
サラリーマンとしては「給料泥棒」とまで言われたほどの三流の小生ではあるが、とはいえ自分のことはさておき、同期や近い先輩に優れた人のいる不運を恨んだりもした。
あいつさえいなければ・・・本人はそう思ったかどうかは別にして、ヒーローの陰に埋もれた人にスポットを当ててみるのもこのブログのお約束である。
その観点で、アイドルでは岡田有希子の陰にいた岡村有希子なんかも取り上げていたが、今日は甲子園での思い出である。
小生の世代にとって甲子園の怪物といえば、やはりなんといっても江川卓であろう。その後何十年も甲子園見ているが、やはり彼以上の投手はいないと思う。
松坂やダルビッシュ、それに長崎海星の酒井などすごい投手はいたが、とにかくバットにかすっただけでどよめきが起きたのは彼ぐらいだ。
いかな予選といえど、栃木県予選で一安打完封試合が二回、あと二試合はノーヒットノーランなんて化け物以外ありえない。こちらに、大谷との比較のサイトがあるが・・・
さらに恐ろしいことに、キャッチャーが取れないため、全力で投げることはなく、常に手抜きで投げていたという・・・その手抜きがあのボールとは・・・上の写真はあたかも「ここは全力で投げたいんだけど・・・」と言っているようだが・・・ミットが3か月でダメになっていたらしい。
ところがここに悲劇の控え投手がいた。大橋康延という下手投げの投手だった(トップ写真)が、彼も県予選ではノーヒットノーランを何度も達成している。
中学のときから県下に名をはせていた両名、高校入学のとき、江川が小山高校に行くという情報があったため、大橋は作新学院を選んだところ、なんとそこに江川がいた・・・というところから、彼の影武者人生が始まった。
彼は控え投手でありながら、大洋ホエールズにドラフト二位で指名された。その時のスポーツ紙には「もう僕は、江川の影武者じゃない」と出ていたことを今でも覚えている。
残念ながら、プロでは活躍することもなく引退したが、江川というとてつもない天才に埋もれてしまった才能であろう。
そしてもうひとり、原辰徳の同期の東海大相模の四番バッター津末英明だ。原が三番で、二人はそのまま全日本選抜の三番と四番だった。二人とも一年生のときからレギュラーだった。
その後東海大でも二人は三番と四番だったが、津末はドラフトにかからず・・・原が「納得できない」と言ったくらい。その後、ドラフト外で日ハムに入団した。
これまた、彼もプロではあまり実績を残せず引退したが、その後巨人のスカウトなどにも従事したようだ。
毎年のこととはいえ、多くの才能がドラフトにかかり、そしてその代わりに多くの選手が退団していく。鳴り物入りで入団し、そのまま成功するスターはまれだ。
一方で、高校野球では無名でも成功する人も多い。だが、今日取り上げた選手は世が世であれば、もっと光を浴び、違った人生になったのかも知れない。
もちろんタラレバであるが、どうしても恵まれなかった人にこそ光を当てたくなる小生である。
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