7月31日
今年も川開き帰省のため、神奈川県川崎市の自宅を午前7時40分に出発し、バスで生田駅に。小田急線の7時56分の準急に乗り、登戸で快速急行に乗り換えようとしたが混雑甚だしく大き目の荷物を持つ身でもあるので断念、そのまま準急に乗り、代々木上原で後続の快速急行に乗り換え、8時26分に新宿に到着。みどりの窓口で新幹線指定席券と乗車券を購入後、8時40分頃のJR中央線に乗って東京駅に8時55分頃到着。9時過ぎに新幹線ホームにたどり着き、喫煙所で一服してから9時08分発はやぶさ9号に乗り、東京駅を出発したのだった。
新宿駅で新幹線指定席券を購入の際に、窓際と通路側は売り切れており、それらに挟まれた席を購入したが、つながっている秋田新幹線は4列で窓際か通路側のどちらかになるので、この場合秋田新幹線を選択するのは「あり」だなと思った。まあ、もっと早めにチケットをとっておけばよかったのだが。
新幹線車内では映画の一本でも見ようと思っていたが、1時間半はネットで調べものをしているうちに過ぎ、10時40分仙台到着。S-PAL地下の風月堂で土産を買うと、いつもは食べる立ち食いソバ「萩小路」に寄る時間もなく、そのまま仙石線11時21分発各駅停車石巻行きに乗車。1時間26分かけて12時47分石巻に到着したのだった。
自宅最寄り駅生田からは9時27分発→新宿→大宮→仙台→石巻のルートで13時15分着、移動時間3時間48分で着くのだが、新宿駅での新幹線の切符購入、仙台駅での土産購入、その他寄り道が多くて(私の人生そのものが寄り道みたいなものだ)、どうしても5時間かかってしまう。それでも最近は、一応電車の時刻を計算に入れて寄り道するようにしている。数年前の小牛田駅180分待ち合わせ事件でさすがの私も学習したのだ。
石巻駅について最初に感じたのは「暑い」ということ。陽射しが異様にきつい。こんなに暑かったっけ、石巻? 東京あたりのコンクリートが熱を持って夜でも風が吹いてもオーブンで蒸し焼きにされているような暑さではないが、空気がきれいな分陽射しがダイレクト突き刺さるような暑さだ。
と、石巻駅を出ると、駅前広場の左側が少し空間が広くなっている。ロマン海遊21のビルがなくなって富喜寿司なるお店が建っていた。ロマン海遊がなるくなるのは聞いていたが、調べてみると石巻市役所本庁舎1階に移転して観光案内と物産販売は続けているそうだ。
このサイトの説明「石巻市本庁舎1階」はわかりにくい。「(石巻)市役所(本庁舎)1階」でいいのではないか。
それはともかく、駅前から立町方面へ歩くと、建物がなくなっているところが、駅前交差点の市役所側の角、立町から寿通りへ右折する角、寿通りから橋通りへ曲がる角と、だいぶある。橋通りは聞いたところでは共同ビルが建設中らしい。見たところ1階が店舗、2階以上が住宅になるようだ。来る度に新しい建物が増え、古い建物がなくなっていく。そうやって街は変わっていく。震災は街の変化を後押ししているだろう。いずれにしても物は変わっていくものなのだ。
実家の大文字屋に着く。例年通り1階の店頭ではお得意さん(楓楸栞=ふうしゅうかん:大街道)が店を出して飲み物などを売っている。私は2階にあがってキクちゃんに挨拶。仏壇の憲ちゃんに挨拶。見ると応接間に天ざるとカツカレー(おそらく大盛&もりやさんの出前)がある。自宅を出てから何も食べていなかったので、お腹は空いてはいたが、この後の予定を考えると過大な量なので、カツカレーは半分残したのだった。(後でキクちゃんが食べたらしい。)
一息ついて向かったのは小柳町の平塚君のおうち。お母さまがいらしたので、近況をうかがった。体はお元気のようですが、一人暮らしで訪れる人も少ないとのことで寂しがられていた。そういう話はなかなかできる相手がいない、姉妹の中で一番上だし、誤解も生みかねないから、自分から来てくれとは言えない、と、なかなかつらいところがあるようだ。実は一昨年訪れた際に緑内障を仙台の病院で手術して治してもらった話を平塚さんから聞いて、緑内障の手術をできる病院が石巻にはないこと、緑内障は初期であれば手術で治ることなどを知り、その半年後ぐらいにキクちゃんが緑内障を患い、平塚さんの話を思い出して、仙台の眼科に行かせた経緯があるので、そのお礼を申し上げた。平塚さん自身はもともとの眼底出血が再発しないように定期的に検査が必要なので、眼科通いは続けているらしいが、今のところ大丈夫なようである。キクちゃんについていえば、緑内障についてはだいぶ進んでいるので手術は難しく、眼圧が高いので点眼治療を続けて、眼圧の安定を見計らって白内障の手術を行えば、それが眼圧の低下もしくは安定に資する可能性があるので、それによって現在の視力の維持を図るという方向で進めている。右目の視力はほぼ失われ、左はある程度見えるが、視野の中心部分が見えず、周縁部分の視力で見ている。そういう状況である。平塚さんからはその他に、某大手携帯電話会社の営業マンが訪れた後に毎月7000円以上支払い請求が来て困ったという話もあった。固定電話しか使っていないし、契約した覚えがないので、拒否もしくは解約を要求すると、いわゆる何年シバリ契約の数万円の解約料を要求されたという。結局、市役所の困り事相談室のようなところに相談したら解決してくれたそうなので、ああ、こういうところでも情報は大事だなと思わせられたのである(市役所も生活保護関係はコワイらしいが)。平塚さん、諸情報あらためてありがとう。
1時間程で平塚さん宅を辞去し、知人に招かれてお寿司屋さんに行った。蛇田にある栄寿司さんである。この道五十年以上のシャイな大将と、柔和で温かみのある女将さん、息子さんも加わって切り盛りするお店である。(息子さんはつみれ汁のつみれの作り方が大将とちがう研究熱心なこだわり屋である。)立派なまな板皿に載せられた握りはネタもいいが、やはりシャリがいい。口の中でほろりと解(ほど)けるその加減が絶妙である。スーパーのパックの寿司を食い慣れた私の安い舌には、もうちょっとシャリに歯ごたえがほしいななどという寝言も出てしまいますが、こんなのは食べたことがないというようなタップリした身のほっき貝であるとか、鯨肉の握りとか、珍しい「きずわさ」なる巻物等々、非常に楽しめました。(「きずわさ」とは山葵(わさび)入りの干瓢(かんぴょう)巻のことで、ソムリエ田崎氏が日本酒によく合うといってテレビで紹介したらしいが、私に言わせると辛口すなわちドライなタイプの日本酒にどちらかというと合うのではないかと思いました。) ネタもたんに鮮度がいいというより、熟成度合いを見計らって握っているようで、しっとりした深みのある味でした。尚、このお店は有名人が来店したりの名店らしいが(キクちゃんも名前は知っていた)、大将も女将さんも全く気取ったところがなく、とても自然で寛げるお店でした。いやあ、ご馳走様でした。
さて、この日いつもなら平塚さん宅訪問後による四釜商店さんにお寿司屋さんの帰りに寄り、栗原市のお酒「田林」(でんりん)の特別純米を買い、大女将はお店に出てないけれど元気との話をお店の人から聞き、宜しくお伝えいただくようお願いして辞去した。
いったん大文字屋に寄り、それから再び祭りの夜に出かけた。元気市場のあたりに来たが、時間も7時半を過ぎ、慰霊祭が終わったばかりのようだった。会場も昨年までと違い、新しくできた立体駐車場脇の、広小路の昔守谷フルーツがあったあたりの広場になっていた。8時から「供養花火」が30分ほど続き、それが終わると、31日の川開き前夜祭は終わりである。今年は綱引大会も孫兵衛競漕も流燈も見ず、ご詠歌も聞くことがなかった。昨年まで31日の諸行事をカメラに収めるという課題を果たしたので、今年は少しゆっくりした感じである。それでもやはりご詠歌と流燈は忘れないようにしたいと思った。
実家にもどってキクちゃんとお寿司やお刺身を肴に「田林」を飲んだ。お寿司は栄寿司さんのおみやだが、「きずわさ」も「鉄火」も異様にネタ部分が多く、ご飯部分が少ないので驚く。四釜商店のお店の人によれば、田林は純米吟醸はしっかりした味、特別純米はすっきりした味、この蔵自体はもともとしっかりした味の酒が身上とのこと。私はこういう場合蔵の個性の出たものを買う主義だし、正直両方買いたかったが、同じ蔵のものを2本買う勇気がなく、亀の尾を使ったしっかり味の純吟も魅力的であるが、美山錦を使った綺麗な酸味がこの時の気分ではあったので、特純を選んだ。果たしてどちらが正解であったかどうかわからないが、田林の特別純米は美味しかった。この日は暑かったし、いろいろ食べてお腹がパンパンだったので、これで良かったと思う。因みにキクちゃんは、「んー、最近の日本酒は甘いのネ、飲みやすい」とおっしゃってました。
こうして7月31日は午前1時頃に就寝したのであった。
※ 「きずわさ」の「きず」とは「干瓢(かんぴょう)」のことで、「わさ」は「山葵(わさび)」の意であるとのこと。なぜ干瓢を「きず」というのかというと、かつての名産地が木津というところだったことによる。ただし調べてみると、この「木津」自体がどこなのか諸説あり、京都山城の木津なのか、摂津国(現在の大阪・兵庫)の木津なのか、近江国(現在の滋賀県)の木津なのか、はっきりしない。なお、現在は栃木県が主な産地であるらしい。調べてみて面白かったのは、この干瓢、「夕顔の果実をひも状に剥いて乾燥させたもの」であること。「夕顔」に果実があることも初耳だったし、そういう花の果実があの干瓢に姿を変えるというのは非常に面白かった。昔の人はすごいものを食べた、というか作ったんですね。
8月1日
この日は8時起床。快晴。中央3丁目のローソンでブレンドコーヒーSサイズ、トマトジュース、バニラヨーグルトを買い、朝食に。キクちゃんには「昨日食べ過ぎたし、今日はお昼は外で食べるから食事はいらないよ」と声をかける。実際そういうことを言っておかないと膨大な量の料理を用意され、私は残飯処理マシンと化してしまう恐れがあるのだ。その後、実家の2階全体を掃除機掛け。掃除機のフィルター交換とフィルター掃除。シャワー浴びて11時からのパレードに備える。
ちょっと一服しに元気市場近くの喫煙所に。すると見知らぬ若い男性が声をかけてくる。聞けばお祭り広場あたりに出店を出すのに東京から来ているという。こっちは涼しいと思ったらえらく暑いので驚いたという。昨日も昼間はあまり人が出なかったが、今日はどうだろうと心配している。暑いから昼間は出足は鈍いだろうが、花火目指して夜はどっと人が出るのじゃないかなと私。そんな言葉を交わしお互い「じゃあ」と言って別れた。
この日も前日同様の厳しい陽射し。大文字屋のほぼ正面にカメラをセットするが、逆光気味で撮影条件は厳しい。それでも11時数分前には、東京五輪パラ聖火誘致模擬トーチリレーが通過。ついにパレードがスタート。消防音楽隊パレード、石中吹奏楽部に続いて、各小学校の鼓笛隊が続く。今年も例年同様、腹に響く楽器の響き。力強い行進。見て聞いて、心地よい。今年も笑点の林家たい平師匠が参加。勇壮さのなかにユーモラスな沖縄のエイサー、縄張神社神輿。今年はここでブルーインパルスの特別展示飛行も同時に行われた。神輿なんかを撮ってるそばから頭上をブルーインパルスが通り過ぎていくので、たいへんなんだが絵的には面白いものが撮れたと思う。この日も陽射しは強烈だったが、紺青の空にブルーインパルスの描く軌跡は鮮やかだった。アイトピアあたりは神輿が通過したあたりで飛行展示が続いたので、実家の屋上にあがって、そのようすをしっかり見ることができた。虚空に浮かび滑るように進む銀色の機体を見ていると、何か非常に不思議な感覚を覚える。そうして見ていると、あちらこちらから、鳥たちがブルーインパルスの機影を追うように、空に舞い上がろう舞い上がろうとしているのが見えた。彼らには何に見えたのだろうか、仲間に見えたのだろうか。自分も高く飛びたくなったのだろうか。
少しパレードの時間が空いたので、あるお店に行くことに。それは「キッチン じゃがいも」さん。人づてに大街道のお店が閉まったと聞いていたが、帰省の数日前に復活したと聞いていた。閉店したのもショックでしたが、またお店を出したのも衝撃でした。どっちも「エーッ!!」(できれば濁点付き)という感じですね。それもよく聞くとアイトピアの大文字屋の斜向かい、以前初貝ミシンさんがあったところ。早速知人とともに行ってきました。お店に入ると、右手にカウンター席、左手に4~6人が座れるテーブル席が二つ。ママさんの小原さんの姿がカウンターの中に。顏を見て「あら、ひさしぶり。」と言ってくれた。小原さんは、私の小中高校時代の同級生である小原くんのお母さま。私が小学校時代には、もう一本川寄りの通りで、お父さまと「トリオ」というイタリアンレストランを出していた。大文字屋からも品物を入れていたので、家族で食べに行ったこともある。まだイタリアの藁で囲ったワインボトルの健在な時代で、トリオのテーブルには、そのワインボトルに太い蝋燭が立てられそれを補助照明にして雰囲気を出していた。そんなわけだから、今回の新規開店は昔の場所に戻ってきた感も個人的にはある。実は大街道の店には震災の年に行っている。その時には食材の調達がままならず、限られたメニューで営業していたが、本来はタラバガニのスパゲティが名物だったので、今回はメニューを見て、迷わずそれをオーダー。それとサラダとグラスワイン。タラバガニのスパゲティは、カニの身がどっさりのっているのもうれしいが、ソースにカニの旨味がしっかり感じられて非常に美味しい。これはなかなかないのではないか。知人はピザを頼んでいたので、あのパパさんデザインの石窯は使っているのかと聞くと、石窯は煙が出るので街中で使うのは難しいので、現在のお店では使っていないとのこと。でも相変わらずパリッとした焼き上がりで、今風のドテッと具がのったのとは異なるシンプルな美味しさは健在である。大街道のお店を閉めた理由はお聞きしなかったが、脊椎の圧迫骨折で動けなかった時期があるとおっしゃっていたので、そのあたりが関係するのもしれない。今回たまたま店舗の空きがあるという話をもらって、子供たちには反対されたが開店することにしたという。二人の給仕さんをやとっているので、体に無理をかけないよう工夫しながらやっておられるのだろう。食事だけでなく、ケーキセットやお茶だけというのも可能なので、アイトピアに貴重なお店が一つ加わったといえるだろう。それにしてもこんな美味しいパスタを食べられて大満足、ご馳走様でした。
※ 7月28日付石巻日日新聞には「60年ぶりに中央で営業再開」と紹介されていました。
さて、じゃがいもさんの店内から、「ものう はねこ踊り」が見える。じゃがいもさんを辞して立町方向に向かう。個人的にはパレードのクライマックスと思っている「はねこ踊り」。今年は例年以上に暑いので、踊り子さんたちたいへんんだろうなと思う。ただ、例年と少しちがうのは、今年は人数があまり多くない(ように見えた)ということと、なぜか男性が半分ぐらいいるということだ。扮装は女性のものと全く同じである。それでもこの暑さの中、今年もダナミック、エネルギッシュな踊りを見せてくれた。
はねこ踊りが終わるとあとは大漁踊り。お役所関係から会社関係、あらゆる団体組織が参加しての一大盆踊り大会はマンネリズムスの極致。これはオリンピックと同じで参加することに意義がある。そして踊る阿呆に見る阿呆で、踊る方が楽しいのだ。さしずめ私は撮る阿呆。
撮る阿呆が次に撮るのは19時30分からの花火である。今年はこれまでよりももう少し門脇方面で撮ってみようと思って、佐藤整形外科さんから100m程雲雀野寄りにポジションをとってみた。いざ花火が始まると、視野に工事用の重機が入ってしまうことに気づいて移動、さらに150m程南に行って、相沢泌尿器科医院のあるあたりで撮ることに。すると、これまでにない花火の美しさ。近年花火大会では煙が妨げになって花火がよく見えいないことが多く、ほぼ毎年のことだったので、私は正直諦めていた。ところが今年は煙で見えなくなることがほとんどない。鮮明に花火の姿を見ることができる。風向きによるのか、打ち上げ位置によるのか、撮影位置によるのか、いずれかは分からないが、とにかく今年の花火はよく見えた。だから動画でもよく写すことができた。ただ打ち上げ位置の正面過ぎて花火が画面に入りきらないことがあったけれど。私の見た感じだと、打ち上げ位置を少し海寄りに変えたのではないかと思えるが、来年以降もこういうきれいな花火を見られるといいなと思いながら、西城秀樹追悼のYMCA花火も打ち上げた今年の川開き花火大会を満喫したのである。
帰路、八幡屋さんの通り(松川横丁というようです)を撮影する。以前から本物と見紛う猫の置物で目を楽しませてくれたが、年々猫の数が増えてますます楽しくなっている。猫派の私にはうれしいことである。そういえば新幹線内に常備の「トランヴェール」誌8月号(メインテーマ「宮城は、マンガ・アニメの舞台装置だ!」)に「石ノ森萬画館」オープンに向けて尽力した八幡屋さんの女将阿部さんが登場、インタビューに応じていて、その中で「漫画だから何でもあり」という「漫画的発想」という言葉を作って精力的に活動したと語っていた。こちらの猫さんたちを見ていると、そういう「何でもあり」の発想の楽しさがよくわかるのである。
※ トランヴェールは翌月になると前月のバックナンバーがこちらで読めるようになっています。
→トランヴェール[JR東日本]
大文字屋に戻ると10時過ぎ。昨夜のお寿司の残り、野田屋さんのかわりご飯とトン汁、枝豆、等々で再び腹がはち切れそうになり、昨夜の田林の残りをキクちゃんと飲んで、この晩も午前1時頃に就寝した。祭りの終わりに、新しい出会いと新しい再会の余韻を楽しみながら。
2018 川開き帰省01 パレード(動画)
2018 川開き帰省02 花火大会(動画)
2018 石巻 川開き 帰省 01(フォトチャンネル)
2018 石巻 川開き 帰省 02(フォトチャンネル)
付記1 最近のお気に入り
monalisa twins selected
追記(20180814)
8月1日の最高気温は36.1℃。今季最高だったそうです。そりゃ暑いわけだ!
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