4月19、20日に石巻に帰省した。
午前10時に自宅を出発。小田急線で新宿、JRで東京駅へ。はやて25号(11:56発)に乗る。途中の福島あたりで桜の咲いているのが見えたが、まだ盛りではないようだった。
仙台に13時37分着。S-PALで米八のおこわ弁当三つを酒の肴に、柏屋の薄皮饅頭1箱、銀座あけぼのでお煎餅(豆大福がなかったので)を少し買った。
買物に30分ほどかけ、東北本線に飛び乗る。昨年利用した時は夜だったが、今回は昼間なので風景を楽しめた。仙台を出た直後は殺風景だが、国府多賀城を過ぎたあたりから田園風景と土地ごとの建物、名物看板が面白い。
小牛田に15時過ぎに着。電光掲示に次の石巻線が15時34分発とあるので、あたりを撮影しながら時間をつぶし、入線してきた列車に乗り込む。一応運転士さんに「これ、石巻に行きますよね。」と確認すると、「ああ~とっ、」と複雑な表情をして「これに乗ると、前谷地で乗り換えで一時間待ちになりますね。この後に乗っても石巻に着く時間は一緒です。」と言われる。「あ~?、そうですか??」と私。よく見ると列車の行先は「柳津」とあり、次の石巻行は16時30分発なのだそうだ。…どうも接続のよくないところに嵌(はま)ってしまったらしい。前谷地の1時間待ちより小牛田の1時間待ちの方がいいかと思い、小牛田で1時間待つことに。
いったん改札を出て駅前に出てみると、飲食店が一軒あるので、近寄ってみると「準備中」であった…。駅から50メートルほどのところに「小牛田まんじゅう」というオレンジ色の看板が見える。「山の神まんじゅう本舗」というのが正式な店名である。そういえば先日ガビゴが久しぶりに小牛田まんじゅうを入手して食べたという話をしていた。これがそうか? 買おうか。などと思ったが、仙台でだいぶ買物をし、この時甘いものに食指が動かなかったので、次回ということに。しかし、駅の近くに開いている店がこのまんじゅう屋のほかに酒屋一軒だけということで、乗り換え時間をつぶすのはかなりきついものがあった。東北新幹線ができて在来線特急が廃止された結果なのだろうな、こちらもたいへんだな、と考えつつ駅構内に戻り、妙に色とりどりの車両を撮影したりして時を過ごした。
後で調べたところ、小牛田発の石巻線は1時間に1本はあるが、15時台は柳津行しかないため、石巻へは16時30分まで待たなければならない。ゆえに、仙台で13:41発の東北本線一ノ関行きを逃した場合、
〇13:58発仙石線石巻行(石巻15:50着)に乗る
〇14:12発高速バス(石巻15:35着)に乗る
〇2時間近くまって、仙台15:42発→石巻17:07着の東北本線→石巻線乗り継ぎルートを利用する
のいずれかということになる。ちなみにNAVITIMEで検索すると、仙台14:00発の東北本線に乗り、松島駅(松島海岸駅ではない)で降りて高城町まで15分ほど歩き、そこから仙石線の代行バスに乗り、矢本でまた仙石線の列車に乗って石巻15:50着というルートを強く勧めてくれるが、非常に苛酷な気がした。
ところで、かつて小牛田町だったこの地は、現在は遠田郡「美里町」となっている。駅構内のJR広告には鳴子の紅葉をイメージしたリゾート列車「みのり」(陸羽東線)、涌谷の「東北挽馬競技大会」、「奥州三観音 無夷山箟峯寺(箟岳観音)」、岩手方面では「イーハトーブ いわて物語」と題した「松川温泉」、「八幡平」、「毛越寺」、「岩手山と北上山」、「東北三大桜名所 北上展勝地(北上市)」、「龍泉洞」、「浄土ヶ浜」、「藤原まつり(平泉)」など広告ポスターが貼り出されていた。駅構内の線路には「みのり」や、どこを走るのか「華(はな)・風(ふう)・月(げつ)」という緑・紫・赤のカラフルな列車も見ることができた。
そういうわけで、16時30分の列車に乗り、石巻に着いたのは17時10分頃であった。自宅を出たのが10時だから7時間ほどかかっている。どうしてだい!? 昨年8月の帰省の際には4時間ちょっとで着いたのに…などと疲労困憊の脳ミソで考えながら、街の様子をカメラに収めた。
駅前にはかねて伝え聞いていた通り大和屋書店跡地に「三越」のショップができていた。立町の一本山側の裏道(マルシン質店の通り)を歩くと、昨年夏に来た時よりもさらに整備されていたが、更地になったところも多かった。旧大王(ターワン)の前では電気工事が行われていて、その向かいにあった角の立体駐車場は取り壊され、広い空地になっていた。
大文字屋にはキクちゃんがいた。兄とエミちゃんは仕入れで仙台に出ているらしい。店には兄の知人からゆずってもらったという業務用の冷蔵庫2台が活躍、私の同窓生がかかわって譲っていただいたレジも入っていた。感謝である。
仏壇の憲ちゃんに挨拶し、6時過ぎに店を閉め、米八の弁当で夕食をとった。私はあまり弁当を買うことはないが、米八は昔仕事で定期的にお世話になり、おこわが美味しく食べごたえもあるので、横浜のシウマイ弁当同様今でも利用することがある。お酒は昨年8月帰省の飲み残しの墨廼江を飲む。涼しいから室温でも大丈夫だろうと思っていたが、口開けして半年はさすがにだいぶ気抜けしていた。キクちゃんが高政の蒲鉾(かまぼこ)の詰め合わせを出してきた。何でも前日ミサちゃんが訪れ土産に持ってきてくれたのだそうだ(ラッキー!!)。懐かしく思いながらその蒲鉾も肴にして飲んでいた。何気なく食べていたのだが、最初は何を食べているのか分からなかった。ふつうの蒲鉾とはだいぶちがう。まず魚臭さがない。味はあるのだが、くどさが全くなくてすっきりしている。大げさに言えばしっとりしたカステラを食べているような感じである。そうか、これが高政の蒲鉾か、と感心しながら食べ飲んでいると、キクちゃんから話があり、称法寺のお墓の位置がわかったので、明日墓参りに行こうということになった。彼岸前にもボランティアの人がかなり出て、墓石の整理をしていたとのこと。そのうち兄とエミちゃんが帰宅、「フィギュアスケートやってっから、見だらいっちゃ」(このへんは変換がうまくいかない)と言われテレビをつけ、高橋大輔やら誰やらの演技を見ながら夜を過ごした。
次の日は6時半に起き、小柳町、寿町、中央1丁目、川岸、橋通り、住吉公園、中央3丁目、広小路と歩いて写真を撮った。
小柳町から寿町に出るあたり西条お菓子さんの前を通ると蛇の目寿司の前あたりに千人風呂がまだあって、それをカメラに収めていたら、「今でも五十人ぐらい毎日利用されてますよ」と男性に声をかけられる。少し立ち話をしていると、どうやら西条お菓子屋さんのご主人らしい。聞くと広小路あたりは地盤沈下しているため嵩(かさ)上げが必要で、それまでは建物を新たに建てることができないという。西条お菓子屋さんは建物自体は残っているがそれが使える状態なのかどうかは分からなかった。できれば新築したいというようなニュアンスが話に滲んでいたように私には感じられた。西条お菓子さんの店内に残されたものは少ないが、かなり年代ものと思われるエッフェル塔と凱旋門のモノクロ写真が飾ってあった。
いろんな方からの情報で聞いていたが、やはり更地が多くなっていた。文房具のナリサワさんや中村屋旅館さんもすっかりなくなっていた。川岸の建物もかなり少なくなっていた。石川すき焼きやさんのあたりも土蔵を残してきれいになくなっていた。聞くところでは、全壊の建物は解体費用が国や自治体から出るため、その順番待ちの状態で、それゆえこれからまだまだ建物は解体されて更地は増えるだろうとのこと。さらに建物の新築は禁じられているところもあるので、このあたりで建物が増えることは当分ないのであろう。大文字屋でも、直したいところがあっても建築関係は大きな仕事で手一杯で、小さな工事を受けてくれるところはなかなかないということだ。
8時半に大文字屋に戻り、朝食をとった後、キクちゃんとタクシーで称法寺に向かう。称法寺のあたりも建物がますますなくなって、野中の一軒家のようになっている。本堂は半年前と変わらない状況のように見えた。脇の白い建物は壁が塗り替えられたのかかなりきれいになっていた。墓に行くと、なるほど佐藤家の墓がわかった。棹石や墓誌が倒れたままだが、たしかに以前の場所である。花を供え線香をあげ拝む。
待たせていたタクシーにキクちゃんを乗せ、私は歩いて日和山へ。この時期の帰省は仕事の都合もあるが、もう一つは石巻の桜を見ようということもあった。桜前線で見るとこの時期あたり開花のはずであった。が、残念ながら、日和山の桜は開花直前であった。すでに蕾は大きく膨らんでいるのだが、開いていはいない。おまけに団子と石巻焼きそばを目当てにしていたサトウ商店は、お昼時だったためか満員で入れずである。つつじ園の方にシキザクラなどが咲いているのを眺めることができたのがせめてもの救いだった。(つつじ園前にあるシュークリームの美味しい「工房かざみどり」さんが焼きそばを始めているのを看板で発見。)
今回の帰省では、菊田貞吾さんと飲むのが目的の一つだった。あらかじめ連絡をとり、可能であれば飲みましょうと話していたので、連絡をとってみた。仕事の関係でなかなか難しそうだったが、幸い時間があるとのことで、会うことになり、恐縮ながら日和山まで車で来ていただいた。
貞吾さんと合うのは昨年の川開き以来だが、私が震災後の3月31日に帰省した際にもいきなり車に乗ったその人に道で出くわしている。そもそも貞吾さんと飲もうというのは、遠い昔、貞吾さんが隣に住んでいて、私が学生で帰省していた時に「いつか飲もうね」と話していたことがあったからだ。その時から30年経っているだろうか。
私は飲むつもりだったが、「どこにします?」と言うと、貞吾さんは「じゃあ、もりやさんでいっか?」と言う。車だし、まだお仕事もあるので今日は飲めないとのこと。
もりやさんの店内に入ると、なぜかキクちゃんが鳥文さんの奥さんとそばを食べていた(??
貞吾さんは震災直後から自分のお仕事のほかにボランティア活動を続けている。他のボランティアの方とも連携し、現在は「コンシェルジェ石巻」を組織し活動されている。それゆえ、石巻の被災後の状況、現状にも詳しい。また、彼自身にいろいろな意見・プランがあるとのことで、それらをいろいろと聞くことができた。
現状についていえば、まず、まだ復興については具体的なことはあまり決まっていないとのことだ(これは貞吾さんの話から私が受けた印象だが)。今は行政にしても民間にしてもいろいろと意見を出し合っている、その最中ということらしい。たとえば、以前に川岸を数メートルの堤防で囲うプランが行政から提示されていたが、高さを3メートルにするのかそれ以上にするのかなど、まだ決まっていないらしいし、そもそも堤防で囲うプラン自体が確定的なものではないらしい。また、寄付や義援金について質問すると、行政を含めて種々の団体を通しての寄付や義援金は被災者の手に届くまでにかなりの時間はかかるうえ、いくつもの団体を通る過程で手数料等が差し引かれて額が減る(手数料等があることを明示している団体についてはある意味信頼できることにはなるが)ことになる。そればかりかあまりにタイムリーさを欠くということで、現在では、団体を通さずに寄付や義援金をダイレクト且つピンポイントに被災者の手に届ける形が増えてきている。そうなると今度は、誰のお金が誰に渡ったかの情報が非常に膨大になる。そのため情報を公開してもその膨大さと分散化のために、一般の人にはわかりにくいものになっている、とのことである。
今後のこと、といっても、目の前にある短期的なものから中長期的なものまで、いろいろとあるが、私の育った地域についていえば、私が考えていることと貞吾さんの考えていることはほぼ同じであった。
貞吾さんは現在具体的な活動としてされていることがあるので、同じ町内出身ということで、私も協力を約した。
天ぷらそば一杯で2時間ほど話し、もりやさんからはおまけにコーヒーまでつけていただき、誠にごちそうさまでした。そばが美味しかったことは言うまでもありません。
飲めないのは残念だったけれど、久しぶりにじっくり話ができて本当によかった。
そんなことがあって大文字屋に戻ると、女川のノブちゃんジュンコちゃんが来ていて、店でキクちゃんと話をしていた。女川に用事があり、その帰りらしい。「バッタリ会うのが多いですね」と言いながら、早速東京四谷の写真展でマコちゃんに出くわした話をすると、すでに知っていらした。考えてみると昨年の9月にもお二人には会っているので、しょっちゅう会っているような気がする(苦笑。ノブちゃんキクちゃんのトーク炸裂後、車で来ていたので暗くならないうちにと帰路に。
この後私は17時12分発の石巻線に乗り、一直線で生田にたどり着いたのだった。生田着21時36分、所要時間4時間24分であった。
付記1
今回の帰省では、忘れ物が三つある。
①貞吾さんの写真を撮るのを忘れた。
②立町の復興ふれあい商店街を利用するのを忘れた。(通販があるのでそれを利用する予定。→映像①、②、③)
③石巻焼きそばを食べるのを忘れた。
これらは次回の課題としたい。
付記2
鰐陵同窓生の渋谷くん(ヘン渋くん)のつてで大文字屋の店にレジを譲っていただき、それを今回確認してまいりました。家の者は私の同窓生とのつながりをあまりわかっていなかったようですが、渋谷くんは病院関係にお勤めなのでしょうか、そのような話を家の者がしておりました。
付記3
今回の帰省ではカメラのバッテリーのスペアを携行していたが、2日目途中でバッテリー切れを起こした。これは往路に電車の窓からかなり撮影したこと、また曇天下での撮影が多かったことから、補正にエネルギーが多く費やされた結果らしい。事実シャッターを押してから記録するまでかかる時間が長い場合が多かった。撮り方が雑になればその分補正にエネルギーが割かれるであろうから丁寧に撮ることが大切なのかもしれない。
付記4
新幹線はやぶさを利用しようと思ったが本数が少なかった。ただ、時刻表を見ると、はやぶさは速さという点だけ見るとはやてを大きく凌ぐものではないらしい。とはいえ、次回は何とか乗ってみたいと思う。
付記5
最近つぶやいた曲→①、②、③(R.I.P. Donna Summer)、④、⑤(R.I.P. Robin Gibb-Bee Gees-)、⑥
付記6
仙台あたりでは建築ラッシュで飲食店は繁盛しているが、石巻では宿泊施設の不足から工事関係者が仙台から通いになることもあり今ひとつとのことである。
付記7
写真後ほどupします。
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