おんちゃんと最後に会ったのは、2011年5月の震災後間もない帰省の際、恵美ちゃんと兄に連れて行ってもらった時のことだ。
→その時の記事〔注1〕
おんちゃんは十数年前糖尿病を発症、それ以来闘病生活に入り、私が訪問した時には施設でリハビリに励んでいた。
といっても、私が訪れた時すでにおんちゃんは歩くことままならず、また意識が混濁して私を孫と間違えたりしていた。
状況を知らなかった私はショックを受けたものだった。
以前お酒をかなり飲んでいたことが病気の発症につながったとのこと。
たしかに石巻の泉町の自宅では「角瓶」をよく目にした記憶があるが(まちがいなく洋酒党だった)、年齢がいってからもだいぶ飲んでいたらしい。
糖尿に関して言えば大文字系では憲ちゃんも糖尿持ちだったので体質的なものがあるのかもしれない。
病気との戦いが何年も続いて今年6月誤嚥性肺炎を併発。22日に帰らぬ人となった。
* * * *
6月25日通夜と26日葬儀に参列してきた。場所は松島町の天静会館である。
3名の方が弔辞を読まれた。
地域の区長さんからは、おんちゃんが地域住民の親睦に永年努めたことへの感謝の言葉をいただいた。
鰐陵(石巻高校)同窓生の方からは、おんちゃんが日本で一番漁船を売った男であり、ライバルであり誇りであったこと(そういえばおんちゃんはよく山西の東京事務所へ出張に行っていた)、県民ホールでクラシック・ギターを奏で、句をものす、多芸の人であったことなど、尽きない思い出を語ってくださった。
通訳のボランティア団体の方からは、会の副会長を務め、何か問題が生じる度に解決のため東奔西走したこと、かつて女性会員が多かったことから男性会員の増加に尽力・貢献したこと、常々「伝えようと思えば伝わるんです」と通訳の極意を語っていたことなどを振り返られていた。
(私も生徒に面接で最も大切な点として言うのだが、伝えたいことがあるなら、あとは伝えようという気持ちさえあれば、伝わるものだ。伝えようという強い気持ちを持てば、言葉や技術はあとからついてくるものなのだ。)
享さんの「享」の字は、「享年」の享なので縁起が悪そうに見える。
「享楽」の享なので不謹慎に見えたりするかもしれない。
しかしてその原義は、
・受け取る
・すすめささげる
・もてなす
・飲食物を供えて神をまつる
うーむ、やはり何かお酒と関係しそうなイメージも強いが、「享年」というのも天から享けた年月ということなのであろう。
おんちゃんはその名の通り「享」の人であった。
遊ぶこと、学ぶこと、働くこと、交わること、音楽、文芸、スポーツ、酒、それらをことごとく享受し満喫したのではないか。
(たしかにお酒は少し飲みすぎたかもしれないが。)
そして、甥である私には、説教じみたことを言ったことはほとんどなく、いつも優しくお大らかなおんちゃんだった。
しかし、多才・多趣味が半端でなく、その悉くを極めた結果から推測するに、努力と克己と厳しさの人でもあったのだ。
そしてそれは人に押しつけないがゆえに人知れずのことであった。
↓タイトルに反し新しい出発の歌である。おんちゃんの与えてくれたものを携えて私はこれからも歩いていこうと思う。
* * * *
葬儀を終え、会場前で車待ちをしていると雨が降り出した。
トヨさんが言った。
「あらぁ、享さんだら…」
付記 享さんをおくる日
〔注1〕
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