アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

修善寺観光

2010-09-17 06:19:26 | つれづれ
先日、母と一緒に修善寺の温泉に行ったことを紹介したが、ならば当然どこかに観光に・・・ということで、修善寺の観光をした。修善寺は、中伊豆の中心的な温泉地で、伊豆最古とも言われている。


 小生の田舎である伊豆の東海岸は、海辺ということで、温泉に潮が混じることが多いが、内陸部なので、ここの温泉は滑らかできれいだ。
 まずは修善寺の町の由来となった古刹の修善寺に向う。ここの歴史は古く、開山は1200年以上前。弘法大師が祖である。

 宝物館に入ったところ、裏山から出土したという独鈷があった。時代的には平安時代のものという。ここが古くから伊豆の中心だったことがわかる。
 そして、修善寺温泉の名物というと修善寺の前の河原にある「独鈷の湯」である。伝説によれば、親孝行の子供のために弘法大師が独鈷で河原の岩を打つと、温泉が湧き出したというのだ。

 もちろん河原だから、せいぜい足湯ぐらいの存在だが、観光客が絶えず訪れている。小生もこの写真の後、河原に下りた。やはりミーハーだ。
 さて、ここから指月殿に向う。伊豆で最古の木造建築といわれている。非業の死を遂げた鎌倉幕府二代将軍源頼家の母、北条政子の発願でできたという。


 そう、ここはかの頼朝が島流しに遭っていて、少年時代を過ごした地にして、近くの伊東で、北条政子と親しくなったゆかりの地。
 皮肉にも源氏の御曹司が、平氏ゆかりの北条につながったというのも歴史のあやか。またその政子の子の頼家が北条氏に暗殺されたのだからして・・・

 有名な岡本綺堂の修善寺物語は、修善寺の宝物館にあるお面をモチーフにしているが、伝説によると、このお面も頼家が漆のお風呂に入れられたときの由来という。
 さて、そんな歴史に思いをはせつつも、桂川沿いの渓流の眺めはきれいだった。近くの竹林とともにしばしの涼を楽しんだ。

 時間にすればわずかだが、平安時代から鎌倉時代まで、ちょっとしたタイムスリップ気分のひとときであった。
 修善寺はさすがに伊豆最古の温泉にして、観光地であった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 萬楽のアホーメン | トップ | かき氷はお持ち帰りOK »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事