幸太とあい、楽しい毎日

毎日を楽しく!
ワンコと食べること料理することが大好きな
母さんのぐだぐだな日記です。

その後

2013年10月26日 | ぐだぐだな毎日
台風がまた来てますね。
被害のないことを祈ります

先日のブログで、もう一度はじめからやり直しましょう。ということになったとお伝えした相方との関係。
今日は、気持ちを整理するために、経緯と現状とその後の気持ちを書いてみようかと思います。

3年ぐらい前から、無断外泊をする事が増えてきた相方。
そもそも、仕事で遅くなってそのあと仲間と飲んだら終電なくなって帰れないことなど、40過ぎたおっさんがわかんないんだろうか。

        

しかも、一緒に暮らすものに、仕事で遅くなること、その後飲みに行くこと、帰れないこと等、順を追った連絡も一切なし。
メールをいれるのに何分かかるというんだろう。
そのことを注意すると

「ごめんね、もう俺酒やめる。」と言いつつ数年経過。

酒やめてねーし。

今回は、その件も開き直ったかのように
「もう、我慢はしない。酒はやめない。飲んだら梯子になるから帰れない。仲間がいるから連絡なんかできない」と言い放った。

おまけに外泊は回を重ねるたびに大胆になっていく。

週に1度位だったお泊りは2回3回と増えていき、何回か同居を解消しようと申し出た。

その度に謝り、やり直すからもう少し見守ってくださいと言われ、許してきた。

(こうして文字にしてみると、わたし、DVやアル中男と別れずにいる女の典型だな)

昨年は暮れからずっと居なかった。

毎日が送別会と忘年会。年が明けたら実家へ年始。仕事始まったら毎日新年会。

今年に入り、帰ってくるのが週1~2度に変わった。

4月ごろに会社事務所の移転が決まり、早期退職者を募ったりしていたようだ。
それが原因なのか、飲み仲間と情報交換しないと会社が情報をおろしてくれないという名目で毎日飲み歩き外泊。

帰ったとしても遅い。酒臭く、日付が変わってから。

当然会話も何もない。

理由を聞くにも話にならない。

仲間と飲みながら情報交換しないと、会社の移転に伴う異動の情報がわかんないって・・・・

どんな会社だ。
そんな大事なことは全員集めて説明会をし、書面で配布するはず。(必要な人間には)

それを言えない会社と、その仲間。いい年のおっさんが集まって酒飲んで愚痴の言い合い。



そんな理由もあとから聞いたけど、言い訳にもならないよ。今時の小学生でももっとリアルな言い訳するわ。


私もフルで仕事をしつつ、家事、犬、母などやること満載でそんなに相方ばかりにかまってられる状況じゃなない。

連絡なんかメールで十分だと思うし、(まあ、連絡あっても「また飲み会かよ!」とか言ってしまうこともあるが)

つまり、わたしは相方にとって、文句は言うけど都合のいいやつ。だったんだろうと思う。

喧嘩をしても時間がないから、少し我慢してたら嵐は収まる。

嫌なら家に帰らなければいい。それだけだから。

相方は実家でも同じように帰ったり帰らなかったり、連絡もしないで普通に過ごしていたんだろうか。

ええっ
連絡なしで外泊しても普通???

今の相方の暮らしぶりや、今までの(働かなかったり、務めてもすぐに辞めたり・・・)生活をみていると
相方の育った環境とそれを作り上げた家族がどうしても好きになれなかった。

だから、その家族と親戚になるなんて考えられなかったし、うまく付き合っていこうとかも思わなかった。

今回は相方の「ずっと我慢してきたけど、もう無理」の背景にはこれも含まれていた。

12年つきあってきて、まだ会って挨拶もしてない兄弟がいるのはおかしい。というのがそれだった。

実家で祝い事があって行く時も、いつも俺だけ一人だった。

確かに、今年の正月に「長男が挨拶に連れて来いって言ってるんだけど」と言われ、丁重にお断りしたことがあった。

挨拶に連れて来いって、どういうこと???

聞いていた時は、申し訳ないなとか思ったけど、よくよく考えてみると

え、そうなの? そこ、そんなに大事? というのが正直な気持ちだった。

12年私の家で暮らしているのに、私の家族への「お世話になってます。」的な言葉も何もない人たち。

年賀状、母の日、盆暮れの挨拶、法事など、相方の家に対してやれることはやってきた。

礼服ひとつ持っていなかった相方へ礼服も作り、不祝儀などで恥をかかせないようにやってきたつもり。

それでも不誠実な行動が多く、改善もされない相方。

私や私の家族を大切にしてくれない相方の一家をどうして私が大切にしなくてはいけないのか。

いい年をしたおばさんの私だけど理解したくなかった。

もう無理。別れましょう。と言われて、今回、とても悲しく思い、ショックだったのは
我慢して、無理してきたのは私だよ!!という気持ちや
「お前が言うな」的な悔しい気持ちもあったように思う。

姉に間に入ってもらい、話し合い、12年間は水に流してお互いにやりなおしましょう。という結果になったが

10/12に姉と相方が会い、話をする
10/12深夜、姉と一緒に帰宅
10/13,14 家で過ごし、話し合いを重ねる(結果、やりなおすことに)
10/15~10/18 仕事へいき、また帰宅せず。
10/19 姉が中国へ帰国するので送るために帰宅
10/20 買い物などへ行き、普通に過ごす
10/21~10/26現在、一度も帰宅せず。

こんな状況です。

これでいいのか??とさすがの私でも考えますよ。

44になった人を変えるなんてできないし、相方は努力しないから多分変わらない。
たとえば、このまま私が黙認していれば帰りたいときに帰る場所として私は存在するんだろうけど
私が望んでいるのは、そういうんじゃない。

毎日顔をあわせ、環境の違いからくる価値観の違いを話し合いによって解決し、
たがいに尊敬できるような関係を築く。

まず、無職の期間があった時点で、すでに尊敬の対象からは外れてるし、話し合いができないという点でも
尊敬には値しない。

じゃあ、どうしよう。

どうなったら、私は気が済むんだろう。
もう、よくわかんないや。

改革には痛みが伴う・・・とかどこかの政治家が言っていたけど、痛みなんか一人で味わうもんじゃない。
相方にも同じような気持ちを味わってもらいたい。
信じようとしては裏切られ、何回も煮え湯を飲まされるような思い。

味わってみたらいい!

        

結局、終わりは見えてるけど、相手がいないからどうにもならない。

気持ちを伝えても暖簾に腕押し。

長々と書いたものの、答えはわからず。

ここに書いて、ずいぶん気持ちは整理できた感じがする。

以前、離婚した時よりも体力を使ってる気がします。

結婚て勢いがないとできないと思うんです。
そして離婚には体力が必要。

大切にしてきた人との関係だから、最後ってこんなに疲れるんでしょうね。

でも、疲れても汚れても罵り合っても、改善されるならばいい。

何も変わらずに逃げるだけなら時間と体力の無駄。

12年間、もったいなかったな。と思うのか、これでよかったと思うかは私の気持ちひとつなんだな。

相方さん、もし、これを見たら、原稿用紙40枚位の長い返事をお待ちしております。























秋も深まってきましたね~

2013年10月24日 | ぐだぐだな毎日
朝晩は、かなり秋を感じるようになりましたね。
昨年、枯れて近所に落ちていた枝を拾って挿し木した菊が大きくなって蕾をつけました。



早く咲かないかと毎日楽しみに出がけに眺めています。

秋が深まると、我が家の3ワン達もそろそろ冬支度。

しんは、特等席の毛糸のカバー付の椅子の上に。
ナナは、おばあちゃんのベッドの中に。

日中をゲージで過ごす幸太だけがクッションひとつだったので、寒くてかわいそうでした。

そこで・・・



ドーム型なので、風もさえぎられてあったかそう。
ホカホカしてる顔をみると幸せになりますね~。



4月に生まれて初めて迎える冬。
元気に過ごして大きくなってほしいです。


今朝、久々に出会ったポーちゃんで今日はおしまいです。



チリンチリーン

2013年10月22日 | ペット
幸太です。



写真でもおわかりのように、幸太に子猫用の鈴がついた首輪をつけました。

散歩の時のひもを付けやすくするためと、いたずら盛りの幸太がどこにいるか所在がわかるように。です。

チリンチリンと音をさせて走ってくる姿は、超かわいいです。

中国へ帰った姉も、3匹の犬の中でしんが一番だったのが、幸太が一番に変わった。と言っていました。

たしかに、小ぶりだし、子犬特有の動きやじゃれ方や、何をしてても可愛いもんね。

寒くてフルフルしてるからと服を着せると半日かけて必死に脱いでいたり・・・

これを多分、しんやナナがやったらまちがいなく怒られているはず。

子供の特権ですね

話は変わって、もうすぐハロウィンですね。今日はコンビニで、カボチャのプリンを買って食べました。

美味しかったけど、普通のにしとけばよかった。

味がストレートにカボチャでした。  

耳の大きさがよくわかる幸太の画像で今日はおしまいです。






朝陽のさすほうへ

2013年10月21日 | ぐだぐだな毎日
今週末にまた台風が来てるらしいですね。
どんな準備ができるかわかりませんが、少し備えをしておこうかと思っています。

でも、天災って、いつどんな形でくるかわからないから恐ろしいですね。

一瞬でたくさんの人の命が奪われたり、大切なものが消えてなくなったり。

今朝、洗濯を干していて空を見ながらそんなことを考えていました。

いわし雲?まだ明けきらない空にきれいに浮かんでいました。


お日様が雲の間から顔を出しました!


だんだん明けていく今日という一日


辛いことがあっても、必ず朝は来る。
いつもと同じ朝が来る。

これ、私が17の時に父が亡くなり、お通夜の翌朝、まだ暗い朝に真太郎と外へ出て太陽が昇るのを見たときに思いました。

いま、そんなに辛いことがあったわけではないんですが、色々と考えなくてはならない事や
めんどくさいけどやらないといけない事を思い出すたびに、こんなことを思います。

元気がでなければ出さなくてもいい。
泣きたかったら泣いたらいい。
いつもと同じようにお日様は昇るから。

曇りの日にも、雲の上ではお日様は照っているんですって。

残念ながら今日はあんまり晴れませんでしたね。洗濯物たくさん干したのに。

私もお日様みたいになりたい。なんてことは言いません。

ただ、毎日をもう少し感謝しながら、誰かに優しく生きていけたらいいな。とか思った今日でした。

姉は帰ってしまったけれど

2013年10月21日 | ぐだぐだな毎日
19日の土曜日、姉は深センへと帰って行きました。

帰国中は色々と食べ歩いたなー。

定番の高台のお蕎麦屋さん。



母、姉、私と三人で同じものを注文!
どんだけ好きなんだ。



あとは、近所のファミレスにも行きました。

姉の好きなパスタ。なんとかソース



私は秋ということでこんなスィーツを。



パフェなんて、あまり食べなくなったけど、やっぱりウキウキしますよね。

子供の頃は高価なものであまり食べられず。
大人になってからはダイエットの敵として食べられず。

でも、おばちゃんは食べていいんです!
ホホホのホ。

美味しいものをたくさん食べて、色々な思い出を残して行ってくれました。
(相方と話し合う機会をつくってくれたのも姉でした。)

風邪ひかないで元気に過ごしてね。
また来年笑顔で会いましょう!