林家こん平が亡くなった。享年77というから、最近の平均からみればまだ若いというべきか。とはいえ、病気で一線を退いてから約15年経つので、記憶から遠ざかっていたのも事実。
逆に考えると62歳の頃からずっと病と闘っていたということになる。彼の師匠、先代三平も54歳で亡くなっているし、豪放磊落に見えて実は繊細だったという両名にとって、噺家という職業は命を削る所業だったのかもしれない。
とある噺家が言っていた「噺家はバカじゃできないが、利口はやらない」という言葉を思い出した。
失礼ながら、こん平については、寄席でしか記憶がなく、ホールでは聞いていないような・・・
そして寄席でも「豆屋」と師匠譲りの漫談風のネタ以外の記憶がない。今回調べてみたら、「品川心中」なども得意にしていたという・・・
さらに個人的な感想だが、「笑点」に出たことが、噺家としての印象を歪めてしまったようにも思う。
ご存知のとおり、「笑点」でやっているのは落語ではないし、あれに出ているのがいい噺家とは限らない。ただ、知名度を圧倒的に高めるが、その裏返しにイメージが固まってしまう。
それが、こん平にとっては「チャラーン」ではなかったかと・・・評価はかんたんではないが、チャラーンのイメージが固まってしまったが故に、幅を狭めていたような気も・・・
さらに彼にとって不運というのが、落語協会分裂騒動のときに三平一門として渦中にあり、三平死後は、一門を束ねる立場に若くしてなってしまったということだろうか。
ご通家の方々には今更だが、林家一門というのは落語協会では決して主流派ではなく、それなりのご苦労もあったはず。
どうでもいい話だが、今の「笑点」には林家を名乗るメンバーが三平・たい平・木久扇と三人もいる。これだけ見ると林家が主流派に見えてしまうが・・・ちなみに木久扇はこん平たちの林家とは別系統だ。
話はそれるが、こん平に代わり、メンバーになったたい平も、本筋の噺家として期待していたが、「笑点」のイメージによってちょっと変質してしまっているような・・・
さて話を戻そう。こん平の特徴としては、もうひとつ個性として地方出身をそのまま出してやっていた。当時の噺家では圓菊と双璧だったかと。
ともに、個性的で熱狂的なファンがいたことも似ている。そして圓菊の弟子には菊之丞や文菊という正統派の中でも正統派というのがいることも、たい平を弟子に持つこん平と似ている。
その点、保守本流とは言えないこん平も圓菊も基本はしっかりしていたということを証明しているのかもしれない。
いずれにしろ、高座への復帰を夢見つつ、それがはたせずに鬼籍に行ってしまったことは無念だったに違いない。
また一人、昭和の香りのする噺家がいなくなってしまった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます