先日の記事で紹介した、石井正則氏の写真展を事前予約し、さっそく見に行ってきた。会場は、多磨全生園の中にあるハンセン病資料館。
秋津の駅から歩くこと約20分、目指す全生園の入り口が見えてきた。正門は所沢街道に面していて、こちらは裏門にあたるようだ。
ここからハンセン病資料館に向かうが、地元の方は普通に自転車などで通過していて、施設が地域に根付いていることはわかる。
資料館に入ると丁寧なインフォメーションを受けて、展示室に入る。時節柄か、鉛筆やイヤフォンも配布してくれて、持ち帰ってくださいと。
展示室は定例の展示と今回の写真展の両方があり、まずは目的の企画展から見に行く。テレビでも紹介されていた写真がいろんなことを語りかけてくる。
個人的にはこの桜の写真(下右)が印象的だった。今まさに歩いてきた園内にあった桜は、1950年代に入所していた人たちが、地域の人たちとともに楽しめるようにと植えたものという。
写真展のテーマにもなっているこの部屋の写真も強烈だった。入所すると、最初に連れてこられる部屋で、一週間ほど過ごしたという。
おそらくは、二度と故郷には帰れない・・・そんな絶望感の中で過ごす一週間・・・想像を絶するほどの思いが渦巻いていたものと。
さて、定例の展示に進むと、これまでの歴史が様々な展示物とともに紹介されている。古くから存在は知られていて、科学的な根拠に基づかない迷信や誤解から始まり・・・
罹患した本人はもちろん、その家族におよぶ悲惨な日々・・・これについては、この限られた紙面で書くよりも、実際にご覧になることをお勧めしたい。
だが、特効薬が発明され、さらにその感染力の弱さなど多くのことが判明してもなお、この国は法律を変えず、それがかなったのは1996年のこと。
そして、損害賠償などが認められたのは2001年のことだった。しかしながら、問題は以前として残る差別・偏見だ。
21世紀になってなお、宿泊を拒む宿などもあるという・・・そして、この国民性は今まさに新型コロナについても繰り返されている。
罹患した人の住所を調べ、その家に近づかないとか、地方に帰省した都内の人が「帰省警察」で差別される・・・などなど。
こうした国民性であることを知りながら、政府もマスコミもただただ恐怖をあおるような報道しかしない。
確かに国が法律を直さずに放置した罪は重い・・・だが、おそらくは、それを直してほしくないという潜在意識も少なからず国民にあったのでは・・・と。
展示の最後に、こんなものがあった・・・法的には解決した後に取り戻せていないものとして、空白の展示だ。
「家族との絆」、「社会との共生」、「入所前の生活」、「人生の選択肢」・・・重い、とてつもなく重い・・・そんな思いを持ちながら帰路についた。
この問題は、終わっていない・・・いや、今なお新たに別の形でも・・・それは私たちの心の中にある。
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