わが町なんてタイトル付けると、昔やっていた渡辺謙主演のドラマを思い出しますね。そう、エド・マクベインの87分署シリーズを日本風にアレンジしたドラマ。って、いつも話が脱線するな。
今回は、わが町喜茂別の事書いてみようかと思いまして。それで町並みを俯瞰できる場所はないかと色々行ったんですが、殆んど立木に邪魔されて見えませんでした。唯一、何となく判るのが上の写真です。
一番多い時で8千人を超えた人口も、今では2千人ちょっと。往時の四分の一です。本当に何もないですね。コンビニが3店、Aコープ(農協のスーパーマーケット)、あと飲食店が数店舗。ホームセンターやドッラグストアは勿論ありません。
そう言えば寿司屋がないですね。10年位前までは2店あったのに、店主が高齢で後継者もいないため閉めちゃいました。以前は我が家にも出前で届けてくれたのに、今じゃ握り寿司も食べられない。
病院は町立のクリニックが1軒、歯科医院は2軒ありますね。あと保育所と小学校、中学校、消防署や老人介護施設など生活する上で必要最低限のものはあるという感じですかね。私が通っていた高校は廃校になり今はありません。
町の基幹産業は畑作主体の農業ですね。じゃがいもやとうもろこし、小豆、ビート(甜菜、砂糖の原料)が多いです。最近はブロッコリーやトマトなどの野菜類を栽培する農家も多くなりました。あと、忘れてならないのがアスパラガスですね。戦後間も無く、他の地域よりいち早く耕作を始め、一時はアスパラガスと言えば喜茂別だったんです。それで、その頃の主力が今のようなグリーンアスパラではなく、ホワイトアスパラ。そのホワイトアスパラを集荷し、缶詰に加工するクレードル興農という会社がありまして、昭和40年代初め頃は海外輸出で隆盛を極めておりました。なにしろ、昼間やってるTVの天気予報のスポンサーになっており、毎日天気予報のバックにこの喜茂別の町並みが流れていましたから。あと、アスパラの収穫が終わる7月頃にアスパラ祭りというのを開催し、当時の有名歌手などを招き歌謡ショーなどもしていましたね。青山和子さん(年配の方だとわかる?)や森進一さん、尾藤イサオさんが来たのを覚えてます。そんなクレードルも、その後安い海外製品に押されあえなく倒産。再建後は東急グループの傘下となり、本社も札幌に移転、喜茂別には工場だけが残っています。
車の給油をするのに市街地に行ったら国道の排雪をしていました。この道路の下にも雪を流す流雪溝という水路が走っているんですけど、大量に投入するとすぐ詰まるんで、結構道路脇に雪が残っていますね。
9日はプラス気温となり道路の雪も溶けました。また補修作業しているみたいですが、ところどころ穴が残っているような。