高校生のときの修学旅行のときのことである。グループでの行動で、自転車で明日香を回ったことがある。
天武・持統合葬陵を見た後、引率の先生が「桂、ここがどこだかわかるか、文武両道の天皇の墓だ」と・・・それがトップ写真の文武(もんむ)天皇陵だった。
当時は文武天皇についてもよく知らなかったが、けっこう立派な古墳だなあと思った記憶がある。
そして自転車はここから当時、壁画発見でわいていた高松塚古墳に回ったのだが、当時の自分は中尾山古墳の存在も名前も意識していなかった。
その時のツアーが元になって、古墳やら古代史やらに興味をもった小生、いろんな本を読み漁り、中尾山古墳が円墳とされているが、八角形の可能性があることを知った。
1970年代の話である。そんな中尾山古墳はその後の調査で八角墳であることが判明したものの、具体的な発掘調査がされておらず、詳しい内容が判明するのにはまだ時間を要した。そして、昨年秋からの本格的な調査でいろいろな事実が明らかになってきた。
それを先日のNHK歴史探偵で取り上げていた。渡邊アナファンの小生、もちろん録画してみた・・・
この結果、石室のサイズから土葬ではなく、火葬であったことなどから、ほぼ間違いなく文武天皇陵であることが判明したという。
詳しくはこちらの記事もご参考にされたい。だが、この記事にもある通り、おそらく今後も中尾山古墳が文武陵として指定されることはないだろう。
実は学術的には明らかに違うとされながら、宮内庁が指定を変更していないケースはまだあり、継体天皇陵もそのひとつ。
結果として、一般人が真の継体陵に立ち入ることができるということになっている。
逆にこの中尾山古墳も今後は見に行ける天皇陵になるということになりそうだ。だが、現在の文武天皇陵はこちらよりも規模が大きく、だとすると、ここに眠っているのは誰? という疑問も湧くのだが・・・
また、この中尾山古墳は高松塚とともに、藤原京の朱雀通りの延長線にあり、聖なるラインと呼ばれている。
天皇かどうかは別にして、きわめてやんごとなき人が眠っていたのは間違いないのだ・・・
まあ、古墳の改造・整備は宮内庁の得意なところで、大山古墳だって、過去の記録と照らして改造されていることは明らかだし、天智天皇の上円下方墳も後世の捏造だと言われている。だとすると現文武陵も増築されていたのかも・・・と。
文武天皇は古墳に埋葬された最後の天皇とも言われているようだが、今後の展開も気になるところだ。
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