本日午後、石川県内で最大級の俳誌「風港」の新年会がありました。
今年も招待を受け、簡単なスピーチをさせていただきました。
草田男の句「焼跡に残る三和土や手毬の子」を引いて、65年前の終戦直後の日本、
15年前の阪神淡路大震災、県内近隣では能登や中越での地震など、被災した場所に暮らす人々にとっては、絶望的な状態ではなかったかと想像されます。
しかし、そんな中にあっても、ただ手毬で遊ぶ女の子の姿に一縷の希望を見出すことができます。
引き継いでいく、育てなければならない命があります。
今の私たちは、こうした無邪気な子どもたちに何を伝えていくのか、そう考えながら生きることがとても大切だと思います。
俳句作家の皆さまには、これからも溌剌と句を詠み続けていただきたい、その姿や自然への眼差しを後世に伝えていただきたいと訴えました。
今年も招待を受け、簡単なスピーチをさせていただきました。
草田男の句「焼跡に残る三和土や手毬の子」を引いて、65年前の終戦直後の日本、
15年前の阪神淡路大震災、県内近隣では能登や中越での地震など、被災した場所に暮らす人々にとっては、絶望的な状態ではなかったかと想像されます。
しかし、そんな中にあっても、ただ手毬で遊ぶ女の子の姿に一縷の希望を見出すことができます。
引き継いでいく、育てなければならない命があります。
今の私たちは、こうした無邪気な子どもたちに何を伝えていくのか、そう考えながら生きることがとても大切だと思います。
俳句作家の皆さまには、これからも溌剌と句を詠み続けていただきたい、その姿や自然への眼差しを後世に伝えていただきたいと訴えました。