うつ解消マニュアル(脳及び心疾患・癌・認知症・更年期障害等々)

医者や薬は、むしろ症状を悪化させます!
治すのは、自分自身です! 
1回目並びにQ&A及び解説も、必ず読んで下さい!

第50回目 再録!.「飯島愛」・「瀬戸内などの言葉」・「愛と死をみつめて」・「ありふれた奇跡」

2009年08月30日 16時48分48秒 | 「素晴らしき人々!」
うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)

第50回目(2009・8・30作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)

リクエストに応えて、再録します!
カテゴリー「人、ひと、人物」

グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104


ブログの左側のカテゴリーを手がかりに
記事を読んでくれている幾人かのブログフレンドから、
適切に仕分けされていない記事があるという話がありました。

実は、投稿記事に対して、カテゴリーはひとつしか付けられません。
だから、二つ以上のカテゴリーを含む記事の時は、
主な記事のカテゴリーにしていました。

カテゴリーで読んでいる、読みたい、再読したいの要望に応えるべく、
二つ以上のカテゴリーを含んでいる投稿記事をカテゴリー別にしてみました。

最初からお付き合い戴いている、
全部読んでいると言うブログフレンドの皆さんは、
44回目から51回目は飛ばして下さい。

以下、再録したものです。
悪しからず。







第24回目(2008・12・28作成)から抜粋
「飯島愛の死」


飯島愛さん(1972.10.31~2008.12.?)が、
24日に自宅マンションで死亡しているのが見つかりました。
享年36歳でした。(死亡原因は調査中です)

ちょっと気になったことを書きます。

薬の服用について、
警察(交番だと思いますが)に相談していたというのです。
そこで彼女のブログ(「飯島愛のポルノ・ホスピタル」)
を確認したのですが、
内容は次のとおりです。

飯島愛さんに敬意を表して、そのまま掲載します。



(北海道旭川市、蓮池公園)


「2008-02-24 17:56:09  posted by iijimaai

病んでたよ。

テーマ:ブログ

最近、検査でピロリ菌が見つかちゃいました飯島ピロリです。
この2ヶ月ほど、軽いノイローゼで大変でした。
精神疾病です。
抗うつ剤を処方されたので凹みました。抗うつ剤なのに....

さらっと書きましたけど....いやー、キツかったです。

痛みがない病気や、目に見えない怪我は、我慢してしまいがち。
疲労、ストレス、緊張、睡眠不足、
などの言葉で一切片付けてしまう習慣があるね。
大げさに悩む必要はないケド...
人間ドックの様にメンタルケアーも大切だと知りました。
話せる人がいて信じられる人がいて救われた。
人は独りでは生きていけないなぁー。

ね、受験生頑張ってるー!!! 寒いケド負けんなー!!!

なんちて...すっかり元気なったみたいです!!!
で、昨日、DJOZMAみてきたんだよー。
生OZMAの生おパンツ拝見して来たよいー。

あと、麻布でヨネスケ見たよー。ヨネスケ!!!

寒すぎ。バイバイ」



(北海道旭川市、蓮池公園)


軽妙な一見明るい語り口の中に、
うつ症状がみてとれます。
死亡原因は分かっていませんが、
もしこのうつ症状が
彼女の死に何らかの関係があるとしたら、
残念なことです。

医者の無能と薬の功罪が考えられるからです。

彼女は、ブログの中で冗談混じりでこう言っています。
「精神疾病です。
抗うつ剤を処方されたので凹みました。
抗うつ剤なのに....」

抗うつ剤は、そもそもモノアミン酸化酵素阻害剤
(MAO阻害剤)から出発しているのですが、
このMAO阻害剤は副作用が多く
現在ではほとんど使用されておりません。

その後、三環系、四環系、
SSRI,SNRI、DNRIと次から次へと、
おざなりの動物実験データーから
臨床(人体実験)にいたるのです。

脳には約140億個の神経細胞があるのですが、
実はこれらの神経細胞は繋がっているわけではなく、
隙間があります。
そこで情報を伝達するために必要になるのが、
神経伝達物質です。

この神経伝達物質は、皆さんご存知の
セロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンなどです。
(現在50種類以上が確認されていますが、
その働きが比較的分かっているのは20種類に過ぎません。)

これらの伝達物質の化学構造をみると、
アミンという構造を一つもっているので、
これらを総称してモノアミンといっているのです。

製薬会社は動物実験から、
このモノアミンが少なくなるとうつ状態になり、
多いと元気になるという結果を出しました。
それからというもの、
次から次へと薬を作り続けています。

詳しい話は今回はしませんが、
これらの薬は脳に直接働きかけます。
だから最初は良く効くのですが、
やがてその量では効かなくなり(耐性)、
その薬なしには生きていけなくなります(依存性)。

このことは、実は非常に恐ろしいことなのです。

彼女が冗談混じりに書いた
「抗うつ剤を処方されたので凹みました。抗うつ剤なのに」
ということが、現実になるのにはそれほど時間はかかりません。

薬を飲んで元気が出たのであれば、
薬が切れたらかなり落ち込むことになります。
 
量はどうでしょうか。
藪医者といえども限界量は守りますから、
あなたが望む量は出してくれないでしょう。

気が付いた時には、
幾種類もの薬で人体実験を余儀なくされ、
量も種類も増えています。
そしてその時には、
自分の力は何も使っていないので、
自己再生力(ホメオスタシス)の能力も
すっかり衰えてしまっているのです。

飯島さんの死には、
薬が大きく絡んでいると私は思います。

「薬は飲まない、飲んでも効いたらやめる」勇気を、
是非持ってもらいたいのです。

薬をやめたからといって
何も心配することはありません。
私達には自己免疫力やホメオスタシスがあるのです。

自分を信じてやる
(「信じているから、お前に全て任せる」
と自分に言うことも大事です)
と不思議なことですが、
脳と体が仲よく会話をしているという感じになり、
ものの考え方や身体の扱いに無理がなくなるのです。

私達の体が約60兆個の細胞から出来ていること、
そして約140億の脳神経細胞がある
ということの意味を考えて下さい。
体と心、どちらが大事と言うことではなく、
両方が微妙なバランスをとりながら
生きているんだと思うと
素直な気持ちになりませんか。

もっと、自分を信じて下さい。


今回のブログは、
飯島 愛さんのことに触れたので、
少々疲れてしまいました。
彼女に関する想い出を語る人に共通しているのは、
「とても気の付く心の優しい人」です。

そんな話をテレビで聞きながら、
曽野綾子の『「いい人」をやめると楽になる』
という本を思い出しました。




(北海道旭川市、花菜里ランド)



第26回目(2008・12・30作成)から抜粋
「瀬戸内寂聴・宇野千代・日野原重明・曽野綾子・ターシャ・テューダーの言葉」


瀬戸内寂聴さんは、
「すぐれた老人とつきあうことのほうが、
発奮させられ、元気づけられ、若くなって、
老いこまない秘訣ではないでしょうか。」
と言っていますが、全くそのとおりです。

随筆を読んでいると、
教えられることが実に多いのです。
お年寄りには、
経験や体験に裏付けされた哲学があるからだと思います。


瀬戸内寂聴(1922.5.15~、小説家・天台宗の尼僧)

「あなたはけっして、
ひとりぼっちではないのです。
人間は生まれた時から一人で生まれ、
死ぬ時もひとりで死んでいきます。
孤独は人間の本性なのです。
だからこそ、人は他の人を求め、
愛し、肌であたため合いたいのです。」

「人間は絶望する前に
希望を捨ててはいけません。
それは人間として傲慢なことなのです。」

「どんな辛い病気をしても、
死ぬ瞬間まで努力をして下さい。
人の命は、そうするに値するものなのですから。」

「みんな自分の身に起きた不幸が、
世界一のように思いこみたがります。
けれども世の中には
不幸と同じくらいの幸福もばらまかれているのです。
人は不幸のときは一を十にも思い、
幸福なときは当たり前のようにそれに馴れて、
十を一のように思います。」

「幸福な人のそばに寄ると、
幸福のほてりを受けてこちらも温かくなります。」


宇野千代(1897.11.28~1996.6.10、小説家)

「近ごろ、私はふと思うのですが、
私は、何だか死なないような気がするんですよ。
こんな私はおかしいでしょうか。
ハハハハ、ハ。」

「思いついた瞬間に行動する。駆け出す。
そして熱中する。
その習癖が私にいくつもの人生の出発を促した。
それは後悔する暇のない素早さであった。
素早い行動は悲しみを忘れさせてくれる。」

「人間は心が存在のすべてである。
私の関心はつねに愉しく生きることにあった。
男と別れたあと、スタイル社を興し、
四度目の結婚をした。
人の幸、不幸は環境ではなく、
心の持ちようで決まる。」

「人は生きて行く限り幸せを求めて行動する。
それが自然の本能である。
私の毎日はとても忙しい。そして幸福である。」


日野原重明
(1911.10.4~、医師・聖路加国際病院理事長)

「鳥は飛び方を変えることはできない。
動物は、這い方、走り方を変えることはできない。

しかし、人間は生き方を変えることができる。

繰り返す毎日の行動を変えることにより、
新しい習慣形成により、
新しい習慣の選択を人間は決意できる。

人間には選択の自由がある。
そして、意志と努力により、
新しい自己を形成することができる。
それは、人間と動物とを
根本的に区別するものといえよう。」

「生きることはたしかに苦しいけれども、
生き方を工夫すれば、
生きることを楽しみに変えていくことができます。
老いること、病むこと、死ぬことも、
逃れようのない苦しみではなく、
どのようにして老いるか、
どのようにして病むか、
どのようにして死ぬかを
工夫していけば、
こちらも楽しみにしていけるはずだと考えます。」


曽野綾子(1931.9.17~、作家)

「いい人をやめたのはかなり前からだ。
理由は単純で、
いい人をやっていると疲れることを
知っていたからである。

それに対して、悪い人だという評判は、
容易にくつがえらないから安定がいい。
いい人は
ちょっとそうでない面をみせるだけですぐ批判され、
評価が変わり、棄てられるからかわいそうだ。」

「人間は、どこでも、生きている限り、
他人から文句を言われると、
つべこべ自己弁護をするようになっているのだろう。

時には見え透いた嘘をついても
自分の責任を逃れようとする。
嘘はその瞬間の厳しさをのがれるためだし、
さぼるのは何とか息切れせずに生涯を終えるためである。

その卑怯さを自分にも他人にも許さないと、
最終的に生きていけない。
「ほどほど」とは、それがかなりうまく行った場合の、
むしろ褒め言葉だと思う。
卑怯さも、バランス感覚も、
諦めも、思い上がりも、謙虚さも、
すべて中庸を得ていない、と、
「ほどほど」にはならない。」

「どのような人が老人なのか。
私は今、比較的誰にでも当てはまり、
かつ、主観と客観の一致する方法として、
「もらう」ことを要求するようになった人を、
何歳からでも老人と思うことにしている。

肉体的年齢が何歳であろうと、
もらうことばかり要求している人は、
どんなに若くとも老人である、
という考え方である。」


ターシャ・テューダー(1915.8.28~2008.6.18、ガーディナー・人形作家・絵本作家)

「私はいくつに見られようと平気よ。
今の自分にできることをすれば、
91歳でも堂々と生きられるわ。」

「失敗や間違いを犯さない人など、いません。
がっかりしてあきらめてしまう
という選択もあるけれど、
それから学び、未来を信じて希望を持ち続け、
前を向いて歩んでいく
という選択もあるのよ。」

「生きていれば、
落ち込むこともあります。
状況を好転できると思ったら、
ぜひ努力すべきです。

でも、変えられないのなら、
それを受け入れて歩み続けるしかありません。
何があっても「生きていることを楽しもう」
という気持ちを忘れないで。」

「若い時は、
人間はいつかは老い、死ぬとわかっていても、
ずっと先のことで、信じがたいものです。
老眼鏡が必要になるとか、
体がいうことをきかなくなるなんて、
思いもしません。

いつの間にかそうなっていて、
ああ、光陰矢の如しだ、
人生は短いのだと、
気がつくんですよね。
でも、それに対してできることは
ほとんどないのですから、
それを堂々と受け入れ、
今の自分を楽しめばいいのですよ。」







第31回目(2009・2・2作成)から抜粋
大島みち子・河野実との往復書簡
「愛と死をみつめて」


私には2人の姉がいるのですが、
どちらも優しい姉です。
今日は、上の姉の話をしたいと思います。
最近、ちょっと疎遠になっています。
詳しい話は他の機会に譲りますが、
文学への思いはその姉の影響を受けています。

確か中学生の時だった思うのですが、
大島みち子さん(みこ、1942.2.3~1963.8.7)
と河野実さん(まこ、1941.8.8~)
との3年間にも及ぶ往復書簡・
「愛と死をみつめて」を読んだのが、
文学に関心を持つきっかけになりました。

それまでの私は、
到底文学には縁のない世界
(やんちゃな子供の世界)に生きていました。
読み進むうちに、
言葉の持つ不思議な力を感じたのです。
文字の力、言葉の力、それはまさに感動力でした。

実はその本を勧めてくれたのが、
上の姉でした。
家は貧しかったので本を読むなどという
環境にはなかったと思うのですが、
何故か姉は沢山の本を読んでいました。

父は大変な酒豪でしたので、
夜はいつも遅くに帰ってきました。
飲むと恐い父でしたので怒られないように
早めに床に入ったものです。
なかなか寝付かれない時は、
姉の語る昔話を楽しみにしていました。

姉は絵も上手で、
近所の人にも良く褒められていましたが、
文才もありました。

前回、道新いづみ欄に載った話を書きましたが、
その時に姉の道新いづみ欄への投稿文も一緒に見つけました。

今、不景気による派遣労働者がクローズアップされていますが、
姉の文章を読むと、
28年前と状況は少しも変わっていないんだと思い知らされます。

短い文章なので全文を載せます。
世の中がどんなに豊かになっても、
日の当たらないところは依然として有り、
まさに政治の貧困を感じます。






その前に、先に紹介した「愛と死をみつめて」から、
私が最も感動した手紙の一節を書きます。

若い私が、この中に書かれた詩に
どれほどの感動を覚えたか、
特にこの本を読み終えてから
この詩を読んだときの感動は、
今も忘れられません。


『まこ、貴方は私の何なのでしょう。
将来一緒に暮らせる望みなど
これっぽっちもないのに、
世間の恋人たちのように
一度だって腕を組んであるくこともないのに。

おそらく生涯病院で過ごしてしまうでしょう。
私をいつも暖かく包んで下さる貴方を、
ただ、
世間の人たちと同じように
恋人ですなんていっていいのでしょうか。

まこは私の神様かもしれませんネ。
幾人かの人たちは信仰を勧めてくれます。
でも私はまこだけを信じていれば
充分のような気がしますもの。


ミカン箱の茶ブ台にゆのみが二つ
低い天井に暗い電燈が一つ
こんなおへやに場ちがいのステレオが
美しい夢を運んでくる
肩を寄せ合って黙って聞いている二人
こんな日が一日だけでもほしい


ふと日記に書きとめた私の気持ちです。

私たちは
きっとすばらしい家庭を築けたでしょうに。
どんなに貧乏でも、
信じ、愛して、いつも明るく、
毎日毎日が夢のように
過ぎていくのじゃないかしら。

これが夢であるとしても、
私は不幸だと思いますまい。
こんな夢さえみないで、
若い命を奪われていった人たちが
いくらでもいるのですから。』
《昭和38年(1963年)2月23日付》


大島みち子さんは、
顔に軟骨肉腫という難病に冒され、阪大病院に入院、
この時、同じ病棟で河野実さんに出会います。

この時、大島さんは高校生、河野さんは大学浪人生。
退院後文通が始まり、
大島さんが21歳の若さで逝くまで続きました。
(大島さんが亡くなった日の翌日は
、河野さんの誕生日でした。)

「こんな夢さえみないで、
若い命を奪われていった人たちが
いくらでもいるのですから。」
とこの日の手紙は結んでいますが、
これは単なる想像や憐憫の情ではありません。

大島さんは退院後間もなく
再発して再入院しますが、
自分の病状も顧みないで
病気で苦しんでいる人たちの話を聞いてあげたり、
甲斐甲斐しく面倒を看ています。
そこで出会った人たち、
特に不治の病の子供たちと
深く接したからこその実感なのです。




(我が家のみみとまり)



第32回目(2009・2・18作成)から抜粋
山田太一脚本「ありふれた奇跡」


さて次は、
木曜日のTVドラマ、山田太一(1934.6.6-)脚本の「ありふれた奇跡」です。
前回の倉本聡脚本の「風のガーデン」に引き続いて、楽しみに観ています。

世界をみると、
特に第三世界をみると餓死者が日常的に出ているなど、
あまりの惨状に驚きます。

日本もつい最近まで、
特に戦時中や終戦間もない頃は
同じようなものでした。
そういう意味では、
恵まれた衣食住・テレビや
映画・音楽・車・飛行機・レジャー・
旅行・三度の食事・きれいな水等、
今の私たちには当たり前のものです。

世界の惨状や戦争を知っている人にとっては、
今の日本は奇跡と言っても
言い過ぎではないと思います。
つまり、奇跡がありふれているのです。

奇跡は、滅多におこるものではありません。
だから、奇跡なのです。
なのに、今では奇跡はありふれたものになっています。

私たちは、そういう奇跡の中で生きています。
なのに、私たちはちっとも幸せではありません。
毎年3万人が以上の人が自殺をしています。
何故なのでしょう。

脚本家山田太一は登場人物に、もしかしたら
死ぬまで抱えて行くであろう
自分の秘密をカミングアウトさせます。
山田さんは、今の時代の閉塞感や人間不信を、
語ることで乗り切ろう、乗り切れるんじゃないか
と言っているような気がします。

「本音を語らずして、豊かな人間関係は生まれない」
という確信のようなものを感じます。
一見学芸会のようなこのドラマには、
突然引き込まれ、私も仲間になって話がしたい
という衝動に駆られるようなところがあります。
優しくて直向きな人というのは、
やはりとても魅力があるのです。


私は自分のうつを周囲に隠しませんでした。
それは妻が乳癌になった時に、
隠さなかったことに
感銘を受けたせいかも知れません。

妻は同じ乳癌で悩んでいる人がいたら一緒に悩み、
もしかしたらその人の力になれるかもしれないと、
周囲には勿論、年賀状でも公にしました。

私が体験したことで言えば、
隠すと病気だけではなく、
隠しているという後ろめたさと
闘わなければなくなります。

心の病であろうと何であろうと、
堂々と周囲に伝え、
その病気と真正面から闘う方が
良いと実感しています。

もう一つ良いところをあげると、
仲間が出来ることと
自分より知識を持った者の意見が聞けることです。
それに隠していませんから、
話をした相手も一生懸命になってくれますし、
なんといっても病気に真正面から向き合うことが出来ます。

願わくは、病気を隠すことなく、真正面から向き合い、
ヒョイと乗り越えて欲しいものです。

病気になったら、何のことはない、後は治るだけです。


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