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先日テレビを見ていたら、びっくりするようなニュースが出ていた。青森県五所川原市が、名誉市民や市の褒賞の受賞者の配偶者を表彰するために設けていた「内助の功」をたたえる制度を廃止したというのだ。ちなみにトップ写真は、内助の功で名高い山内一豊の妻の像である。
一瞬耳を疑った。そして次の瞬間浮かんだ疑問にテレビで解説が入った。この制度、平成の大合併以降の受賞者43名全員が女性という。
逆に名誉市民や市の褒章に該当した女性はもちろん多数いるという・・・つまりこの制度は、配偶者ではなく妻を対象者にした制度なのだ。
最初に断っておくが、なにがしかの成果を挙げた人だけでなく、そのご家族を称えることに異論をはさむつもりはない。
ノーベル賞だって奥様が同伴というのは当たり前のことだ。ただ、この一番の問題は夫が活躍できるのは妻が家のことをしっかりやってくれるからで、これぞ妻の鏡だという空気を押し付けてくるからだろう。
個人的にいえば、妻が表彰されたときに夫も「内助の功」で表彰されるなら存続すべきだ。もっともその名称は不適切だが・・・
とはいえ、ここに至るまでこの制度が生きながらえてきたということは、市議会は何をしていたのか・・・というのと、そこに女性議員が何人いるのだろうかと。
この制度にひそむ「男女の役割の固定化」意識に問題を感じなかったのだろうかと。失礼ながら、オヤジ議員にとっては問題どころか、むしろいい制度という認識だったのではと。
まあ、結果論だが、なんとか平成のうちに廃止できてよかったね・・・と。
もっとも、以前の記事でも上げたように、依然として日本においては男女共同参画なんて言葉にはほど遠いのが現実。
そこに流れる家庭とか家族の在り方とかには明治以来の固定概念がいまでも根強いのが本当のところだろう。
保育園で子供が熱出したという連絡が、夫のところに来るなんて話は聞かないし、それって当たり前じゃんと思っている男性はおそらく90%以上だろう。
小学校で子供が問題起こしたという連絡が、妻のところに行かず、夫のところに来たなんて話も聞かない。
この例について「どこがおかしいの? 」と思った人は、なでしこジャパンのメンバーに「結婚してもサッカー続けますか」というバカきわまりない質問をしたレポーターのおかしさに気付かなかった人たちだろう。
柴崎岳や大谷翔平に「結婚しても選手続けますか」なんて質問をするだろうか。そんなバカな質問するわけないと言われる人は、なでしこのメンバーに同じ質問することの愚の意味がわかるのだろうか。
男性だと結婚しても選手を続けるのは当然、女性だと結婚したらやめてもおかしくない・・・なぜ、そう思うのだろうか。
少なくとも、そんなナンセンスな質問が許されるのはおそらく日本だけだろう。
だから昭和どころかいつの時代だよ、っていわれそうな死語でもある「内助の功」という言葉はともかくとして、実態はまだまだ道半ばどころか、入り口にようやくというところだろう。
ちなみにこうした固定概念は明治以降に出来上がってきたことは明らかであり、江戸時代以前は日本社会もそんなではなかったのだ。
このブログではたびたび書いているが、本当に明治以降の日本はよくなったのか。江戸時代はそんなにひどい時代だったのか・・・
それも含めて、平成の次の時代に問いたいところである。
あちこちの大学医学部で、女子の扱いが“特別”だったことも発覚した今年。
個人的にとても嫌なのが、「ママさん選手」という呼び方がなくならないこと。
しかもほぼ、「トレーニングのため、なかなか会えない○○ちゃんとの時間を…」などのエピソードが付き物なこと。
平成の次の時代もなくならないだろうなあ…。
そうですね、ママさん選手があるのにパパさん選手って言葉はないってこととかの不自然さもさりながら、余計なテレビの演出での子供とのエピソード、なくなるどころかますますと。
こうしたことがなくなるのはいつのことやら。