
さて、新年二回目の落語会は大手町の日経ホールで行われた桂春団治・春風亭小朝二人会であった。このホールは、小生初めてであるが、きれいでいい。
ちなみに春団治襲名五十周年記念というからすごい。一口に五十年というが、昭和三十四年から春団治だったという・・・って、三丁目の夕日の世界だ。
大阪の噺家の春団治だが、ネタ数は多くないが、「羽織脱ぐ 手付きも舞の 春団治」と言われるように、しぐさがきれいなのと、華やかな香りがする大阪らしさが魅力だ。

とはいえ、数年前に渋谷で見たときには、さすがに年齢からくるのか往年のキレ味がなくなったかなあと思ったが、ともあれ東京で聞ける貴重な機会である。
何をやるのかと思っていたところ、「祝のし」東京でいう「鮑のし」だ。今年八十になるという春団治、だがたたみかけるテンポもあり、たいしたものだ。
さすがに春団治・・・ワールドを堪能したのち中入り。ちなみに春団治が襲名したのが二十五のときというが、同じ二十五で真打になった小朝が今日のトリだ。
その小朝も真打になって三十年である。考えれば相当なものだ。
さて、ヒザに太神楽が入り、いよいよトリの小朝だ。歌舞伎もののマクラを軽く振った後、十八番の「中村仲蔵」に入る。
小朝の仲蔵はこれまで何度も聞いているが、結論からいくと歴史に残る名演にめぐりあったという気がした。
切れ味といい、間といい、人物の描写といい、どこをどう見てもケチのつけようがない。途中で小生鳥肌が立ってきた。
後半では、わかっちゃいるけど涙が出てきたし、サゲた後の拍手もものすごかった。これは、そう感じたのが小生だけではなかった証拠だろう。
小朝でいうと、以前聞いた「妾馬」で同じ感覚を受けたことがある。そして往年の志ん朝の「柳田格之進」や、円生あたりで記憶がある。
おそらく小生の落語鑑賞歴において、記憶に残る名演のひとつになるだろうという機会にめぐり合えたことの幸運に感謝したい。
考えてみれば、小朝を聞いたのは久しぶりであり、ちまたの評価でもいろいろ書く人がいる小朝であるが、どうしてどうして、やはり当代の第一人者の一人であることを再認識させてくれた。
やはり落語はたまらない。そんな大満足の夜だった。
















ちなみに春団治襲名五十周年記念というからすごい。一口に五十年というが、昭和三十四年から春団治だったという・・・って、三丁目の夕日の世界だ。
大阪の噺家の春団治だが、ネタ数は多くないが、「羽織脱ぐ 手付きも舞の 春団治」と言われるように、しぐさがきれいなのと、華やかな香りがする大阪らしさが魅力だ。

とはいえ、数年前に渋谷で見たときには、さすがに年齢からくるのか往年のキレ味がなくなったかなあと思ったが、ともあれ東京で聞ける貴重な機会である。
何をやるのかと思っていたところ、「祝のし」東京でいう「鮑のし」だ。今年八十になるという春団治、だがたたみかけるテンポもあり、たいしたものだ。
さすがに春団治・・・ワールドを堪能したのち中入り。ちなみに春団治が襲名したのが二十五のときというが、同じ二十五で真打になった小朝が今日のトリだ。
その小朝も真打になって三十年である。考えれば相当なものだ。
さて、ヒザに太神楽が入り、いよいよトリの小朝だ。歌舞伎もののマクラを軽く振った後、十八番の「中村仲蔵」に入る。
小朝の仲蔵はこれまで何度も聞いているが、結論からいくと歴史に残る名演にめぐりあったという気がした。
切れ味といい、間といい、人物の描写といい、どこをどう見てもケチのつけようがない。途中で小生鳥肌が立ってきた。
後半では、わかっちゃいるけど涙が出てきたし、サゲた後の拍手もものすごかった。これは、そう感じたのが小生だけではなかった証拠だろう。
小朝でいうと、以前聞いた「妾馬」で同じ感覚を受けたことがある。そして往年の志ん朝の「柳田格之進」や、円生あたりで記憶がある。
おそらく小生の落語鑑賞歴において、記憶に残る名演のひとつになるだろうという機会にめぐり合えたことの幸運に感謝したい。
考えてみれば、小朝を聞いたのは久しぶりであり、ちまたの評価でもいろいろ書く人がいる小朝であるが、どうしてどうして、やはり当代の第一人者の一人であることを再認識させてくれた。
やはり落語はたまらない。そんな大満足の夜だった。

















昇太でだいぶ耳も肥えてるでしょうから、またイメージも変わるかと。
確か2年ほど前に一度聴いたことがあるかも・・・
今年TVで小朝を聴きました。「親子酒」だったような?
私は落語ファンと言うより「昇太」ファンだから、落語のことはよく分かってないかも知れません。