トナのボチボチ日記

アラ古稀チャリダーのrideと愛犬との生活を中心に記していきます。

鶴丸城址、そして父

2009年08月15日 | 雑感
8月13日
朝ランで雨に降られ、照国神社で雨宿り25分。結構な雨で動けず、その間スクワットなどしていました。小雨になったので天文館のアーケードを通ってホテルに戻りました。これは閑話休題。

この日は帰路につきますが、午前中は鹿児島市内をちょっと観光。2年前にジックリ見ているのでそのとき見逃したところをちょっと。
最初は黎明館へ。鶴丸城址にある鹿児島県の歴史資料館です。古代から現代までの資料がありますが、やはり幕末から明治への資料に目が行きます。順路に従っていくと「七高」の文字が。

ここで思いました。父の母校です。
私の父は旧制中学を4年で終え(所謂飛び級です)、旧制第七高等学校に進学しています。その校舎がこの鶴丸城址にあったということでした。ということは、父はこの地で学んだのか? 学生時代のことはあまり話したことがないので、その時点では分かりませんでした。
昨日(14日)、父の82歳の誕生日でもあり実家を訪ねました。そのときに今回の写真を見せて聞いてみたところ・・・

「この橋を渡ると右に石段があって、そこを上って校舎があった。そこには井戸があって、その井戸が曰く付きの物で・・・」
「この蓮のある御濠に入って魚をとった。一抱えもある鯉がとれた」
「城山を背にして、右から一寮、二寮、三寮とあって、俺は三寮に入ってた」 
「俺もやんちゃやから鹿児島空襲の翌日、町に出てみた。ひどかった。親友の両親がその空襲で亡くなった」
「俳優の天本英世と同期だったらしい。彼は文科で、俺は理科だったので面識はないが・・・」
「でも、ここにいたのは1年。すぐ学徒動員で兵器工場に行った。そのときは出水に下宿してた」
「懐かしいなぁ。我が青春の1ページやね」
等々聞いたことある話、初めて聞く話、父の青春、いろいろと聞けました。
今度必ず連れて行きます。

ちなみに父は特攻隊志願しています。特攻が行われたとき17~18歳。幼いときの病気で片方の耳が不自由なので想いは叶わなかったようですが、ひょっとしたら知覧の写真にと思うと、いまなお健在でいてくれることに改めて感謝です。

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