かはたれのジエン

イタチの最後っ屁 ・・・なので、コメントにも屁を垂れるしかできませぬ

利己と利他

2024年02月29日 | よしなしごと 

利己的な遺伝子

 最初に断っておきますが、この文章は「利己の権化」のような者が書いています。そのため、例によって加藤和さん の助けをお借りしてます。

 前に、「なぜ戦争はなくならないのか」という記事を書いた。まぁ、誰もが思うように、その根底にあるのは「エゴ」でしょう。では、「エゴ」はどこから来ているのか。

 まずは「利己と利他」について。遺伝子は「利己」的なのに、生物は「利他」的に行動することがある。「利己的な遺伝子」というのが、ひと頃流行った。まぁその通りだろうと思う。そうじゃないと、種は存続できない。が一方で、生物が利他的に動く時がある。例えば、育児。これには説明は要らないだろう(子供も他者ですからね)。また、人間は一人では生きられない動物だから、集団(100人)で生きるようにできている。だから、利他的な行動を取ることは当たり前なのである。

人間は「利他」的に行動することによって、種の保存の可能性を高めている。つまり、遺伝子レベルでは「利己」的な動きとなっている。人類存続という遺伝子の思惑通りになっているのだ。ただ、地球全体とか宇宙全体とかのレベルになると、我々のあずかり知らぬこと。神のみぞ知る、てやつだ。

 我々が普通「利己」的だと思っているのは、スケールの小さな「損得勘定」。これが「エゴ」。それと「利己」的な遺伝子のイメージとが結びついて、人間は何て自分勝手な生き物だろう、と思ってしまっている。しかし、本来人間は「社会的動物」であり、利他的な行動を取った時に「幸せ」を感じる。だから、後先考えずに思ったまま行動すればいいのである。いいことをした時の、あの爽やかな感じだ。

何かに悩んでいる時、寝る前にぐじゅぐじゅ考えているのが損得勘定。朝起きた時の「あ、これだ」が正解。

 資本主義の下、現代日本も都市化が進んで共同体は崩れつつある。さらにインターネットの普及等で個人化が加速し、自分勝手に動いてしまう時が多くなっている。金銭的に得することはあるかもしれないけれど、「幸せ」になっているわけではない。何か後味が悪いはずだ。

 スポーツなどの勝ち負けはどうなのだろう。あれは、自分に負けない、ということ。ただ、受験競争や今の部活動なんかはちょっとヤリすぎですな。せいぜい町内で競争するくらいでいいんだろうけれど。今は、幼少期からがんばらせすぎているのではなかろうか。我々も、オリンピック等で煽っているわけだが。

前に、スポーツ選手や芸能人と絡めて「カリスマ」について書いたが、「カリスマ」は単純に宗教的な教祖サマ。これも、熱中している人に言ってもなかなかわかってもらえないだろうけど、そういうこと。戦争の「敵味方」も、この「熱中」と関係がありそうだ。何事も「やりすぎ」はよくないね。

 では、戦争はどうなのだろう。我々は普通、100人くらいの集団に対して共感を持つようにできている。だから、数十億人の世界レベルの話は「わからない」はず。ウクライナやパレスチナに共感を持つのは、たぶんそのようなイメージ作りをされているから(ロシア・イスラエル=悪)。世界の他の地域で起こっているひどいことに、我々は関心を示さない。

集団内の利他的行動はわかるとしても、集団同士の争いが問題。「自分との闘い」と関係があるのだろうし、難しい問題だ。これも戦争の一因と思われるのだが、縄文人に聞くのが一番か。江戸時代も参考になるでしょう。

 周りを見ても、善い人だらけだ。なのに、こんなに「善い人」達が、コロナではあぁなってしまった。わからん。わかるんだけどわからん。伝染病などでは、やはり「利己」的に動くのか。その前にもう少し冷静に考えてほしかった。テレビだけじゃなく、周りを見てほしかった。これも「熱中」しすぎか。

加藤さんは、現代の精神的な問題を解決するために「自我を拡げることを勧めている。子供やペットに注ぐ愛情を、身の周りの人にまで拡げては、ということだ。親しい人を作り、人の世話をし、人のために生きる。この「親しい人」とは、「お気に入り」ではないので注意。簡単に言うと近所の人(選べない)と仲良く。まあ、基本に戻ろうということですな。

 

 

 

 

 

 


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