大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

あまちゃん

2013-11-03 15:10:34 | 日記

今ごろあまちゃんにはまっている。

きっかけは下の動画。

オープニング曲が妙に脳内再生するので、朝晩の歯磨き時に一通り見てみた。

 

あまちゃんのテーマ曲とネコのたま第五弾「早く曲、流れないかなぁ、準備するんだもん」Japanese cat Tama5

 

あまちゃんのテーマ曲とネコのたま第九弾。「テレビの中のボク」 Japanese cat Tama9

 

・「そこまでやるか!!」

人物関係を丹念に描いて、その後の出来事や発言が各人物の中で多彩に響き合う、そういうドラマ作りの王道を行っているのは勿論だが、それ以外にも見どころが多い。

私が最もびっくりしたのが、ガウン・ショーのシーン。

失恋のショックから自転車のまま海に落ち、家で静養していたヒロインの「アキ」が、

寝床から起き出して夢遊病者のように寝巻のまま家の外に歩き出してしまう。

そこに夏ばっぱが駆けつけ、ドテラのようなものをアキの肩にかけて家の中に連れ戻すのだが、

上がり框に腰かけていたアキが突然ドテラをガバッと跳ね除けて立ち上がり、また家の外へフラフラと歩き出してしまう。

夏ばっぱがあわてて駆けつけ、またドテラを肩にかけ家の中に連れ戻す。

これが3回ほど繰り返される。

見ていて何のことか全く分からずにいると、直後に「分かる人だけ分かればいいのだ」的に、それがジェームズ・ブラウンというアメリカの歌手のガウン・ショーをなぞったものであるとのナレーション解説がなされる(ガウンをかけられたブラウンがアンコールの声にこたえてガウンを脱ぎ捨てるのが彼のコンサートではお約束の名物シーンなっているらしい。因みに私はジェームス・ブラウンについては「ゲロッパ」という曲ぐらいしか知らないし、それもほんのサワリだけである)。

いやあ、NHKの朝の連ドラの15分間の中で、3分間ほど延々と意味不明の、ドラマの進行の面から言えば全く意味のないシーンを流す、その大胆さ思い切りの良さに「そこまでやるか!!」の感を強く覚えたのであります。

 

・「笑い」

また、オープニングと並ぶこのドラマのメイン曲「潮騒のメモリー」も凄い。

メロディーは'80年代アイドルが歌いそうな「いかにも感」をプンプンさせているが、問題はその歌詞で、

「ジョニーに伝えて 千円返して」
「北へ行くのね ここも北なのに」
「三途の川の マーメイド」
「友だち少ない マーメイド」

「千円返して」は何のパロディなのか私は分かりません。はじめは空耳かと思いました。(「ジョニーへの伝言」は知っている。)

「ここも北なのに」とは、たんなるセルフつっこみでしょう。

「三途の川の」は直前の「来てよ その川 飛び越えて」にかけていますが、なんぼ命懸けの恋と言っても、恋する「マーメイド」に「三途の川」はないだろうと。

「友だち少ない マーメイド」。大きなお世話ですね。

こういう歌詞が、非常に泣かせる感動的なシーンでも延々流れていたりする。

こういう執拗さは、引きこもりから脱したヒロシをアキが最後まで「ストーブ」と呼ぶところや、大女優の鈴鹿ひろみにアキが最後までタメ口を利くところなど、随所にというかほぼ全編に散りばめられている。

そういう意味でこのドラマは笑いのドラマである。しかもその笑いは、関西お笑い系から、アニメ・オタクなどサブカルチャア的なもの、あるいは日常のオジサン・オバサン会話のぶっちゃけ・傷塩トークに至るまで、いわば現代の日本の笑いの文化のエッセンスをぶち込んだものと言えるだろう。(そういうごった煮感、チープさ、格調の低さは魅力でもある。それはオープニング曲のおもちゃ箱のように色々な音が詰め込まれているところにもよく表れている。)

 

【感動】あまちゃん「潮騒のメモリー」鈴鹿ひろ美薬師丸ひろ子)着物で熱唱!9月25日

 ↑これは「三途の川」が「三代前から」に変わったバージョン。
 
 

・「テレビで遊ぶ」

要はテレビで遊んでいるのである。

作り手の側がである。

それがいい。

'80年代テレ朝で「トライアング・ブルー」という深夜30分ドラマがあった。トンネルズと川上麻衣・河愛かずみがほぼ全編アドリブで(おそらく)演じ続けるこの番組は、スリリングで疾走感溢れ、テレビで遊ぶその面白さが見る側も感じることができた。それを髣髴させるものがこのあまちゃんにもあった。

おたく、アイドル、ひきこもり、地方、第3セクター、町興し、…。必ずしも明るいばかりではない現代的トピックを総動員しながら、観る側も演じる側も明るい気持ちでいられるのは、そういう「遊び」のスピリットが共有されていたからだろう。

 

・方言

東北出身者としては東北弁が気になる。

一概に東北弁と言っても地域によって相当に違いがある。

このドラマではそれを逆手にとって方言の面白さを出した。

その代表的なものが「じぇじぇ」だろう。

それ以外にも、たとえばアキがナレーションンで、

「今日はだいぶヘビーな始まりだげっと、そのうちまだバガみでえな話になるんだ」

なんてことを言う時の「バガみでえな」である。

ここでの「バガみでえな」は誰かを罵倒しているのではなく、「愚かだが愛すべき」といった語感がある。またここでの「バガ」の「ガ」は、鼻で抜いて発音する、いわゆる鼻濁音の柔らかい音の「ガ」であり、共通語の「ガ」のきつい音感はない。

また、あんべちゃんが「まめぶ」(何となく宮城の「おくずかけ」を連想させるが)について語る、

「あまいんだか、しょっぱいんだか、わがんねぇ~、おかずなのか、おやつなのか、わがんねぇ~」

と言う時の独特のリズム・抑揚は、一つの柔らかいメロディーを作っている。

そこには「方言は野卑である。しかし方言はポエチカルである」といった趣がたしかにある。

この作品では音韻的にも意味的にも方言の特性を上手く生かしていると思う。

 

・海辺の東北

東北のイメージというと、寡黙で辛抱強い、あの「おしん」のイメージが強いと思うが、このドラマはそういうものを覆した面もあるのではないだろうか。

開放的であるとともによくしゃべる。ずうずうしく強欲で逞しい。アクティブで何よりもユーモアのセンスがある。

今は海側と山側との区別自体が無効かもしれないし何ら客観的データはないけれど、東北でも海辺で暮らす人々の気性は、けっこう「荒い」のではないかと思う。そもそも言葉自体が荒いと感じる。昔学生時代に東京の友人が遊びに来た時、石巻の人同士の会話を聞いて、「なんでみんな喧嘩してんの?」と訊かれたことがある。それぐらい共通語からすると荒々しく聞こえるところがある。だいたい女性が「おれ」と言ってるぐらいだから、そういう言葉づかいをすること自体が、精神を荒々しいものにしているのではないかとも思う。

そういう荒々しさと野卑を、方言の軽妙なリズムを駆使して、一つのコメディ・テイストに仕上げたところにこのドラマの表現上の特徴があると思う。

 

・お気に入り

登場人物の中での私のお気に入りは、副駅長の吉田くんである。あのハマリ具合が何とも言えずいいのです。

 

付記

 小泉今日子はかっこ良かったですね。薬師丸ひろ子はかっこ悪いところがかっこ良かったです。原田知世が出てきた時はもうどうなることかと…(笑。

 

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