歴史と風俗博物館の手作りコーナーの入口に
小さな図書書籍の本棚があり、学習もできる机も
あります。
さすが県立だけありまして、少ない蔵書なのに気の利いた
書物ばかりで関心を致しました。
その中で明治維新、幕末の頃の簡単な図解入りの歴史本
があり平凡社だったと思いますが、)
手に取り机に向かいました。
春近しとは言いましても、豪壮なコンクリートの建物の
一階にはまだ足の冷えが残る座り心地という感じでした。
どうしても明治維新や幕末は目をそむけたくなるような
事件ばかりで(それも詳しく述べられている)
またこの後戦争への道をたどるので、
江戸時代の哀愁の方へ目が行くのが常ですが、
果たしてこの時、
一般の人も無法地帯に追随したのか?
国周筆(くにちか)
「諸色戯場春昇初」(しょばいかぶきはるのあげそめ)
この絵は物価がドンドンと上がるので抗議している様子
です。
白米、酒、ロウソク、油、呉服、しるこ、醤油・・・
何でも、何でも上がるを凧を揚げて、
昇るに擬しています。
1866年は諸国大一揆が起こりました。
1866年(慶応2年)には百姓一揆が70件、都市打ち壊し
が25件、反乱は長州再征の始まった5月と6月に集中し、
しかも幕領に多かった。
集まった人々は経済要求の他、
「世直し」という政治要求もしていた。
1866年は1872年鉄道開業の僅か8年前の事です。
米の値段が僅か8年で10倍になっています。
いかに徳川幕府が困窮していたかが分かります。
反物屋に入って打ちこわしをする人たちです。
「ないない尽くし」
「木綿も古着も少ない、高くても裸ではいられない。」
この時には無宿物も沢山いたそうです。
江戸困窮人の屯集
(屯集とは人が群れて集まる)
露天で食事の仕出しをしています。
責任の所在を隠すための連判状
唐笠連判状
「わらだ廻状」
一揆は火の用心第一、米穀は打ち散らすな、質物へは手をかけるな」
と互いに自戒しあい統制が取れていた???
文化がクライマックスになったとき、
その国は衰えると言われるが?
私のせいにしないでください。
歌麿より
1872年鉄道開業の1年前の、
1871年(明治4年)11月12日、
イギリスから一号蒸気機関車輸入の年に
横浜から岩倉具視の使節団がアメリカへ出発した。
不平等条約改正の目的だつた。
金がないないない尽くしの明治政府だった。
明治初年の江戸城
7月17日江戸から東京になり東京城と呼び、
9月8日年号が明治となる。
つまり東京という名の方が明治と名付けたよりも
早かった。
素早かった。
日本だって本当に貧しい国でした。
日本だって本当に貧しい国だった。
お水だけいただければ、何にも欲しくはありません。
今回は少し暗いお話しになり御免なさい。
ここまでのお付き合い有難うございました。