米軍のヘリ墜落問題で、某副大臣の「それで何人死んだんだ」発言にも唖然としたが、こちらの記事を見てさらに唖然・・・いや激しく憤りを覚えた。
自衛隊ヘリが墜落した際、家に一人でいた女児が奇跡的に難を逃れた件、翌日、父の「許せないですよね」というコメントが新聞で報じられると、ツイッター上に非難の投稿があふれたという。
いわく・・・「何様? 墜落して亡くなった隊員の事考えねーのかよ」「わざと落ちた訳じゃないし、許せないの意味が分からん」「死ななかっただけいいじゃないか」と。
では、このコメントをしている人の家に、たとえばハンドル操作ミスでダンプカーが突っ込んできても「わざと突っ込んできたわけではないから許せる」のだろうか。
運転していた人が死んでいたとすると、その人のことをまっさきに家族のことより慮るべきなのか・・・少なくとも小生は絶対にそんな心境にはなれない。
もし・・・この発言が、「この事故を起こしたのが、自衛隊だから国民は理解すべきだ」という意識なのだとしたら、それもまた理解できない。
自衛隊の皆さんが日頃頑張ってくれていることに敬意を払うことには異論はない。だが、我々は自衛隊のしもべではない。
この事故の被害に遭われた方は「自衛隊だから許せない」のではなく、相手が一般人のヘリであっても同じはず。
自宅が全焼して許せる人がどのくらいいるのだろうか・・・
この件から連想したのが、この間お亡くなりになった拉致被害者のジェンキンスさんと第三国で会うためにチャーター機に乗ったときの曽我ひとみさんへのネット上の暴言だ。
いわく「チャーター機って、何様のつもり」という・・・これもまた、なんとも酷い発言に聞こえた。彼女は北朝鮮に勝手に行ったのではないのだから・・・
しかし、悲しいことにこれこそが日本人の本質だ・・・とも感じた。よくテレビなどでは、ネットやSNSの弊害のように言っているが、そうではない。
ツールとしてSNSがクローズアップされているだけで、その根にひそむ意識は「他人と少しでも違う人」への陰口・妬み・恨みという日本人の島国根性そのものだ。
この冒頭のヘリの事故に関しては、(もしかすると自衛隊に敬意をまず払えという前提があるかも知れないが)一般人が自衛隊に許せないなんて思わないだろ、普通という感じか。
自分たちの考えと違うことが許せないのでは・・・と。いろんな出来事に対し、感じることもいろいろなのは当然、だが「何様」という言い方は・・・と思ってしまう。
自分が日本人であることが悲しくなってしまう・・・そんな気がしてしまう。
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