アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

鶴ヶ城から御薬園へ

2013-07-11 06:00:08 | つれづれ
トミーフードでミックス焼きそばを楽しんだ小生、会津といえば・・・で鶴ヶ城に向かった。今、NHKの大河ドラマ「八重の桜」で盛り上がっている様子。



 直前、こちらに来るには来たが、朝早すぎて天守閣に入れなかったこともあり、今回は登城したかったというもの。
 入場券を買おうとしたら、こんなキャラが出迎えてくれる。お城ボくんといい、ヤッターマンなどでおなじみのタツノコプロダクションの創始者が会津出身で、それにちなみタツノコプロで作ったものという。


 天守閣の石垣は、野面積みで歴史を感じたが、蒲生氏郷が築城したときのものという。400年の風雪に耐えたことになる。
 現在の近代的な建物は、この石垣に負担を掛けないような設計になっているというが、ここから五層の中に展示室が展開しているが、なかなか充実している。

 蘆名と伊達の戦いから、蒲生氏に、そして上杉、加藤ときて保科(松平)という系譜は、この地が豊かで、重要な拠点であったことを示している。
 戊辰戦争の砲撃で、めちゃくちゃに崩れてしまった天守の写真は迫力があった。また、松平容保の写真もあちこちに飾ってあった。

 彼は、孝明天皇から下賜された錦を常に身に着けていたという。彼=会津にとって朝廷に反旗を翻す気などさらさらなく、むしろ京都の御所の護衛などに成果を挙げていたものが、めぐりめぐって朝敵になってしまったわけで、その気概を示していたのかも知れない。

 せっかく来たので、この敷地の中の茶室に足を伸ばし、抹茶をいただく。以前の記事で書いたが、千利休自刃後、そのお子さんを会津に招き保護した歴史がある。
 そんな気分でいただくお茶は格別な気がした。そして、ここから少し離れた御薬園に向かう。ここは、元々その名の通り薬草を育てる場所だったという。



 園内に目立つ建物が目に入った。これが重陽閣といい、昭和3年に秩父宮殿下に容保公のお孫さんの勢津子さまが嫁がれたとき東山温泉に作られたものという。
 現在はティールームになっているが、勢津子さまが9月9日生まれだったことから、重陽閣という名前になっているとか。


 会津の人々にとって、明治政府からいわばアウェイな扱いをされていたものが、ようやく復権を実感できたのが、このときだという。
 御薬園には、写真のように朝鮮人参も栽培されていた。スタッフの説明によれば、江戸時代に農民に栽培を奨励し、他藩に輸出することで、外貨獲得をしていたものという。

 また御薬園は、六義園のミニチュア版のような感じで庭園と茶室などもしっかりあり、こちらでも抹茶がいただけるようになっている。
 とはいえ、せっかく薬草を育てているところだったので、薬草のお茶をお土産に買いこんでいくことにした。少しは体調にいい影響があるといいんだが・・・
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