今日の教会学校中高科の礼拝で、全国的に献身100周年記念事業が行われている賀川豊彦について話をしました。
明治21年神戸に生まれたものの、相次いで両親に先立たれて徳島に移ります。肺結核を患いながらも宣教師よりキリスト教と英語を学びます。
その後神戸で伝道活動に入るものの、人々のあまりの貧しさに心を打たれ、社会運動を始めます。
彼の業績を賀川豊彦記念・松沢資料館のHPを参考にさせていただいたのですが、「賀川豊彦関係事業展開図」を見ると、彼の事業は実に多岐にわたっていたことが分かります。
また、彼は海外においても平和運動を行ったということもあり、二度もノーベル平和賞の候補に上がり、
2000年にはユニセフ「子どもの最善の利益を守るリーダー」として日本人でただ一人選出されています。
生徒たちには、恵みをただ受け取る人になるのではなく、その恵みを一人でも多くの人に与えられる人になってほしいという話をしました。
明治21年神戸に生まれたものの、相次いで両親に先立たれて徳島に移ります。肺結核を患いながらも宣教師よりキリスト教と英語を学びます。
その後神戸で伝道活動に入るものの、人々のあまりの貧しさに心を打たれ、社会運動を始めます。
彼の業績を賀川豊彦記念・松沢資料館のHPを参考にさせていただいたのですが、「賀川豊彦関係事業展開図」を見ると、彼の事業は実に多岐にわたっていたことが分かります。
また、彼は海外においても平和運動を行ったということもあり、二度もノーベル平和賞の候補に上がり、
2000年にはユニセフ「子どもの最善の利益を守るリーダー」として日本人でただ一人選出されています。
生徒たちには、恵みをただ受け取る人になるのではなく、その恵みを一人でも多くの人に与えられる人になってほしいという話をしました。