としまえんが今年の8月いっぱいで閉園になることはすでにニュースになっているし、このブログにも取り上げている。
そんな中、ノスタルジーも感じながら(おそらくは自分にとって)、最後の機会となるだろう、としまえんに出かけてきた。
以前の記事で最後の夏はプールも開かれない・・・なんて書いたが、事前予約制でプールもゆうえんちもやっているようだ。
スマホで予約して当日すんなり・・・と思いきや、そのスマホを提示して紙のチケットに引き換えるという・・・ことで、入園にはばっちり時間がかかってしまった。
としまえんは開園してから94年ということで、園内のここかしこにかつてあったアトラクションが紹介されている。
けっして広いゆうえんちではないが、アトラクションもずいぶん入れ替わっていることを知ったりして・・・
なんとはなくウロウロしながら歩いてみたが、何しろ暑い・・・実は、子供向けにアソブラボーという施設があり、雨でも寒くても暑くても行けるところがある。
としまえんは閉園するが、ここは残してほしいなあとも・・・なんてやっていたら、スタッフさんがチラシを渡してきた。
「としまえん最後のマジックショー」という・・・ハマック柳田という・・・うーむ、マリックのパチモンみたいな・・・(汗)
さらに、ちょっと気になるTシャツを着た人がいた。背中側の下に車のナンバーみたいなプリントが付いている。
尻201 へ93-14という・・・おお、尻におい、への・・・(爆)
うわわわ・・・このシャツほしいぞ。すかさず調べたら、通販で購入できるようだ。早速ポチろうとしたら、一緒にいた愚娘に止められた。
確かに、ネタだけでこれを購入するのは・・・って、これが最後のとしまえんの思い出になるのか・・・って。
炎熱に耐えきれず、予定した時刻より早めに退散したが、思えば愚娘が小さい頃からとしまえんにはずいぶん来た。
文字通り、最後の・・・というにはあっけない感じもするのだが、数年後にはハリポタのテーマパークもできるという・・・
それはそれで来ることになるんだろうが、昭和の香りのするゆうえんちはこれで終わりになるんだなあと・・・
子どもの頃、わずかな期間ですが、大泉学園に住んでいたこともあり、としまえんには思い出があります。
レポート、ありがとうございました♪
ちなみにチケット引き換えの時が一番時間がかかり、園内はそれほど混雑していませんでした。ってか、そういう行列のできるところに並ばなかっただけですが。
ご承知の通り、お師匠様や自分の年代が小中学校の頃、1960年代最後期から1970年代初期、どんな仕事商売も「住み分け」が行われおりました。個人の家電屋、本屋、水道屋、ガラス屋、修理屋、食料品店、酒屋等など。
それが記憶では1970年代の初期頃から? ちょっと大きめの「中型家電品のチェーン店」が出来始め、更にちょっと目立つ「ホームセンター」等が出来始めます。記憶では「食料品のスーパーマーケット」等は1967年頃から目立ち始めたらしいのですが、さほど個人の店には影響が無く「共存共栄」していました。
それがいつの間にか気が付けば、「個人商店=肉屋,魚屋、八百屋、酒屋、乾物屋、荒物屋」等は大半無くなり、と言うか「我々はいつの間にか、全て大手のスーパーやホームセンターでのみ買っていた」と。
これと前後してやはり町の個人商店は、まぁ何所も「3ちゃん経営=父ちゃんはサラリーマンで母ちゃんと婆ちゃんが店をやって、、」でしたから、まぁ小遣いにもならねぇならと先を争って閉店した店も多かった、、、、実は、この傾向はお師匠様が最後に行かれた「若いのが行ってもとしまえん」にも表れていましたね。
結局存続か否かは経営運営母体の判断ですが、此処でやはり「TDL USJ」等の海外母体の巨大資本にバックアップされたある意味「帝国主義的なジェネラルレジャーランド」ってぇ処ばかり注目される、、、だったら赤が出ねぅうちに「閉めちまうべぇ」と。 実際に自分の近辺でもかなり大きなホームセンターが在り便利でしたが、来年かなり離れた場所に「某大手が出来る」と聞いた瞬間?に閉店セール始めましたから。
更に困ったのがビデオレンタル屋で「全国チェーンの某屋=非常に評判が悪く態度も悪い」のしか無くなり、いつの間にかビデオ存在自体を忘却してしまいました。今回のテーマ「遊園地」も、知る限り「宝塚FL 多摩テック、ユネスコ村、小山遊園地」等などが無くなり、更に地元の本当に小さな処も更地となりました。
在る情報通によれば、、、未確認情報ですと「某大手何某チェーン店の本来の目標は、馬鹿値安売りで周囲の店を殲滅させ、ゆくゆくは自店のみで定価高額販売で儲けよう」? てな腹づもりもあるらしく、警戒水域でしょう。現実に今、大手家電チェーン店行っても若い小僧どもは何を聞いてもスマフォの事しか知らず、何時の間にやら怒鳴りあいですよ。プレゼント買おうと「チカン警報器 110番ブザー買おうと思っても、スマフォ勧める馬鹿さ加減」にゃ「店長呼んで来いこのドアホっ」と。まぁ何を言ってもバイトや非正規ばかりでは専門性も全然無い。おそらくはレジャー施設や遊園地などでもこういったすっとんきょうな対応は在ったと思われます。お師匠様もおそらくは良い時代を過ごされ、最後の年増園にも行かれ良かったですね。
忘れられないのはそう、、「ユネスコ村が閉まる数年前」に、ちょっと調べたい事があり現地リサーチした事があります。それは「1960年代 大映TVで海底人8823」が放映され、その中で「ユネスコ村の怪」と言う話が在り、全面ロケされて当時の貴重な映像が観られます。これをユネスコ村の担当者にお礼にレクチャーした際「大変喜ばれ感謝」されました。 とにもかくにも残念でした。嗚呼 敬具
いつもありがとうございます。
小生の父はいろいろ転職しましたが、最後は個人経営の電器店の店員でした。店員といっても、お店にいるより、もっばら修理やら冷蔵庫の設置やらでしたが、個人経営の店が、販売した商品の修理をやるというのも今では見かけなくなりました。
拙ブログでも、なぜ野菜を売る店を八百屋というのかというのを書いたことがありますが、若い人に「肉はどこで買います?では野菜は?」と聞いても、すべてスーパーと答えられてしまい、八百屋のくだりを話そうにも話せない時代になってしまいました。
昭和は良かったというのは単なるノスタルジーだけではないと思うのはきっと大石様もですよね。