秋に2つの保育園で行う「子どもの本を読み直そう」講座の準備をしています。
今回は、大塚勇三再話、赤羽末吉画『スーホの白い馬』を取り上げます。
この作品は、保育所幼稚園では絵本として読みますが、
小学校では国語の教材としても用いられています。
その両方を読んだ方もいらっしゃれば、どちらかだけ読んだ方も、
もしかしたら両方とも読んだことがない方もいらっしゃるかもしれません。
だからこそ、読んでみたい、読み直してみたいのです。
当たり前のことですが、子どもの教育は、
幼保の現場で完結するものではありません。
また、教育は小学校以降で考えればよいということでもありません。
教育は本来幼保と小学校、さらには中学高校と一本筋の通ったものです。
ただ、子どもの発達段階、学ぶ時期があるため、何か違うような感じがするだけなのです。
本来は、それぞれ現場の教員は、自分のしている保育教育活動が
子どもの将来にどのような影響を与え、今後どう生かしてほしいのかを
考えるながら行うべきであり、教員全員がそのことを意識して教育しなければ
学校間の連携など不可能です。
しかし、それぞれの現場教員は日常の業務に忙殺され
そのことを考えるのが極めて困難であるというのが現状でしょう。
今回の講座を通して、保育者教育者の皆様に少しでもそのことを考える時間を
提供できたらと考えています。
今回は、大塚勇三再話、赤羽末吉画『スーホの白い馬』を取り上げます。
この作品は、保育所幼稚園では絵本として読みますが、
小学校では国語の教材としても用いられています。
その両方を読んだ方もいらっしゃれば、どちらかだけ読んだ方も、
もしかしたら両方とも読んだことがない方もいらっしゃるかもしれません。
だからこそ、読んでみたい、読み直してみたいのです。
当たり前のことですが、子どもの教育は、
幼保の現場で完結するものではありません。
また、教育は小学校以降で考えればよいということでもありません。
教育は本来幼保と小学校、さらには中学高校と一本筋の通ったものです。
ただ、子どもの発達段階、学ぶ時期があるため、何か違うような感じがするだけなのです。
本来は、それぞれ現場の教員は、自分のしている保育教育活動が
子どもの将来にどのような影響を与え、今後どう生かしてほしいのかを
考えるながら行うべきであり、教員全員がそのことを意識して教育しなければ
学校間の連携など不可能です。
しかし、それぞれの現場教員は日常の業務に忙殺され
そのことを考えるのが極めて困難であるというのが現状でしょう。
今回の講座を通して、保育者教育者の皆様に少しでもそのことを考える時間を
提供できたらと考えています。
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