ホテルの一角に「鰊番屋(にしんばんや)」なるものがあり気になっていたのでホテルの人に尋ねるともともと会席料理コース用の食事会場だが夜8時ぐらいまでなら見学できるというので入ってみた。「鰊番屋」は江戸時代から明治時代にかけて鰊漁で栄えた網元が作った「居宅」兼「漁業施設」。網元や働く漁民が寝泊まりする施設と大規模な鰊漁の作業場・加工場が一緒になった建物。北海道・東北の日本海側の各地で見られ特に明治期に財力に物を言わせ競い合うように建てられた豪奢(ごうしゃ)な造りのものは「鰊御殿(にしんごてん)」と呼ばれる。鰺ヶ沢も鰊漁で栄えた町であることから番屋があったと考えられるがこのホテルのものは北海道の鰊番屋に倣(なら)い再現したとのこと。「番屋」というより「御殿」にふさわしい造りだ。屋根裏が高く梁(はり)との距離があるのは北国の雪の重さを支えるためではないかと考えられている。時代を考えると贅沢な造りだ。
建物内に「12世紀、鰺ヶ沢における安東水軍の交易図」と題した絵が飾られている。「安東水軍(あんどうすいぐん)」とはこの地域に勢力をなした武士の一族である安東氏が擁した水軍のことである。「水軍」とはもともと海賊だったものが権力に組み入れられ組織化された水上の軍隊である(傭兵のように独立性を保った場合もあるらしい)。有事には水上兵力として平時には海運交易活動で生活を賄うとともに水上の治安維持の役を果たした。歴史的には源平合戦(壇ノ浦の戦い)で表舞台に現れるが安東水軍の場合元寇の際に日本防衛に多大な貢献をし通常の交易においては後の絵にあるように韓国・中国・インド・フィリピン・マレーシアまで活動域を広げていたという。史実的に存在と生活実態がはっきりしないらしいがこのような海での活躍から安東水軍を津軽の人たちが誇りに思うことは想像に難くない。尚(なお)私が好きな尾崎酒造の日本酒ブランド「安東水軍」がこの海の武士団をモデルとしていることは言うまでもない。
これは鰊漁のようすであろう。大量の鰊は加工されて鰊粕となり魚肥として北前船で西日本に運ばれた。江戸時代は人口増大から肥料の需要が増大したためである。こうして鰊漁は膨大な富を生んだ。その流通は経済の発展だけでなく文化の発展と交流をもたらした。しかし昭和期になると不漁が続き鰊漁は衰退する。原因は乱獲と海水温の上昇と考えられている。また蝦夷地では鰊漁のためのアイヌ民族の酷使がありそれがアイヌのコミュニティーの破壊を招いた。鰊漁の盛衰の歴史からは学ぶべきことはがいろいろとあるようだ。
*」 * * * *
翌朝もう一度温泉に入る。温泉分析書によればナトリウムー塩化物強塩泉。海底化石海水で塩分が強く砂も混じるワイルドな泉質。筋肉・関節の痛みや冷え性等々の適応症(治療用となる疾患)があるとのこと。
これはロボット草刈り機。除草機版ルンバ。前庭や敷地内を一日動き回っています。音はほとんどせずこれなら露天風呂の前で仕事をしても気にならない。なかなか可愛らしいやつ。
朝食後チェックアウトをマシンで済ませ駅まで送迎バスに乗る。出発直前にホテルのドライバーさんが即興のハモニカ芸を披露して楽しませてくれた。接客に従業員一人ひとりが心を砕いているのが感じられた。こういうのを見るとやはり応援したくなる。列車の出発まで時間があったので駅前を撮影。到着時は送迎バス出発が迫り時間的余裕がなく駅前撮影ができず帰りになるというよくあるパターンである。
新青森まで普通列車で五能線と奥羽本線を乗り継ぐ。新青森方面のリゾートしらかみへの接続が悪いための選択だが夏休みの部活の高校生が大挙して乗ってきたため座ることができずたいへんであった。五能線のリーゾトしらかみは秋田方面の海沿いを走る風景も楽しめるので次来るときはそちらも回ってみたいと思った。
りんご畑。
川部駅での五能線から奥羽本線への乗り換え。
新青森駅。ねぶたの時期に来たのにまったく見る気がしなかったが気が向いたらふらりと見に行きたい。
北海道東北新幹線。帰りの上りもかなり混雑していた。お腹が空いていたので珍しく駅弁を買う。青森の海の幸山の幸を集めた「青森のぜいたく弁当」。このクオリティで1550円は安い。
西に沈む夕日を見ながらの新幹線の旅は青森までそれなりの距離があるから味わえる。
あまり用意なしに向かった鰺ヶ沢への旅は新鮮な驚きと発見に満ちていた。グランメール山海荘の眺望。野性的な温泉。個性的な津軽の食文化。鰺ヶ沢の歴史と文化。リゾートしらかみ…青森がこんなに多彩で楽しめる地であったことが一番の発見だったかもしれない。今夏の旅が終わった。終わろうとする旅の余韻を楽しみながら夕日を眺めつづけた。遠くへ来てよかった。
フォトアルバム
20230807 鰺ヶ沢への旅01―リゾートしらかみに乗って―
20230808 鰺ヶ沢への旅02―鰺ヶ沢の海で泳ぐ―
20230809 鰺ヶ沢への旅03―帰路―
付記1
鰊番屋について → 鰊御殿 wiki (20230924閲覧)
→ ニシン漁最盛期と鰊御殿! (魚拓)
→ 鰊漁場の200年 関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室 (魚拓)
付記2
安東水軍について → 鰺ヶ沢町の歴史(鰺ヶ沢町役場公式HP) (魚拓)
※ 尾崎酒造の安東水軍の特別純米の赤いラベルは日本海に沈む夕日の赤をモチーフにしているとのこと。
※ 水軍が平時に水上の治安維持を行うといっても通行する船舶から通行料を払わせるなどしていたので今でいうヤーサンがみかじめ料を支払えと言ってるのと同じようなものだが当時は社会的に一定の了解がなされたとのこと。
付記3
蝦夷地における鰊漁では江戸期にアイヌ民族の搾取が行われそれがアイヌ民族の蜂起を招くことになる。責任を問われる松前藩は幕府に藩の統治能力をアピールするため藩主の異母弟にして画家である蠣崎波響(かきざきはきょう)に「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」を描かせるが作品は藩の意図とは異なるところで異彩を放つことになる。そこに描かれるのは恭順・従容ではなく異様と威容である。
→ 鰊粕 (20230924 閲覧)
→ クナシリ・メナシの戦い wiki (20230924 閲覧)
→ 蠣崎 波響 Viewpoint (魚拓)
付記4
北前船は北陸以北の日本海側から下関と瀬戸内海を通って大坂へ至る西回り航路の交易船である。元は奥羽の米を陸路を経ずに大阪へ運ぶルート。西から塩・酒・蝋燭・木綿などを北からは鰊粕や昆布などを運んだ。北海道、越中、薩摩、琉球(沖縄)、清までのルートは現代では「昆布ロード」と呼ばれ本州日本海側における文化の伝播役も果たした。これは対をなす東廻海運(酒田〜津軽海峡〜太平洋〜江戸)も同様である。
北前船について → 北前船 wiki (20230924 閲覧) (魚拓…20240713追記)
→ 北前船の足跡を訪ねて (←PDF)
→ 北前船寄港地・船主集落 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 北前船寄港地・船主集落」の物語 (←PDF)
付記5
「赤い靴の像」についてはこちらの記事にくわしい。→ 赤い靴の像 青森の魅力 (魚拓)
付記6
鰺ヶ沢町は2022年8月に豪雨災害に遭われました。心よりお見舞い申し上げいち早い復興を願います。
青森県大雨から一夜 河川氾濫の鰺ヶ沢町は(2022年8月10日)
2023年8月10日(木)配信記事 → 「本当につらい1年でした」記録的大雨被害から1年 シャッター下りる店が増加6軒廃業で商店街の衰退加速 鯵ヶ沢町のいま
付記7
夏に聴く曲
SPARKLE/ 山下達郎
山下達郎「SPARKLE」Music Video (2023)…(20231116 追記)
13-Track13 アマポラ
山下達郎のアルバム「ON THE STREET CORNER 1〜3」は英語曲(アメリカのスタンダードポップス)をアカペラでカバーしたカバーアルバムで特に「No.1」は私のお気に入りである。「アマポラ」は「No.2」に収録されている。原曲は1922年に米国でスペイン語で発表され1941年に英訳版がヒット。その後多くの歌手にカバーされ1984年の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ではエンニオ・モリコーネ担当のサウンドトラックで使用された。アマポラは「ひなげし」のスペイン語名で英語名は「ポピー」フランス語名は「コクリコ」。「ひなげし」はケシ科の一年草で「ケシ」は阿片(あへん)がとれモルヒネ・コカインの麻薬成分を含むため栽培は厳禁だが「ひなげし」は安全であり栽培してよい種である。日本における「虞美人草」(ぐびじんそう)という呼び名は項羽が劉邦に敗れた際に自害した愛人の「虞(ぐ)」の墓に赤い花が咲いたという中国の伝説に由来する。ポピーというと私には「車にポピー♪」というCMのコミカルなイメージが強いがフランスやポーランドの国花であり花言葉は「心の平穏」「いたわり」「思いやり」「恋の予感」「別れの悲しみ」「慰め」「休息」で これはギリシャ神話における豊穣の神デメテルが冥王ハーデスに娘ペルセポネを奪われた心を慰めるためにひなげしを摘んだ(または眠りの神であるヒュノプスが贈った)のが由来とのこと。
歌詞
スペイン語 日本語訳
Amapola, lindisima amapola, ひなげしよ、美しきひなげしよ、
Será siempre mi alma tuya sola. いつだって僕の心は君だけのもの。
Yo te quiero, amada niña mia, 君が好きだ、僕の愛しい子、
Igual que ama la flor la luz del día. 花が昼の陽射しを愛するように。
Amapola, lindisima amapola, ひなげしよ、美しきひなげしよ、
No seas tan ingrata y ámame. 嫌な顔をせずに私を愛しておくれ。
Amapola, amapola ひなげしよ、ひなげしよ
Cómo puedes tú vivir tan sola. 君はどうして一人でいられるのだろうか。
Yo te quiero, amada niña mía. 君が好きだ、僕の愛しい子、
Igual que ama la flor la luz del día. 花が昼の陽射しを愛するように。
Amapola, lindísima amapola, ひなげしよ、美しきひなげしよ、
No seas tan ingrata y ámame. 嫌な顔をせずに私を愛しておくれ。
Amapola, amapola ひなげしよ、ひなげしよ
Cómo puedes tú vivir tan sola 君はどうして一人でいられるのだろうか。
英詞
AMAPOLA, my pretty little poppy,
You're like that lovely flow'r so sweet and heavenly.
Since I found you, My heart is wrapped around you.
And loving you, it seems to beat a rhapsody.
AMAPOLA, the pretty little poppy must copy its endearing charm from you.
AMAPOLA, AMAPOLA, How I long to hear you say "I love you."
引用参照記事 → アマポーラ (アメリカ合衆国で流行したポップス)wikipedia 20230917閲覧
→ 雛罌粟(ひなげし) 季節の花300 20230917閲覧
→ ポピーの花言葉 Green snap store 20230917閲覧
Amapola 1941 / ORIGINAL / Helen O'Connell and Bob Eberly w/The Jimmy Dorsey Orchestra
Andrea Bocelli - Amapola - Live From Lake Las Vegas Resort, USA / 2006
E. Morricone Amapola
再生リスト(上記5曲を続けて再生できます。20230926追記)
付記8 (20240109追記)
鯵ヶ沢の土産物屋で「鯨餅」というものを買っていて冷蔵庫に放置していたものを2023年末に食べた。小豆交じりの硬めのお餅のようなお菓子で一度に食べられないので何度かに分けて食べた。「鯨餅」といいながら鯨は使われていないので名前の由来を調べて見るとその姿(白と黒の二層の断面)が鯨の皮に似ているからだと分かった。また調べている間に「久慈良餅」とか「久持良餅」とか異なる漢字で表記されているものや青森ではなく山形の名産として紹介されている記事もあったので調べてみた。それによると山形が発祥であるという説と京都発祥である説とが見られたがどちらが元かは分からなかった。いずれにしても北前船で鰺ヶ沢に伝わったものではないかというのが私の推測である。今はくるみ入りやずんだ味や味噌味や白味噌味や醤油味などいろいろなものが出ているので機会があれば楽しみたいと思う。
(↓以下参考資料)
→くぢらもち(wiki 20240109閲覧)
→海を渡ってきた郷土菓子【鯨餅】(JR東日本のサイト and trip の記事…鰺ヶ沢) (魚拓)
→鯨餅 (名産鯨餅本舗 村上屋 )(旅・東北 東北観光推進機構HPより) (魚拓)
→京が伝えた鯨餅(北前船寄港地・船主集落のサイト) (魚拓)
→たねるや もがみ物産館(山形)
→【くじら餅】矢野顕子さんも好物!青森県名物「久慈良餅」がマジウマすぎる件(ロケットニュース24の記事) (魚拓)
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