うつ解消マニュアル(脳及び心疾患・癌・認知症・更年期障害等々)

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1回目並びにQ&A及び解説も、必ず読んで下さい!

第16回目 サロマ湖100キロで出会った人々「乳癌の人」「妻のゴール」「癌の父」

2008年10月27日 21時17分17秒 | 「マラソンって、奥深い!」
うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)

第16回目(2008・10・27作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)

サロマ湖100キロマラソンの想い出
「乳癌の人」
「妻のゴール」
「癌の父親」

グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104





この解消法にいくら自信があっても、
勧めている人間の姿が見えないのではやはり心配な人もいるのではないかと思い、時々自分の想い出などを書いています。
前回に続いて、お付き合い下さい。
 
私は、5年前まで連続サロマ湖100キロマラソン出場していましたが、
その時の想い出をニ、三お話します。


まずは、「乳癌の人」のこと。

「北海道のこのサロマ湖の自然は、私に一度も同じ姿を見せたことがない。
あなた達北海道の人は幸せだ。」
これは、サロマ湖100キロマラソンに毎年出場しているという人の言葉です。

確か、55キロを過ぎて間もない地点だったと思うのですが、
道端に崩れるように倒れた私に、
「これを飲んだらいい」と自分のドリンクボトルを差し出してくれた人でした。
 
私は、体力的にも精神的にも限界でした。
その人は、私のために十数分以上も付き合ってくれました。

「サロマ湖が自分を救ってくれた」と屈託のない笑顔です。

その人は言います。
「私は真面目に生きてきました。
何も悪いことをしたことがないのに乳癌になり、
何故という疑問が神や仏を恨むようになりました。

でも何の解決にもならなかった。

すさんだ私を見かねて、親友がマラソンを勧めてくれました。
他の苦しみが今の苦しみが忘れさせてくれるならと思って始めました。

100キロは苦しかった。本当に苦しかった。

確かに乳癌を考える余裕などない苦しみではあったけれど、
恨みどころか感謝の気持ちで一杯になりました。

不思議ですね。」

そういう力をこのサロマ湖100キロマラソンは持っている。
サロマ湖は毎年全く同じ景色を見せたことがない。
毎年違った顔を見せてくれる。それも毎年美しくなる。

「・・・私もこのサロマ湖の自然のように生きたいと思いました。
乳癌にならなかったら、
自然がこんなに素晴らしいものだったことに
一生気づかずに過ごしたかも知れません。

だから、あなたにも頑張って欲しい。」

「絶対にゴールしなさい。
途中でやめることになっても、来年のためにもこの素晴らしい自然を忘れないで」
と言って、その人は走り去りました。

彼女は12時間近く走る中で、自分と徹底的に話し合ったのだと思います。
サロマ湖の自然は、彼女の心の暗い背景に彩りをつけたのだと思います。

北海道に生まれ住んでいることに、チョッピリ誇らしく思ったものです。



(北海道旭川市、上野ファーム・「風のガーデン」のガーディナー)


次は、「妻のゴール」です。

1991年の一度目の挑戦から連続5年間完走、その後4回挑戦するも途中棄権(70,55,60,70キロ)・・・
延べ9年間サロマ湖を走って?来たのですから、
ゴールの感激は誰よりも知っています。

12時間30分の時間制限があるのですが、
11時間以上走ってきた人の満面の笑顔が見たくて、
3回目頃から最終ランナーまで見届ける癖がつきまた。

多くの感動のゴールを見てきたのですが、
ある人のゴールは私の胸を打つものでした。

途中棄権者を乗せたバスから60代と思われる男性が降りてきました。
その人はゴールに走って行き、何やらお願いしています。

聞くともなく聞いていると、
「自分は80キロ地点のワッカ原生花園
(神岡龍太郎はこのゴールまでの20キロを神の居るところと表現しています)
の入り口で制限時間になってバスに乗ったが、妻は今も走り続けているはずだ。

12時間30分の制限時間には間に合わない。
妻にゴールのテープを切らせたい。
妻のゴールまで付き合って欲しい」
とお願いしているのです。

係員は、「まだ時間があるから心配しないで」と笑顔で答えています。

私は、80キロからの苦しさを知り尽くしているから、
この人の思いがわかりましたので、
「私とあなたでゴールのテープを張りましょう。」と申し出ました。

その人は嬉しそうに「ありがとう」と満面の笑顔です。

そして、想像したとおり12時間30分の制限時間を過ぎても姿を見せません。
私は半ば諦めていましたが、その人は諦めていませんでした。

じっと前方を見つめています。
「あ!」と叫び声が上がりました。

手を振りながら走ってくる妻の名を呼びながら、
妻の元へ行き、直ぐに戻ってきました。
私にテープを渡すと「お願いします。」と笑顔です。

次の瞬間、テープの向こうのその人の顔は、涙で一杯になっていました。

何かこの夫婦には、辛い思いがあったのだと思うと込み上げるものがありました。



(北海道美瑛町、ポピーの丘と名付けました)


次の想い出は、「癌の父」です。

私がかつて、ゴールを諦めて倒れ込んでいた55キロ付近のことです。

天を仰ぐように、人が倒れていました。
シューズのつま先を真っ赤に染めていました。

最初の話に書きましたが、
私はこの付近で「乳癌の人」に鼓舞されてゴールを目指したのです。

あまりに元気がないので事情を聞くと、
「どうしてもゴールがしたい。
しなければならない。」というのです。

続けて、
「父は今、癌を宣告され死を待つばかりです。
そんな父に頑張って!と声をかけたい。

でも、自分を省みたとき、頑張った自分がいない。
こんな自分が瀕死の状態にある父に頑張れと言う資格はない。

そんな時、この100キロマラソンを知った。

このマラソンを走りきれば、
父に頑張れと胸を張って言えるのではないかと思った。」

私にはこの青年の言葉が痛いほど分かりました。
私にも乳癌を患った妻がいるからです。
ゴールをして欲しいと心から思いました。

それから、一緒に1時間くらい一緒に歩きながら、
サロマ湖の美しさやワッカ原生花園の神秘、そしてゴールの感動を話しました。

青年は、時間内にゴールが出来なくなるからと、
私に気遣って先に行って欲しいと言うのです。

自分は行けるところまで、自分の力で頑張りたいと言いました。

そして、仮にゴールが出来なくても、
親父に頑張った自分を語りたいと笑顔になっていました。


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1 コメント

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Unknown ()
2008-10-30 00:00:18
マラソン・・・それも、100キロマラソンをこんな思いを持って走っている方がいるなんて・・・お話を聞くだけで感動します。小さなことに不平不満を思っている自分が恥ずかしくなりました。
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