アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

韮山の反射炉~修善寺

2015-06-24 06:00:17 | つれづれ
あせび野に出かけた小生、宿に入る前に立ち寄ったのが「韮山の反射炉」である。世界遺産の登録勧告によって、人気が高まっているという。


 実は小生も二度目であるが、前回きたのはなんと40年以上前のこと。その頃は、まさか世界遺産なんて話があろうはずもなく、ひっそりしていた。
 フリーで入れて、観光客が来ると、そばに一軒だけあったお土産屋さんのオヤジが出てきて、説明を始めるというスタイルだった。

 その時の記憶では、反射炉の周囲を、日露戦争の戦利品のロシアの鉄砲を利用して柵を作っていた。
 ちなみに、反射炉というとこちらが有名だが、当初は下田に作られた。ところが、ペリーの来航により、米国の船員が見に来るという事件もあり、韮山に移転した経緯がある。

 小生の通っていた高校の近くに、バス停の名前にその名残があり、高校時代にその事実を知った小生である。
 今回は見違えるように整備されていて、江川太郎佐衛門の像もできていたし、お客さんもすごく多かった。やはり世界遺産効果である。といいつつ、こちらを見学してちょうどお昼どきになったので、修善寺に。


 こちらでお昼というと、独鈷そばだ。調べてみたら、2010年に来ていた。今回も山葵をすりながらざるそばをいただく。
 舌つづみを打ちながら、修善寺を見に行く。ついでにここまで来たら、竹の小道や独鈷の湯などを散策である。

 そう、そば屋の名前にもなっている独鈷というのは仏具であり、伝説によれば弘法大師が河原を独鈷で突いたところ、温泉が湧いたという。
 そのせいか、修善寺の手水鉢に出ているのが水ではなく、温泉であった。今は伊豆の国市になっているが、旧名の修善寺町の由来は、修善寺であり、八世紀創建の古刹だ。


 ちなみに反射炉の近くには、頼朝が島流しになった蛭ケ小島もあり、修善寺自体も鎌倉時代にさまざまなドラマの舞台になったところだ。
 鎌倉時代の血なまぐさい政争の舞台だったことを考えると、伊豆の歴史もなかなか・・・と。今さらながらにいろんなことを考えた小生であった。
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