うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第33回目(2009・3・15作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)
「一生の不覚」
「親鸞の悪人正機説」
「みみのお願い」
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104
大ショックです
今しがた、サロマ湖100キロマラソンの申し込みをしようとインターネットでアクセスしたところ、
なんとナント、13日で締め切られていました。
不覚でした・・・そして13日は、なんと金曜日でした。
日頃から副交感神経優位の生活をおくろうと心がけていたとは言いながら、
あまりにボンヤリし過ぎていました。
6月28日の開催予定なので、まだ3ヶ月以上もある。
また、いつもある新聞広告もなかったので、
締め切りなどということは思いもよらないことでした。
11日に妻の入院、12・13日と出張。
言い訳にはなりません。
・・・それにしても一生の不覚です。
しかし、こんな時こそ、うつ解消法です。
否定後は使わない。
過ぎた過去は忘れて悔やまない。
未来のことは来てみないと分からない。
(しかし、今年は絶対に出られませんけどね。)
今回は7年振り10回目の挑戦になるはずだった100キロマラソン、
大いに期すべきものもありました。
やはり一生の不覚です。
以前の私では考えられない失態ですが、
正直こんなドジな自分が好きでもあります。
正直に告白しますが、100キロに7年振りに挑戦しようというのに、
無謀にも練習や体力づくりもしていませんでした。
もう少し暖かくなってからしようと思っていました。
過去の9回の走りで、100キロの過酷さは知り尽くしています。
だから、この一生の不覚は良い意味での奇跡かも知れません。
天の配剤かも知れません。
気を取り直して、
今年はハーフマラソンとフルマラソンをしっかり走りたいと思います。
来年こそは、100キロ10回目の奇跡を成し遂げたい
(北海道旭川市、花菜里ランド)
今回も私事で申し訳ないのですが、少々、皆さんのお目と想像力を拝借します。
もう10年以上前の正に草木も眠る丑三つ時のことでしたが、
私が寝ている寝室の戸が開いて、
お坊さんが「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(悪人正機説)
と言って私を指すのです。
私はそれはソレハ驚いて飛び起きたのですが、
その人はもうそこにはおりませんでした。
直ぐにその言葉は、学校時代に習った親鸞(1173.5.23-1263.1.16、浄土真宗の宗祖)のものだと分かったのですが、
何故私を指さしたのかわかりませんでした。
夢とは言いながら、それからずっと気になっていました。
うつが晴れていく過程で気がついたのですが、
私は自分のことを善人だと思っていましたから、
それを戒めたのだと思います。
「お前は自分のことを善人と思っているだろうが、
善人であろうとか善人であると思った瞬間から、お前は悪人になっている。
本当の善人は、善人であることを少しも考えずして善人である。
だが、安心しなさい。
お釈迦様は、そういうお前だからこそ救ってくださるのだよ。」
と、言ってくれたような気がするのですが、皆さんはどう思いますか。
ところで、その僧侶の法衣と姿形は、
教科書にあった親鸞の絵とは似ても似つかぬものでしたから、
何か不思議な気持ちでいました。
元々仏教の教え方が好きでしたが、
うつを克服するひとつの方法として、
あらためて勉強しました。
実はうつ解消法が完成する少し前の平成18年1月に、
親鸞について勉強していくうちにこの悪人正機説は、
法然(1133.5.13-1212.2.29、浄土宗の開祖)の教えであること、
また法然以前にもこの教えの元(元暁(がんぎょう)、617-686.3.30、新羅の華厳宗の僧侶)があったことを知りました。
だから、私は密かに、法然が枕元に立ったのだと信じています。
(我が家のみみとまり」
次いでと言っては何ですが、もうひとつ、丑三つ時の話をしたいと思います。
これはごくごく最近のことです。
出だしが同じで申し訳ないのですが、
草木も眠る丑三つ時のことで、やはり私が寝ている寝室のことです。
我が家の猫・みみの助左衛門が入ってきて、
「この食べ物ではない。」とニャンとも大きな声で言うのです。
私は、ソレハそれは驚いて飛び起きたのですが・・・。
勿論、猫はおりませんでした
その前日、
同じキャットフードばかりでは栄養の偏りや良からぬ添加物が混入していてはと思い、メーカーや種類の違うキャットフードを買って与えたのです。
その時私の目をしっかり見据え、
「ニャー」と言って(鳴いたではなく、正に言ったという感じでした)、
一粒も残さず食べていた我が家の猫・みみが、
半分以上も残して去って行ったのでした。
私にとっては、不思議で大切な出来事です。
皆さんにも同じような経験はありますか。
これに懲りずに、またお付き合い下さい。
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第33回目(2009・3・15作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)
「一生の不覚」
「親鸞の悪人正機説」
「みみのお願い」
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104
大ショックです
今しがた、サロマ湖100キロマラソンの申し込みをしようとインターネットでアクセスしたところ、
なんとナント、13日で締め切られていました。
不覚でした・・・そして13日は、なんと金曜日でした。
日頃から副交感神経優位の生活をおくろうと心がけていたとは言いながら、
あまりにボンヤリし過ぎていました。
6月28日の開催予定なので、まだ3ヶ月以上もある。
また、いつもある新聞広告もなかったので、
締め切りなどということは思いもよらないことでした。
11日に妻の入院、12・13日と出張。
言い訳にはなりません。
・・・それにしても一生の不覚です。
しかし、こんな時こそ、うつ解消法です。
否定後は使わない。
過ぎた過去は忘れて悔やまない。
未来のことは来てみないと分からない。
(しかし、今年は絶対に出られませんけどね。)
今回は7年振り10回目の挑戦になるはずだった100キロマラソン、
大いに期すべきものもありました。
やはり一生の不覚です。
以前の私では考えられない失態ですが、
正直こんなドジな自分が好きでもあります。
正直に告白しますが、100キロに7年振りに挑戦しようというのに、
無謀にも練習や体力づくりもしていませんでした。
もう少し暖かくなってからしようと思っていました。
過去の9回の走りで、100キロの過酷さは知り尽くしています。
だから、この一生の不覚は良い意味での奇跡かも知れません。
天の配剤かも知れません。
気を取り直して、
今年はハーフマラソンとフルマラソンをしっかり走りたいと思います。
来年こそは、100キロ10回目の奇跡を成し遂げたい
(北海道旭川市、花菜里ランド)
今回も私事で申し訳ないのですが、少々、皆さんのお目と想像力を拝借します。
もう10年以上前の正に草木も眠る丑三つ時のことでしたが、
私が寝ている寝室の戸が開いて、
お坊さんが「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(悪人正機説)
と言って私を指すのです。
私はそれはソレハ驚いて飛び起きたのですが、
その人はもうそこにはおりませんでした。
直ぐにその言葉は、学校時代に習った親鸞(1173.5.23-1263.1.16、浄土真宗の宗祖)のものだと分かったのですが、
何故私を指さしたのかわかりませんでした。
夢とは言いながら、それからずっと気になっていました。
うつが晴れていく過程で気がついたのですが、
私は自分のことを善人だと思っていましたから、
それを戒めたのだと思います。
「お前は自分のことを善人と思っているだろうが、
善人であろうとか善人であると思った瞬間から、お前は悪人になっている。
本当の善人は、善人であることを少しも考えずして善人である。
だが、安心しなさい。
お釈迦様は、そういうお前だからこそ救ってくださるのだよ。」
と、言ってくれたような気がするのですが、皆さんはどう思いますか。
ところで、その僧侶の法衣と姿形は、
教科書にあった親鸞の絵とは似ても似つかぬものでしたから、
何か不思議な気持ちでいました。
元々仏教の教え方が好きでしたが、
うつを克服するひとつの方法として、
あらためて勉強しました。
実はうつ解消法が完成する少し前の平成18年1月に、
親鸞について勉強していくうちにこの悪人正機説は、
法然(1133.5.13-1212.2.29、浄土宗の開祖)の教えであること、
また法然以前にもこの教えの元(元暁(がんぎょう)、617-686.3.30、新羅の華厳宗の僧侶)があったことを知りました。
だから、私は密かに、法然が枕元に立ったのだと信じています。
(我が家のみみとまり」
次いでと言っては何ですが、もうひとつ、丑三つ時の話をしたいと思います。
これはごくごく最近のことです。
出だしが同じで申し訳ないのですが、
草木も眠る丑三つ時のことで、やはり私が寝ている寝室のことです。
我が家の猫・みみの助左衛門が入ってきて、
「この食べ物ではない。」とニャンとも大きな声で言うのです。
私は、ソレハそれは驚いて飛び起きたのですが・・・。
勿論、猫はおりませんでした
その前日、
同じキャットフードばかりでは栄養の偏りや良からぬ添加物が混入していてはと思い、メーカーや種類の違うキャットフードを買って与えたのです。
その時私の目をしっかり見据え、
「ニャー」と言って(鳴いたではなく、正に言ったという感じでした)、
一粒も残さず食べていた我が家の猫・みみが、
半分以上も残して去って行ったのでした。
私にとっては、不思議で大切な出来事です。
皆さんにも同じような経験はありますか。
これに懲りずに、またお付き合い下さい。
その言葉でどう思うか?・・と
書かされました。
当時は納得いかなくて、
いいことを一生懸命したのに、
なんで悪い人の方が仏様に近くなるのか?と。
・・先生から答えはきけませんでした。
でも、大人になり、流産してお墓をたて
たまたま浄土宗でした。
自分は子供を死なせてしまった、殺生をした、
離婚した、
また事故もおこしたりしています。
いろんな出来事がありました。
すっかり善人だなんていえない自分が
おります・・
離婚は、不仲な2人の別れが幸せな4人にならないとも限らない。(2組の幸せなカップルの誕生)
流産は、まだ子供を持つのは早い、まだ準備が出来ていないという内なる声かも知れない。(生まれてくる子供にとっての幸せはどちらでしょう)
事故は、故意にしろ過失のしろ、あなたは反省している。
自分が悪人と思った瞬間、仏様の眼には善人と写っているのかも知れない。
「自分は善人だ」と思っている人の中には悪人もいますが、「自分は悪人である」と思っている人はどうでしょう・・自分が悪人であることを認めることはとても難しいことです。
悪人であることは人の本性かも知れません。
それに気がつけるのは、悪人だからこそです。
仏様は、自分が悪人であることに気がついた人の心に善人を見ているのかも知れません。
あなたは、もうすでに仏様には善人なのですよ、きっと
もう自分を解放してあげて良いのではありませんか。