を2日に渡って、ご紹介しましょうね。まずは、歴史からね!
大書院は、慶長14年(1609)の篠山城築城とほぼ同時に建てられたと考えられています。以後、幕藩体制が終わるまでの約260年間にわたって、篠山藩の公式行事などに使用されました。建物は、北正面に唐破風をつけた車寄があり、東に中門が突き出す様式で、内部には8つの部屋があります。藩主の着座する上段の間は、大床、違棚、帳台構、付書院が設けられています。
明治6年(1873)の廃城令によって篠山城の大半が取り壊されましたが、大書院の保存を願う人々の努力により、城建物の中ではただ1つ大残される事になったのでした。その後、小学校、女学校また公会堂などに利用されましたが、惜しいことに昭和19(1944)年1月6日の夜、火災により焼失してしまったのでした。
まずは。こんな看板がありました。
入りますと、すぐこんな展示物があります。合戦が多い地方でしたからね。
雛祭りのイベントで、4館同時にこんな雛飾りが展示されております。
色々と角度を変え、撮影してます。朝早いので、私一人きりです。
この虎の間は、大書院の中では、最も広い部屋で36畳あります。
格式ある風情あふれる部屋ですね。ここは、お借りすることが可能との事ですよ。イベントなどあるようですね。
実際には、もう少し暗いのです。絞りモードで、AFにして撮ってます。めちゃスローになってピンも・・・・(笑)おおめに見て下さいね。
大書院の内部は、四周を通路である広縁が廻り、その外側に幅の狭い縁側である落縁が廻りって、落縁の外縁には一間ごとに柱が立ち並び、その外側の柱と柱の間に雨戸が立て込んであります。
大書院を復元した模型ですね。
こんな感じで順路を見学してます。歴史にタイムスリップしてる気分になりましたね。
今日も訪問有難うございます。
*尚、ここでの撮影はOKでした。青山館の一部と歴史美術館は撮影禁止でした。
追記: 実は篠山市の市議会議員さんとフェイスブックでつながっておりまして、今回の記事に対して、「篠山の広報有難うございます。」とのコメントを頂きました。有難い事です。こちらこそ嬉しいですね。また、「寄って頂ければよかったのに。」ともおっしゃって頂き、お心遣いに感謝です。頑張って篠山の広報を続けていきます。
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