大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20240901 十和田湖畔の夕食難民ー青い森への旅の記録06

2024-12-16 09:05:00 | 日記

 奥入瀬ハイクを終え至福のソフトを堪能。 

 JRバス東北子ノ口駅はバス発着所だが土産物売場と軽食スペースもある。後で見ると「奥入瀬ソフトクリーム」とか「とわだ湖ブルーソフト」とか「ガーリックフランス(4本入 ¥350)」とか興味深いメニューがあった。(ガーリックフランスはフランスパンを使ったガーリックトーストらしく決してラ・フランス的なもののガーリック煮込みではないだろう。因みに青森はガーリック(にんにく)生産が盛んでそれで肥育した「奥入瀬ポーク」は当地の特産品である。)

 JRバス東北子ノ口駅15時30分頃発の最終便おいらせ号に乗車。15時40分十和田湖畔休屋に約10分程で到着。

 休屋駅前は遊覧船の発着所を正面に広場になっており左に「観光交流センターぷらっと」右にホテル群がある。とりあえず「喫茶 憩い」で紅茶を飲んで一息ついた後「ぷらっと」で配送済の荷物を受け取り宿に向かう。

 今夜の宿「十和田湖畔 桜楽(さくら)」のフロント。こちらは機械によるセルフチェックインシステムを採用している。私が「んー?」とディスプレイを覗き込みうなっているとフロントの男性が操作方法を説明してくれた(教えてもらわなくても表示を見ればできたのだが)。このシステムは徹底した人件費削減のためであろう。この時私の他に一組宿泊客がいてフロントは男性2名で対応していた。手続きを済ませ部屋に向かう前にフロント男性の一人に「このあたりで食事のできるところはありますか」と尋ねると「この時間開いているかどうか保証できないんですが…」と言いながら「ホテルを出てすぐ右に『かえで食堂』左へ行った先に『神田川』というお店がありますよ」と教えてくれた。最初の一言が何を意味するのかこの時は知る由もなく私は「よし!(夕食の店情報をゲットできたゾッ)」といった気分で「そう。ありがとう!」とお礼の言葉をかけたのだった。(疲弊していたためかリアルタイムの宿の全景写真は撮影していなかったので後ほど撮影したものを載せておく。)

 今宵の宿に「桜楽」を選択した理由を説明しておく。本来は「奥入瀬 森のホテル」にこの夜も宿泊するのが第一希望だった。だが休業らしく予約が取れない。そこで十和田湖畔に宿をとることにした。洋室でレイクビューでエレベーター有りの比較的安価な宿ということでこちらを選んだ。しかも天候不順で奥入瀬ハイクが不可能だった場合に備えて実は前日の8月31日から2泊で予約した。9月1日の午前中からチェックインできるようにするためである。「桜楽」さんにもそれが可能であることは電話で確認をとってあった。一方食事であるがこの宿では夕食は自室で冷凍食材を使いセルフ鍋を作って食べるというものであった。DIY(Do It Yourself=自分でやれ!)である。旅行に出かけてきてまでわざわざ自炊するつもりは毛頭なかったし(まして食材が冷凍食品では侘〔わび〕しい)観光地のホテル街なら近場に食事のできるところぐらいあるだろう。実際ネットで調べると飲食店はいくつか見かけるし。そう思って朝食のみのプランで予約したのである。因みに朝食は朝食会場で自分でホットサンドを作るというものでこれもDIYであるがこれはギリギリ妥協した。夕食をしっかりとれば朝食は軽いもので十分と思っていたからである。

 荷物を部屋に置きネットで「かえで食堂」を検索すると目当てのヒメマス料理やバラ焼きがあり営業時間は19:00までとなっていた。この時17時過ぎだったので「余裕だな。まあゆっくり食事したいので早めに行こう」と思い腰を落ち着ける間もなく出発。

 ホテルを出て右に行くと斜(はす)向かいに「かえで食堂」はたしかにあった。土産物屋も一緒にやっているようなお店である。しかし店内は暗くどうも開いている気配がない。「終わっているのか? おかしいな。」仕方なく反対の左方向にあるという「神田川」に向かう。あたりは街灯があるものの明かりのついた建物がほとんどない。途中右手に大きな建物(長さ40メートル・幅15メートル・高さ10メートルほど)が煌煌(こうこう)と明かりを灯して広場の中央に建つのを見かけ飲食店の一つも入っていそうだと思い建物周りを探索したがトイレしかなかった。なんでこんなところにこんな巨大で豪華な公衆トイレがあるのか謎だったがとにかく食事にありつきたい一心でさらに周囲を歩く。「神田川」はあった。看板は確(しか)と確認しなかったがこれだろうという建物を見つけた。しかしこれも店の中に明かりがない。開いていないらしい。さて困った。周囲に土産物屋らしきものが何軒か立ち並ぶものの明かりが見えない。辺りは暗い。そもそも廃業しているらしい店も見られる。
 そんな中。闇の中に一軒の土産物屋らしき店の裏側で露店風に明かりを点け五平餅かなにかを焼いているのを見つける。お店の人は一人いた。この辺に開いている飲食店はないかと尋ねるとこの時間はみな閉まってしまうのでないと言う。そうですかと仕方なしに五平餅を一個買い食べながらこちらで食事はできますかと尋ねると少しはできると言うのでそれではお願いしますと言って店の中に入る。土産物屋の食堂らしい木造りのテーブルやイスの飲食スペースがありメニューを見てとりあえずできそうなものと思い「リンゴのピザ」と「鍋焼きうどん」を頼む。正面が閉まっていたので「閉店間際か? 悪いな」と思い折角だからとビールも頼んでみる。正直店の人にやる気が感じられなかった(失敬!)ので過度な期待はできないと思いメニューもあまりよく見ず当地の名物料理がどこまでできるのかも確かめずとりあえずこの空腹を満たすとまでいかなくても3割ぐらいは腹に食べ物を入れておきたいぐらいのつもりで注文したのだ。

 まずビール。どんなグラスで飲んだか記憶にないが普通のビールの味がした。たしか黒ラベル(アサヒ)だった(不確か)。やってきた「リンゴのピザ」。何となく見た目貧相だった。食べてみると「リンゴのピザ」の味がした。それほどリッチな味ではなかった。それでも不味(まず)くはなかった。次に「鍋焼うどん」がきた。どんな器か思い出せないが土鍋に「うどん」と「蒲鉾」と「麩(ふ)」が入っていた(と思う)。食べた感じとしてはスーパーで売っている生めんタイプの鍋焼きうどんと同じレベルの味わいだった。この料理につきものの卵などは入っていなかったように思う(あくまで私の記憶)。決して美味しくはなかった。だがそう不味くもなかった。それどころかひどく食が進むのを感じた。何か食べたものが体に沁(し)みるように感じた。おそらくこの日奥入瀬を12km歩いた空腹がこれら食い物を体を喜ばせるものに感じさせるのだろうと思った。体は美味しく感じていたのである。

 食べながら店主と話した。このあたりはどうですかと訊いてくるので奥入瀬渓流は最高だったこと飲食店の情報がもっとネットで共有できるといいことなどを答えた。店主は40代ぐらいの口ひげをたくわえた男性で訪問客が当地をどう見ているかを知りたがっているようだった。店主は近所で宿泊所を始めたという(おそらく団体客向け簡易宿泊所とか学生部活の合宿用宿ようなものかと勝手に推測)。私は十和田湖畔に廃墟の宿泊施設が散見されることから奥入瀬の素晴らしさはあまり世の中に伝わっていないような気がすること。ゆえにもっとアピールするといいというようなことを言った。また奥入瀬の辺りの激安民宿などは何年も先まで予約待ちのところがありそれは所謂インバウンド(海外からの観光客)がネットで良宿を精力的且つ入念にリサーチするからでその意味ではネットでの情報発信はおそらく有効だろうというようないかにも誰でも思いつきそうなことを言った。そんな話をしていると店内に若い男性が入ってきてここで食事はできるかと訊いてきた。聞けば私同様食事のできる店を探して彷徨(さまよ)っているらしかった。店主ができる旨を伝えると宿にいる母親を連れて来るので待ってほしいと言って退店した。うーむ。やはりこの地域は夕食に問題ありだなと思いつつ夕食を終え店主に謝意を述べつつ店を辞去した。

 店から宿まで暗い道を帰った。お腹に少し物が入ったお蔭かカメラを向ける余裕ができた。これが食事をとったお店(正面)である。(後で調べると「ねぶた」というお店だった。)

 こちらは例の謎の巨大公衆トイレ。この辺りで先程来店した若者が母親らしき人を連れて「ねぶた」さんへ向かうのを見かける。

 ホテル「桜楽」に戻る。こちらは約一年前にオープンした比較的新しい宿で以前はアウトドア関連の施設もしくは宿泊所だったらしい。

 エントランスのこれはおそらくニホンカモシカ。ふつうはもっと体が大きいのでこれは幼いものだろう。剥製(はくせい)か人形かは不明。

 フロント。

 お風呂に入る。とりあえず写真を撮っておいたのだが後から見ると北投石という石を通した温泉成分を含んだお湯らしい。普通にいいお湯だった。

 湯上りに無料のアイスを楽しんだ。ありがたかった。(空腹気味だったので。)ピンボケ御免である。

 私としては十和田湖畔で外食する際には是非「店の開店(閉店)時間」をよく確認することをお薦めする。できれば直接電話を入れて確認する。できれば予約することが望ましい。それが十和田湖畔で夕食難民にならない確実な方法である。(最初から夕食付プランで宿の予約をすればそれでいいのではあるが。)勿論「空腹は最大のご馳走である」という格言の意味を身をもって経験するチャンスを得たい方はこの限りではない。以上がこの夜当地で得た教訓である。

 奥入瀬ハイクで12㎞歩いた心地よい疲れと夕食を求め彷徨い歩いた理不尽(私にとっては)な疲れとでよく分からない心身の状態。よって宿の部屋の様子やら外の景色やらを撮影することもすっかり失念していた。記憶も定かではない。とるものもとりあえず2024年9月1日の夜は床に就いたのである。

 

 

20240901 十和田湖畔の夕食難民ー青い森への旅の記録06

 

 

付記1 「奥入瀬〜十和田湖」間の荷物配送サービスについて→奥入瀬手ぶら観光キャリーサービス

 

付記2 「喫茶 憩い」は「十和田グランドホテル南館」の建物内にあるが「十和田グランドホテル」が営業しているかどうかは不明である。

 

付記3 宿の部屋の様子等については公式HP「十和田湖畔 桜楽」で確認できる。場所はJRバス東北「休屋駅」から徒歩2分程度と至近であった。

 

付記4 

 北投石は秋田県八幡平にある玉川温泉で産出される温泉成分の沈殿・堆積した鉱物で国の特別天然記念物に指定されている。温泉効果が期待され医学的に安全性も確認されているとのこと。

 

付記5

つぶやいていない曲

Simon & Garfunkel - My Little Town (Audio)

 「My Little Town」(直訳すれば「私の小さな町」)はサイモン&ガーファンクルが1975年に発表した曲である。サイモン&ガーファンクルは1964年デビュー1970年活動停止。この活動停止後に制作した曲だ。その際の経緯(いきさつ)は次のようなものであったという。(以下引用)

    *    *    *    *

ー1975年の初め、ポール・サイモンは次のアルバム用の曲を書き始める。個人的な内容を含むものが多かったが、「マイ・リトル・タウン」を書いたときサイモンの頭にあったのはガーファンクルであった。≪元々はアーティのために書いた曲だった。彼の新しいアルバムのために書こうと思って彼に言ったんだ。「最近君は甘ったるい歌ばっかり歌ってるだろ。だから気分の悪くなるような曲をひとつ書いてあげるよ」と。アーティもその考えは良さそうに思えたようだった[2]。≫ [2^ Hyatt, Wesley (1999). The Billboard Book of Number One Adult Contemporary Hits (1. print. ed.). New York: Billboard Books. ISBN 9780823076932](wikipedia「 マイ・リトル・タウン (サイモン&ガーファンクルの曲」〔2024年12月16日閲覧〕による。)(引用終わり)

     *    *    *    *

 「甘ったるい歌」というのは記事「20240831 奥入瀬 森のホテルへー青い森への旅の記録01ー」で紹介した Bright Eyes (直訳[明るい目・輝く瞳・明眸])のようなガーファンクルの一連のソロ曲にたしかにあてはまるが実際「気分の悪くなるような曲」というこの曲の内容はどのようなものであるのか。(原文は引用すると著作権法上問題が生じる恐れがあるので下記のサイトで参照ください。その下に拙訳を載せる。)

    *    *    *    *

歌詞原文→paulsimon.com:lyric.My Little Town

私の小さな町で
私は信じて成長した
神様は私ら皆を見守ってくれていると

そして彼は私にすがってきたものだ
私が壁に向かって忠誠を誓った時に
主よ、私は私の小さな町を思い出す

学校の後に家に帰る
自転車を飛ばし工場群の門前を通り過ぎる
ママは洗濯し
汚れた微風(そよかぜ)が吹く中私たちのシャツを干してる

そして雨の後に虹が出る
そして色はすべて黒だ
色がないということじゃない
色が欠けるのはただ想像力の問題なんだ

何もかも同じなんだ
私の小さな町に戻るとね
私の小さな町 私の小さな町

死んだ奴か死にそうな奴だけなんだ
私の小さな町に戻ってくるのは
死んだ奴か死にそうな奴だけなんだ
私の小さな町に戻ってくるのは
死んだ奴か死にそうな奴だけなんだ
私の小さな町に戻ってくるのは

私の小さな町では
私は何者でもないんだ
私はただ私の父親の息子だっただけだ

お金を貯めて
栄光を夢見る
ひくひくしてる
銃の引き金に掛けた指みたいに

死んだ奴と死にそうな奴しか残っていないんだ
私の小さな町に帰ると
死んだ奴と死にそうな奴しかいないんだ
私の小さな町に帰ると

死んだ奴と死にそうな奴しかいないんだ
私の小さな町に帰ると
死んだ奴と死にそうな奴しかいないんだ
私の小さな町に帰ると

    *    *    *    *

 たしかに自分の故郷を語るのにこの歌詞はずいぶん辛口だろう。もともとポール・サイモンは一筋縄ではいかない歌を作る人だがこの曲を普通の故郷を歌う歌ととるなら彼の生まれた町ニューヨーク市クィーンズ区を歌っていることになる。人種的にも階層的にも多様な地域らしいがいずれにしてもこの詩の内容だけを見れば故郷の町をボロクソにいっていることになる。『コンドルが飛んでいく』でもコンドルの神々しさを直接歌うのではなくそれを見上げる人間の大地にへばりつく有り様を描いたように彼の歌の内容を考える時にはその観点に注意する必要がある。個人的には彼はこの詩によって彼の故郷の町を批判するのでも皮肉っているのでもないと思う。おそらく挑発している。それが最も近いのではないかと思う。「オラオラ、元気だせよ兄ちゃん」的なノリがあるのではないか。彼の持っている毒はかなり強烈なのでもっと適切な解釈があるかもしれないが私の理解としてはそんなところである。
 (彼もガーファンクルもユダヤ人であることから「この小さな町」が「イエルサレム」を指すという説もある。たしかにそうなると「 He used to lean upon me 彼は私にすがったものだ 」「the wall 壁」「gates 諸々の門」「dirty breeze 汚れたそよ風」「Nothing but the dead and dying/Back in my little town 死んでる奴か死にかけた奴しかいない/私の小さな町に帰ると」 といった内容も符合する。たしかにその意味は含まれていると私は思う。ここではこれ以上深入りはしないが興味のある方はお調べください。)
 この歌は彼の故郷に対する手荒い応援歌なのかもしれない。それが一部廃墟化も見られる十和田湖畔の町に似つかわしく感じられたし私にとっては芭蕉の石巻の宿の如き旅中の難事たるこの夜の出来事の毒…強烈な山葵(わさび)に思われたのだ。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 20241209 冬中秋有 | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事