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ここ数年、一部タレントからの暴露などもあり、24時間テレビへの賛否がうたわれるようになっているが、ついに・・・ということが今年は起こった。
こちらの記事をご覧いただこう。24時間テレビの裏・・・というほどの尺ではないが、そっくりのロゴを使い、NHKのEテレで皮肉たっぷりの番組が放映されたという。
元々小生、24時間テレビのうさんくささが鼻についていて見ないし、Eテレも見ていないが、惜しいことをしたと・・・
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また、検索したら「24時間テレビ富士山」というキーワードが出て、ひっかけたら、こんな記事が出てきた。小生がかねてより、うさんくさく感じる点の集約みたいな事象だ。
というと、お前にはチャリティの心がないのか・・・と刺されそうだが、小生には原体験がある。それが、第一回ラジオチャリティミュージックソンである。こちらの方が歴史が長い
1975年のクリスマスに行われた。当時は田舎に住む学生だったが・・・萩本欽一氏の司会で進められた、この番組に感動したのを覚えている。
実は、こちらは目の不自由な方に音の鳴る信号機を・・・というテーマで、「通りゃんせ基金」への募集として今でも行われているもの。今ではどちらが元祖かわからなくなっている感じだが・・・
目の不自由な方にとって、ラジオの情報は貴重だ。その意味で、このテーマはまことにラジオ向きなはず。
またラジオであるがゆえに、変てこりんな演出もなくシンプルに番組は進んだのがよかった。今でも覚えているのは、そのエンディングで当時萩本欽一氏と縁のあった前川清氏がスタジオを訪れたときに、萩本氏は感極まってしゃべれなかった。
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そして、ラストのラストで、ニッポン放送のキャスターが、萩本氏がギャラを全額寄付していることを伝えた・・・
これに比べると、テレビのなんともいやらしいこと・・・特に鼻についたのが、1978年の番組放映後、プロデューサーが「24時間テレビの仕掛け人」なんて言われてもてはやされているのを見たときだ。それって・・・何って(汗)
その時から、この番組がラジオチャリティミュージックソンのパチもん以下にしか見えなくなった小生だ。
すでに有名になっているが、あくまで番組である以上、ギャラが発生することに小生は異を唱えるつもりはない。ただ、たけしやさんまが言っているように、ギャラを寄付することを断っているのはどうよって・・・
いや、それすらも売名であって、そもそもチャリティは匿名ですべきものだし、この機会である必要もない・・・といえばそれまで。
ただ、今回Eテレが刺したことが、皮肉にも放送事故レベルの取り扱いになっていたというのが象徴的だ。
チャリティを否定するつもりもないし、バリアフリーのために協力したいと思う・・・だが、そのために怪しい感動ドラマの演出って必要なんですかって・・・
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