交流電化方式の採用実現化がシステム全体の経済効率を向上させることが
出来た。
大宮鉄道博物館一階奥に展示されているパンタグラフは国鉄の粋を極めた
発明でした。
蒸気機関車から電気機関車そして電車方式の採用へ
電化でしょう!
「電化で行こう」の合言葉が意向で移行した。(笑)
仙山線で交流電化試験が行われた
東北電力
仙台の次の駅、北仙台から作並の区間
北陸本線や常磐線、鹿児島本線では実用化されてまもない単相の交流電化方式
が採用された。
新幹線は151系こだまの編成2400kwよりもはるかに大きい出力が必要で
12両編成でなんと8880kwというこだまより3倍もの大きな動力エネルギー
出力を要し、交流電化方式の船に乗った。
210キロを走っていた頃
小型軽量の下枠交差型パンタグラフ
従来の大きなサイズのパンタグラフ
この方式は
①車両に変圧器を設置するため架線変圧を高くすることが出来る
②変電所の間隔が長く設置できる
③商用周波数を使用できるため単純な設備設置になった。
④高圧を高くしたので、運転するための電流は小さく、パンダグラフの
集電部の構造(集電舟)が小型化できる結果、
慢性力は高く追従性が向上する。
そして初めて蒸気機関車が明治時代に日本へ到来した時には、
国が貧しくて狭い1067mmの軌道スケールを選んだが、
念願の1435mmの広軌スケールを混沌とした意見の中決定した。
小型化、軽量、高速化、緻密、安全性、高品質、信頼、そして勇気と実行、決断の
先代の国鉄魂が先導した夢ではなかった新幹線時代が叶った!
電圧は在来線の2万ボルトから2万5000万ボルト(国際線標準規格)に引き上げられた。
東海道新幹線の四分の三は60Hzの地域にあり拡大が想定されたので、全線を60Hzに統一した。
関東地方地上設備には周波数変換装置を設置し50Hz を60Hzに変換した。
((商用周波数は富士川を境に東日本は50Hzで西日本は60Hz)
長い苦難の道のりが続いてそれを乗り越えてきました。
今度は若者が続く番です。
白雪姫は今日大宮鉄道博物館へ行き、感激の涙を頂きました。
子孫への贈り物を有難うございました。
なんか行く年来る年みたいになってしまいました。
合掌!
誇りに思います、お父さん!