今日は日曜日。このあと人と会う予定があってその前に軽く事務所に出てきた。結局土日も関係なく事務所出てきてるけど、自宅にいるよりはひとりで落ち着く感もある(笑)。自宅だとダラダラするしかなく、事務所だとなんなりとやることもあったり本読んだりできるし。
最近、サムライ関係や異業種の人と会う機会もそこそこあって、楽しくもいろいろ考える今日このごろ。
そういうお付き合いにありがたいと思うと同時に、やはり自分の今の状況にも改めてありがたいと思う。
自分の日々の仕事ややるべきことをずっとやってるとそれだけで1日1日がすぎてもいくけど、そういう他の人と話すことによって自分のことや自分の状況を客観的に見られたりいろいろ感じられたりもする。
社労士関連でいえば、これから試験を受けようとか、これから開業しようとか、これから本を出そうとか、いずれ開業はしたいけどまず実務を積みたいとか、いろんな人がいる。
税理士さんとも話す機会があるけど、開業したての税理士さんと話してると共感できるとこがあったり学べるとこもあり、「一緒にがんばっていこう」と思うとともに「俺は失敗できん」とも思う。
そんな俺の状況を、周りの人からはうらやましがられたりもする。
税理士の人や、行政書士だけ、社労士の資格だけ、という人からも俺の状況をよく言われる。
資格ふたつ持って、やれることもそこそこあって、それでいて開業できて、って。そう言われもする。
確かにそうかもしれん、でも、俺は俺で誰も助けてはくれない、なんの保証もない立場になり、内心せっぱつまって考えてるとこもある。
実際に顧客を持って実際に仕事して収入を得ていかないと、いくら資格や肩書があろうがやれることがあろうが、「ただの人」でしかない。開業して間もなくで廃業したり結局どっかに勤めることになる人がいるのもわかる。そして俺自身もそうなりかねん。
それでも、試験のことや新しい事業のことなどでその人それぞれの悩みを聞いてると、俺はまだ自分がやりたいようにとりあえずでも形にはできてきたから恵まれてる、だからこそなんとか、這いつくばってでもうまく続けていかねば、と、浮かれるよりさらに危機感を感じてまさしく身が引き締まる思いになる。
俺もせっかく自分の夢のひとつをかなえられる段階まで来て、いっちょまえに自分の城を持つことができた。そこで「やっぱしんどいからやめます」ではカッコもつかん。カッコだけではやってけない現実もあるけど、それでもやはりプライドや意地もある。
俺も自分でそうなりたいためにこれまでやってきたのもあるけど、それだけの時間や苦労もあった。俺のことをよく言ってくれる人のこともありがたいとも思うけど、でも、そういうのもその人らがさらにそういう時間や苦労や経験をすれば、きっと今の俺よりうまくやれることも当然あるわけで。
そして、そういう人も、そういう立場、そういうステージに来て初めて思い知ることもあるはず。
そんな時、今の俺みたいに過去の自分と重ね合わせて振り返ったりもすると思う。
俺もかつて、バッジつけてる人や名刺に「~士」という肩書がある人を見てうらやましいとも思った。かつての俺は、資格試験で挫折を繰り返し、自信もなくし、でも他業種の仕事に就いてまたゼロからやってくことも考えられずずっとサムライの業界に固執し続けて安い給料の事務員でいた。だからそういう自分が試験に通る、資格を持って独立するということに憧れてたけど、実際そうなった人のその内情まではわからなかった。ただ、その場で「カッコいい、俺もそうなりたい」と思ってただけだった。
そこで10年ほどたっていざ自分がそうなると、実際自分がそう憧れたり、俺の師匠の先生に憧れて、試験も長いこと受けて(笑)実務も長いことやってきて、ようやく開業してここまできたけど、それからさらに現実の厳しさや試練というものを思い知って、ホント浮かれてるヒマとかホッと一息ついてるヒマはない。
全然「これでよし」なんて思える余裕もない。
むしろ、「これじゃあかんやろ」ってことばっかだ。
だから「今の俺」がどうしないといけないか、最近はそんなことばっか考えてる。
そして、現実は「考える」だけではなく、「実際にやる」ことが必要。
まさしく、考えてばっかではなく、「いつやるの?“今”でしょ」だ。
自分が今の立場になって、自信がついたり、かたやあやふやなまま実務をこなしたり(笑)、対外的に気さくに振る舞えるようになったり、そういう自分の好きにできるとこも増えたけど、俺は当然周りの人から言われるほどまだまだ“うらやましがられる”身分でもない。
そういう自覚はある。
人は、それぞれの状況、ステップがある。
今の目標をクリアーしたら、次の目標やステップがある。
ひとつの区切りや試練を越えたら、さらに次のステージ、試練が待ってる。
試験目指して通ったら次の目標が出てくる、開業したらそれはそれでそのステップで目指すことが出てくる。
でもそれぞれのステップで満足してたらそれまで。
だから自分が向上したいなら、次のステップ、目標を常に設定してそれに挑んでいかないといけない。そういう意味では終わりはない。
別の例だけど、たとえば、難関の大学に行きたいからと浪人してまで大学受験してる人が、いざ念願かなって合格して大学に入ったら、大学で何していいかわからん、というような、燃え尽き症候群みたいな、そういう人もいるようで、それは俺らの資格試験、業界でもいえる。
サムライ(士業)に憧れるとか、最初の動機やきっかけがあったり、他の人を見ての憧れから試験を受ける、合格を目指す、最初はそういうスタートかもしれん。でも、試験をクリアーしたら次はどうするか、それはその人それぞれが考えることでもある。それでも、時間は流れるし自分もトシをとっていく。周りの動きも気になるだろうし、周りが動けば「自分はどうあるべきか」って考える機会も増える。時には焦ることもあるかもしれない。でも、やるのは自分。自分なりのタイミング、やること、目標は人それぞれあるし、そこでホントに動いて、実践して、結果を出していけるか、経験を積めるか、そこまでの努力を続けられるか。
そして、それを経て次の試練、課題をどう自分に課していくか。
そこで実際に何をどうしていくか、それでその人の次のステップ、次の目指すとこも決まってくる。
試験にうかったからそれでよし、で終わるわけでもなく、また、開業したからそれで満足、というものでもない。
先のステップにいる人や、自分が目指してるような立場の人をうらやましいと思ったり憧れたりする気持ちもあるだろうけど、それで今の自分がそれからどうすべきか。憧れて終わり、「いいなあ」で終わり、では、自分は変わらない。
実際、そういう自分より進んでる、目標を達成してる人個人も、それぞれそのステップでの悩みがあったり試練があったりもしてる。
そんななかでみんな努力もしてるし、日々向上心やモチベーションを持ってやってってる。
そういうのが感じられる話、付き合いはおもしろいし、ありがたいし、それを活かすべく自分もがんばろうと刺激になる。
正直、そういう付き合いや話だけでは事業はやってられないしカネも入らん(笑)、でも、何をやるにもまず気持ち、熱意、危機感、情熱、だ。そして、何をやるにも自分がやるんだから自分にそういうのがないと自分には何も起こらない。
「そうしたかったら、そうなりたかったらがんばれ」と言うしかないし、俺も自分にそう言ってる。
まあ、それこそ、フェイスブックやらメルマガやらでやたらそういう精神論を語るようなセミナーを宣伝してくる人もいるけど、そういうことも俺はこのブログで書いてはきたけど、どういうとこで自分に実際に有益な刺激を得られるかも自分自身が決めること。そこから何を得てどうしていくかもその人次第。
今の俺の次のステップ、目標は、自分の事業を安定させること。多少なりともカネの心配をしなくて済むようになること(笑)。
だから、俺が次に見てる人らは、たとえばサムライで稼いでる人、顧客を多く抱えて従業員も雇ってるような人。
そういうレベルに憧れて目標にして、今後は目指していく。
みんなそれぞれのレベルやステップで悩んだり苦労したりしてるもんだ。
ラクしてそれなりの結果を出したり成果を出してるもんでもない。
そういう意味ではみんな同じ。
一気に試験通っていきなり開業してラクして軌道に乗る人なんていない。
開業して数年たって、従業員を雇ってる人でさえ、まだまだ地道な営業をしていろんなとこに顔出して足を運んで、って苦労してやってる。その過程で悩んだり従業員の給料の原資を稼ぐべく奮闘してたり、それはそれでそういうレベルの人も大変だ。そういう意味では、安泰、安心ってもんはない。常に走り続けないといけないし、「気を抜いたり止まったりしたらそこで終わり」、とも言ってた。
俺もさんざん資格試験で悩んだし絶望的にもなったし、実務で失敗したり怒られたりもした(笑)。そういうのを経て今の俺があり、それでようやく今のステップまで来た。そして当然まだまだこれからだから俺も走り続けないといけない。走り続ける以外俺が進歩、向上できる道はない。
それはそれでしんどいし、先行きも不安だけど、どうせやるなら自分がかつて憧れた道、開き直ってやれるだけやりたい。カネはなくとも(笑)、そういうモチベーションや情熱、そして初心は持っていたい。
日々の生活や仕事、家庭や家族、環境など人それぞれいろんな状況がある。そんななかで自分をどう変えていきたいか、どうしていきたいか、そう考え、そして実際に行動することでそういった目標や憧れに日々近づいていけるものでもあると思う。
俺もこんだけエラそうに書いてたら、実現できるようにやってかねば、と。
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