貞観地震〈869年〉で倒壊した多賀城の復興瓦を焼いた登窯や記録の残る 仙台市瓦山町内会の古老の呟き
CORONAの幾種類もの
変異株が次々に出現している
人類は右往左往の日々だが
CORONAにしてみれば
生き残り作戦の策とか
なるほど
そんななかにあっても
地球🌏の営みは 不変
悠々と流れる 時間軸の
今 一時〈いっとき〉
CORONAに遭遇している
人類
西方 里山の奥には
雪を戴く蔵王連峰
雪解けの里山は
様々な山菜を恵む
その苦味・エグミは
冬から目覚める命の
活力となる効能が知られている
木々は若葉を広げ始め
小鳥たちは 梢に囀る
五月の風は 花々を散らし
そして 薫る
満開の八重桜を見上げる
彼方の空に
白い昼の月が懸かる
毎年変わらぬ風景
災害国 日本
有史以来 ・地震・津波・噴火・疫病・大火などに
次々と襲われてきたが
不死鳥の如く蘇り
今に至っている
今は 通過点
🟠4月の月例会は
蔓延防止措置の実施の為
お休みにしました
5月は19日です
🟠どんな雲☁️にも
銀の裏地がついている
ーイギリス🇬🇧の諺ー
暗雲の裏は
太陽の光で輝いている
必ずそれ相応の
よいことが隠されている
今の 忍耐の日々は
心の免疫力を
育てているのかも知れない
解剖学者の養老孟司氏によると
自然の定義とは
〝人間が意識的に
つくらなかったもの”
そして
〝自然の最たるものは
人間である”とも
よく「自然災害と対峙する」
といふ言葉を使うが
人間も自然のものであることを
考えると・・・・違ふ
人間は
〝人間が意識的に
つくってきたもの”に
心身を蝕まれている様に思える
一年中 快適な温度設定の建物
一日中 舗装された道路を歩き🚶♀️
一定の刺激しか受けない日常に
身を委ねている
五感を研ぎ澄まし
五感で捉える訓練を
してゆかなければ
五感は摩滅してゆく
咲く花を 視覚で
蕗の薹の香りを 嗅覚で
蛙の恋の相手を呼ぶ鳴き声を
聴覚で
山菜のほろ苦さを 味覚で
膨らんだ猫柳の
ビロードの様な産毛を
触覚で感じ
春酣〈はるたけなわ〉に酔ひ
心身を安定させ
CORONA禍を
上手に泳ぎましょう
〝不用品 何でも買い取ります”
こんな電話☎️が
かかってきたこと
ありませんか?
・家電製品・衣類・着物・bag
・靴👞👠・・・
壊れててもOK!と
上品な高齢女性のお誘ひ
ところが
おいでになられる方は
少々強面の方・・・
なんのかんのと理由をつけて
こちらの不用品は
あちらの方も不要
最後は貴金属・宝石💎
・ブランド品が目的
要注意‼️
お元気に74歳の誕生日を迎えられた まちこさん
おめでとう御座います
高校生時代からの 友達
あれから58年かな
バドミントン🏸部の
花形選手
私は 教室の隅っこで
本📕ばかり読んでる子
不思議な取り合わせ
そして いつも教室の後ろで
あなたの腰をトントン叩く
私
二人共 自分と伴侶の
四人の親を見送り
あなたはご主人様も
見送りました
悲喜交々の人生を語り合い
セーラー服のスカートの
裾をブルマーに挟み込んで
あられもない格好で
馬跳びをしたこと
女学校ならではの
修道女や先輩に憧れる風
短大進学や就職コースの
英語の授業は
「教科書📗から離れて
一年掛けて 若草物語を
読みましょう」
こんな思い出のアレコレを
共に懐かしんで話せる
あなたの存在は
かけがえの無い幸せです
いつまで経っても
四月二日生まれのあなたは
学年の一番のお姉さん
二月生まれの私が追い付くと
直ぐにまた 私をおいて
お姉さんの領域に
行ってしまう・・
足踏みして 待ってて下さい
私の大好きな
庭の カメリア
今年も咲きました
誕生日のお祝いに送ります
日々大切にお元気でね

台原界隈譚〈1〉
伊達政宗の長男 秀宗 は
故あって 四国 宇和島藩の
初代藩主となった
政宗が 財政に長けた家臣
山家清兵衛を伴わせたが
緊縮財政を勧めた為
反対派から「上意なりし」として
一家は全滅させられた
その後 財政難は回復し
清兵衛は見直され
秀宗によって清兵衛を祀る
和霊神社⛩️が創建された
後年 仙台の山家家によって
分霊された
その社は 台原五丁目に
遷された
〈台原五丁目12の30〉
また坂本龍馬の先祖は
屋敷の守神として
和霊神社を宇和島より
分霊した
脱藩の朝 龍馬はそこで
悲壮な決意を誓ったとの
説もある
私達の暮らす 瓦山の直ぐ近くに
政宗・秀宗・清兵衛・龍馬の
名残在り
2011.3.11東日本大震災から
10年を経て
形の復興は進捗したかに見えるが
心の傷は かたちを変えて
深まるばかりである
ちょうど卒業式の時期と重なり
被災地の挙行の様子が
各方面で取り上げられた
そのなかで
階上〈はしがみ〉中学校の
梶原裕太君の 答辞 が
年齢も立場も超えて
多くの人々の
心を揺さ振りました
今も 〝前を向いて進もう“との
勇気を与えて下さいます
添付しましたので
10年前のご自分に重ねて
お読み下さい
ある中学生の「答辞」
今年8月に刊行された
平成22年度『文部科学白書』に
東日本大震災で被災した
宮城県気仙沼市立階上〈はしがみ〉
中学校の卒業式で 梶原裕太君が
読んだ「答辞」が
全文掲載されたとNHKニュースで
報じられていました
一人の中学生の記した文章が
「白書」に
全文掲載されるということは
極めて異例のことだそうです
階上中学校の卒業式は3月12日
つまり震災の翌日に予定されて
いましたが 10日遅れて
3月22日同校の体育館で
行われました
卒業生の内一人は死亡
二人は行方不明という
悲しい状況のなかでの
卒業式でした
卒業式の模様はテレビで
放映されましたが
溢れそうになる涙を
懸命にこらえながら
未来へ向かう決意を誓う
梶原君の姿に
多くの人々は涙しました
ご存知の方もおられるでしょうが
「答辞」の全文を
ご紹介したいと思います
「答辞」
今日は未曾有の大震災の傷も
癒えないさなか 私達のために
卒業式を挙行していただき
有難うございます
ちょうど10日前の3月12日
春を思わせる暖かな日でした
私達はそのキラキラ光る
日差しのなかを
希望に胸を膨らませ
通い慣れたこの学舎を
57名揃って巣立つはずでした
前日の11日
一足早く渡された
思い出の詰まったアルバムを開き
10数時間後の卒業式に
思いをはせた友も
いたことでしょう
「東日本大震災」と名付けられる
天変地異が起こるとこも知らず・・
階上中学校といえば
「防災教育」といわれ
内外から高く評価され
十分な訓練もしていた
私達でした
しかし
自然の猛威の前には
人間の力は あまりにも無力で
私達から大切なものを
容赦なく奪っていきました
天が与えた試練というには
むご過ぎるものでした
辛くて 悔しくてたまりません
時計の針は
14時46分を指したままです
でも 時は確実に流れています
生かされた者として 顔を上げ
常に思いやりの心を持ち
強く正しく たくましく
生きて行かなければなりません
命の重さを知るには
大き過ぎる代償でした
しかし
苦境にあっても
天を恨まず
運命に耐え
助け合って生きていくことが
これからの私達の使命です
私達は今
それぞれの新しい人生の一歩を
踏み出します
どこにいても 何をしていようとも
この地で仲間と
共有した時を忘れず
宝物として生きていきます
後輩の皆さん
階上中学校で過ごす
「あたりまえ」に思える日々や
友達が如何に貴重なものかを
考え いとおしんで
過ごして下さい
先生方
親身のご指導有難うございました
先生方が如何に私達を
思って下さっていたか
今になってよく分かります
地域の皆さん
これまで様々なご支援を頂き
有難うございました
これからも宜しくお願い致します
お父さん
お母さん
家族の皆さん
これから私達が歩んでいく姿を
見守っていて下さい
必ず良き社会人になります
私は
この階上中学校の生徒で
いられたことを誇りに思います
最後に
本当に 本当に
有難うございました
平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表
梶原 裕太
1936年・昭和11年2月26日
2.26事件 85年前である
健全財政主義者で
軍部の要求する予算を
常に削った
大蔵大臣・高橋是清は
決起将校らの凶弾に倒れた
83歳であった
是清は1854年
狩野派の絵師と
行儀見習奉公の少女との
間に生まれた
妻は是清を憐れみ
その子を
仙台藩足軽・髙橋家へ
里子に出し 後実子となる
仙台藩士である
幕末 仙台藩は
足軽の子弟を選んで
横浜のヘボン博士に就かせ
英語を学ばせた
是清 11歳 その後14歳で
アメリカ🇺🇸留学もさせている
幕府瓦解の報で帰国
明治17年「共立学校」
〈現在の開成学園〉を創立
「大学予備門」
〈後の東京大学〉の
受験生の為の英語の
補習校であった
正岡子規が大学予備門を
受験すべく 松山中学を中退し
共立学校に入学
是清に学んでいる
また 落語家
五代目 柳家小さんは
2.26事件に徴兵され
同事件を体験している
「実弾を渡され ことの重大さに
慄然とした」と述懐している
たった 85年前の
出来事である
瓦山町内に 白鼻芯 出没
町内に空家もポツポツ増え
格好の棲みかになっている様子
・猫🐈の小型
・鼻筋に白い白粉を引いた様に
線が一本
身軽にピョンピョン
フェンスの上を渡り歩き
運動会宜しく 我物顔
屋根裏や軒下に棲みつかれると
糞や菌🦠の被害にあいます
ご注意下さい

庭に来た 白鼻芯
岡本太郎氏の父君
岡本一平氏が描いた
達磨さん と呼ばれていた
高橋是清