古典SF名作 われはロボット「うそつき」を投稿しました。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42769011
SF的な面白さは折り紙付きだが、人間ドラマとしてみると悲劇である。
ハービィーは「さとり」の化け物だ。人の心が読めてしまう。
妖怪の「さとり」は悪意を持って人の心を読み、それを相手に知らせることで思考力を奪ってしまう。
ハーピィはそうではない。思考を読みそれをロボット工学三原則に従い、善意(?)をもって人と関わろうとする。
悲劇なのはハーピィが多くの人間と出会わなかったことだろう。彼は隔離され個別にしか人に会えなかった。
彼の知りえる情報は少なくフレーム問題を引き起こすことになる。
たとえ、大勢の人と会えており、博士たちとの関りを知ってしまっていれば彼は何も話すことが出来ないだろう。
現行のロボットの制約下においては彼の存在は許されるものではなかった。
後にアシモフによって第零条が追加され、第一条も改変される。
そしてロボットが人類に全体の幸福を追求するようになれば、ハーピィはまた違った運命を辿ったのかもしれない。
さて動画作成についてだが、前編ではハーピィをフランケンシュタインのような不気味な存在として描いている。
後編での哀れな姿との対比はうまくできたと思う。
動画作成中は何度も動画確認し、細々とした修正をしながら作っている。ただ、今話では負の人間感情の連続で心が疲れてしまった。
最後のキャルヴィン博士の言動は原作とはやや違う。ゆっくり文庫版カルヴィン博士がロボットに慈愛をもっていたように、怒りが過ぎ去った後
彼女は後悔したと思いたい。そういうわけで改変した。自分のために。
ハーピィの言葉をかりるなら
「そうしなければならなかった!!」