えーそれでは、新しい門出を迎える事になりました、代田選手に応援歌入りまーす!
ピー、どんどんどん。
♪どこまでも どこまでも 果てしない空
信じている限り 夢は終わらない~♪
かっ飛ばせ~、代田!!
(T_T)…。
【以下23時41分の追記でやんす】
えー。
ことに選手の門出や第2の人生を迎える話になりますってーと、古ければ古いファンほど、どうしても思い出という名の蘊蓄を語りたがる性分なので御座います。
おそらくこちらをお読みのファンの方は、やはり最近マリーンズのファンになられた方々がいっぱいいらっしゃるのでしょうか。
ともすると、新しい方々からすれば、古い人間の蘊蓄なんぞを聞かされておりましても、「なんだい、俺が知らないような古い話なんて、ここじゃ聞きたくないんだい、俺が聞きたいのは今のマリーンズの話なんだよ」と、えらい剣幕で青筋を立てて息を巻いて迫られるかもしれませんが、そこはそれ、「温故知新」という言葉も御座いまして、「古木を知って新井を知る」じゃなかった、「古きをたずねて新しきを知る」という気持ちになって、一席お付き合い頂ければと存じます。
新しいファンの方にも、どんどん古いことは知っておいて頂きたいし、知って欲しいからこそ、誰が聞いているかも、誰が呼んでいるかも分からないネット上という荒れ野に向かって語りかけるという行為なんぞをしているというわけで御座いまして、古きを知りたいと願うファンの方がちょいとでもいらっしゃらないと、とどのつまりいつまでたっても「新しいファン」「古いファン」でいがみ合っている状況なんて、悲しい事じゃ御座いませんか。
代田さんにとっての運命の分かれ道は、2003年10月12日、千葉マリン最終戦。
この年の代田さんは、秋に1軍に上がるや突如確変を起こし、打つし走るし、消化試合の一戦とはいえ、おそらく、起用には来季テストの意味合いが色濃かったのだろう。一打席に生き残りを賭けて遮二無二食らいつく代田さんに、心底心酔したファンは、どれくらいに上っただろう。
そして迎えた、千葉マリン最終戦。
ヤマモトマリーンズ最終章。
来季の監督も全く決まっておらず、外人もネイサン・ミンチー以外は全員退団濃厚と話が伝わり、来季に対して構想も何も見えない状態で迎えた、異様な試合。
ライトスタンドからは、中途入団ながら大活躍を見せたホセ・フェルナンデスに対して、「ホセ残せ!」コールの中、ホセはホームランを打つ。
そして、代田さんの打球は…。
ショートゴロが、一塁への送球がそれたか、ファーストと交錯。
その瞬間にヒザをケガし、無念の退場。
そのシーンは、上手いことこのブログで表現出来ないのが悔しくて仕方がないが、あの代田さんまでケガをした。
来季のマリーンズに対してもそうだし、代田さんに対してもそうだし、来季のマリーンズの姿がまた一つ見えなくなってしまったことに、またしても暗雲が心の中を去来した。
せめて代田さんには、来季も頑張って欲しいと、エールを送りたかったのに…。
あのケガの様子だと、そのまま病院に行ったんだろうなあ…。
ところが。
試合終了後のセレモニーで、左膝をケガしたはずの代田さんが、痛みに耐えかねてぴょんぴょん跳ねながら、ライトスタンドまで挨拶に来た。
…。・゜・(ノД`)・゜・。
バカヤロー。
代田さんの大バカヤロー…。。。
なんで、なんで、病院に行かずに俺達に挨拶なんかしているんだよ…。
その足は痛くて痛くてたまらないはずじゃないか…。
その後かその前かは後先は全く覚えていないのだけれど、退団濃厚と話があったホセ君(=フェルナンデス)とシコースキーが、共にライトスタンドにやって来て、身につけていた手袋や帽子をスタンドに投げ入れて行く挨拶。即ち、「あばよ」。
何度過去のシーンは過去ログでも触れているので、ご存知の方もいらっしゃることかとは思うが、この時のおいらは、外野席でマジで壊れていた。あれだけマジで壊れたのは、球団合併の動きが表面化した2004年7月7日の時を除けば、後にも先にもこの日が最初で最後だ。中通路の手すりにへばりついて、「お前らがいなければ、来年のマリーンズはどうなるんだ!」と、仲間に止められるのも厭わずに叫び続けた。
そして代田さん。
2日後に下された診断は、「左ヒザ半月板損傷、前十字靱帯部分断裂」。全治一年。
そして、戦力外通告。
この非情な通告に怒ったファンがどれくらいいたかは、生憎と分からない。
ただ、おいらは「それがマリーンズのやり方ならファンなんか辞めてやる」という位の勢いで怒り狂ったのは確かだ。
2004年。
浦和の片隅で、黙々と練習に打ち込む姿を、この頃浦和に通っていたファンは、みんなその姿を目撃している。
いつ、どのチームで復帰出来るかは分からない。
ただ、どこでもいいから、代田さんにもう一度野球をやらせてあげて欲しい。
…。
それがロッテだもんなあ…。
あの復帰は、本当に嬉しかった。
2004年から目をつけていたのが他ならぬボビーだったというのも憎すぎる。
野球の神様は、代田さんにちょっとだけ微笑んだのだ。
そして2006年7月29日。
古巣・大阪ドームで初のお立ち台。
この時のことは、ここで書くよりも、当時の思いの丈をそのままぶつけたエントリをお読み頂ければ間違いはない。
2006年7月30日付「代田さぁぁぁぁぁぁんんん!!」
野球の神様に翻弄されながらも、自らの力と努力で、神様を振り向かせた男。
ハデな活躍をしたわけではない。
それでも、日ごろの努力で一瞬のチャンスを掴み取り、プロフェッショナル精神をどこまでも貫いた代田さん。
あなたからいただいたサインは、家宝です。
そんなもんだから、代田さんの応援歌といえば、ルパン三世ももちろんそうなのだけれど、2003年のイメージが未だに色濃く残っているもので、どうしても立志舎のCMソングや、2003年最終戦前後で流れた「銭形マーチ」の方が、どうしてもしっくり来るんだよなあ…。
ちなみに、銭形マーチのバージョンは、過去ログのリンクから聞けます。
2006年10月2日付マリーンズと書いて「空気読め」と読むの記事から、2003年最終戦後に行われた2次会の音源のリンクが貼り付けて御座います。リンク先は個人所有の物なので、あまりおおっぴらには出しませんが、5年前の2次会の様子も、まだばっちり残ってます。
今江が初代の曲だし、キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!とか他にもまあいろいろと。
今は「野球応援評論家」になっちゃったジン君の叫びもナツカシス…。
今後もそのプロフェッショナル精神を、若手に叩き込んで頂きたいと思います。
代田選手、お疲れ様でした。
マリーンズの若手選手をビシビシ鍛えてやって下さい。
代田選手が現役引退を表明 - マリーンズ公式
ピー、どんどんどん。
♪どこまでも どこまでも 果てしない空
信じている限り 夢は終わらない~♪
かっ飛ばせ~、代田!!
(T_T)…。
【以下23時41分の追記でやんす】
えー。
ことに選手の門出や第2の人生を迎える話になりますってーと、古ければ古いファンほど、どうしても思い出という名の蘊蓄を語りたがる性分なので御座います。
おそらくこちらをお読みのファンの方は、やはり最近マリーンズのファンになられた方々がいっぱいいらっしゃるのでしょうか。
ともすると、新しい方々からすれば、古い人間の蘊蓄なんぞを聞かされておりましても、「なんだい、俺が知らないような古い話なんて、ここじゃ聞きたくないんだい、俺が聞きたいのは今のマリーンズの話なんだよ」と、えらい剣幕で青筋を立てて息を巻いて迫られるかもしれませんが、そこはそれ、「温故知新」という言葉も御座いまして、「古木を知って新井を知る」じゃなかった、「古きをたずねて新しきを知る」という気持ちになって、一席お付き合い頂ければと存じます。
新しいファンの方にも、どんどん古いことは知っておいて頂きたいし、知って欲しいからこそ、誰が聞いているかも、誰が呼んでいるかも分からないネット上という荒れ野に向かって語りかけるという行為なんぞをしているというわけで御座いまして、古きを知りたいと願うファンの方がちょいとでもいらっしゃらないと、とどのつまりいつまでたっても「新しいファン」「古いファン」でいがみ合っている状況なんて、悲しい事じゃ御座いませんか。
代田さんにとっての運命の分かれ道は、2003年10月12日、千葉マリン最終戦。
この年の代田さんは、秋に1軍に上がるや突如確変を起こし、打つし走るし、消化試合の一戦とはいえ、おそらく、起用には来季テストの意味合いが色濃かったのだろう。一打席に生き残りを賭けて遮二無二食らいつく代田さんに、心底心酔したファンは、どれくらいに上っただろう。
そして迎えた、千葉マリン最終戦。
ヤマモトマリーンズ最終章。
来季の監督も全く決まっておらず、外人もネイサン・ミンチー以外は全員退団濃厚と話が伝わり、来季に対して構想も何も見えない状態で迎えた、異様な試合。
ライトスタンドからは、中途入団ながら大活躍を見せたホセ・フェルナンデスに対して、「ホセ残せ!」コールの中、ホセはホームランを打つ。
そして、代田さんの打球は…。
ショートゴロが、一塁への送球がそれたか、ファーストと交錯。
その瞬間にヒザをケガし、無念の退場。
そのシーンは、上手いことこのブログで表現出来ないのが悔しくて仕方がないが、あの代田さんまでケガをした。
来季のマリーンズに対してもそうだし、代田さんに対してもそうだし、来季のマリーンズの姿がまた一つ見えなくなってしまったことに、またしても暗雲が心の中を去来した。
せめて代田さんには、来季も頑張って欲しいと、エールを送りたかったのに…。
あのケガの様子だと、そのまま病院に行ったんだろうなあ…。
ところが。
試合終了後のセレモニーで、左膝をケガしたはずの代田さんが、痛みに耐えかねてぴょんぴょん跳ねながら、ライトスタンドまで挨拶に来た。
…。・゜・(ノД`)・゜・。
バカヤロー。
代田さんの大バカヤロー…。。。
なんで、なんで、病院に行かずに俺達に挨拶なんかしているんだよ…。
その足は痛くて痛くてたまらないはずじゃないか…。
その後かその前かは後先は全く覚えていないのだけれど、退団濃厚と話があったホセ君(=フェルナンデス)とシコースキーが、共にライトスタンドにやって来て、身につけていた手袋や帽子をスタンドに投げ入れて行く挨拶。即ち、「あばよ」。
何度過去のシーンは過去ログでも触れているので、ご存知の方もいらっしゃることかとは思うが、この時のおいらは、外野席でマジで壊れていた。あれだけマジで壊れたのは、球団合併の動きが表面化した2004年7月7日の時を除けば、後にも先にもこの日が最初で最後だ。中通路の手すりにへばりついて、「お前らがいなければ、来年のマリーンズはどうなるんだ!」と、仲間に止められるのも厭わずに叫び続けた。
そして代田さん。
2日後に下された診断は、「左ヒザ半月板損傷、前十字靱帯部分断裂」。全治一年。
そして、戦力外通告。
この非情な通告に怒ったファンがどれくらいいたかは、生憎と分からない。
ただ、おいらは「それがマリーンズのやり方ならファンなんか辞めてやる」という位の勢いで怒り狂ったのは確かだ。
2004年。
浦和の片隅で、黙々と練習に打ち込む姿を、この頃浦和に通っていたファンは、みんなその姿を目撃している。
いつ、どのチームで復帰出来るかは分からない。
ただ、どこでもいいから、代田さんにもう一度野球をやらせてあげて欲しい。
…。
それがロッテだもんなあ…。
あの復帰は、本当に嬉しかった。
2004年から目をつけていたのが他ならぬボビーだったというのも憎すぎる。
野球の神様は、代田さんにちょっとだけ微笑んだのだ。
そして2006年7月29日。
古巣・大阪ドームで初のお立ち台。
この時のことは、ここで書くよりも、当時の思いの丈をそのままぶつけたエントリをお読み頂ければ間違いはない。
2006年7月30日付「代田さぁぁぁぁぁぁんんん!!」
野球の神様に翻弄されながらも、自らの力と努力で、神様を振り向かせた男。
ハデな活躍をしたわけではない。
それでも、日ごろの努力で一瞬のチャンスを掴み取り、プロフェッショナル精神をどこまでも貫いた代田さん。
あなたからいただいたサインは、家宝です。
そんなもんだから、代田さんの応援歌といえば、ルパン三世ももちろんそうなのだけれど、2003年のイメージが未だに色濃く残っているもので、どうしても立志舎のCMソングや、2003年最終戦前後で流れた「銭形マーチ」の方が、どうしてもしっくり来るんだよなあ…。
ちなみに、銭形マーチのバージョンは、過去ログのリンクから聞けます。
2006年10月2日付マリーンズと書いて「空気読め」と読むの記事から、2003年最終戦後に行われた2次会の音源のリンクが貼り付けて御座います。リンク先は個人所有の物なので、あまりおおっぴらには出しませんが、5年前の2次会の様子も、まだばっちり残ってます。
今江が初代の曲だし、キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!とか他にもまあいろいろと。
今は「野球応援評論家」になっちゃったジン君の叫びもナツカシス…。
今後もそのプロフェッショナル精神を、若手に叩き込んで頂きたいと思います。
代田選手、お疲れ様でした。
マリーンズの若手選手をビシビシ鍛えてやって下さい。
代田選手が現役引退を表明 - マリーンズ公式
代田建紀選手(34)が今季限りで引退し、来季から二軍外野守備走塁コーチに就任することが決まりましたのでお知らせします。
代田選手コメント
「寂しい気持ちはありますが、指導者になるという事も大きな夢として自分の中にありました。
実績のない自分をコーチとして迎えてくれることに感謝し、ありがたく引き受けさせてもらいました。
ファンの皆様には、代走で出場した時などに大きな声援をいただき、温かく見守ってもらえたことを本当に感謝をしております。本当に幸せでした」
通算成績
191試合に出場、打率.165、25盗塁
公式タンのプロフィールの
「最も印象に残っている試合・場面」に
「2006年 初のヒーローインタビュー」
ってありました♪
ずっと前のこと、知りたいから
此処にきました~(≧∇≦)b
2003年のマリスタ最終戦エカの胴上げ拒否よりも、代田さんの怪我が一大事な最終戦でしたが、ボビーが代田さんがいたから2005年は良かったなんて言っていましたね。
ボビーにいわせれば、代田さんはイチロー以上の存在かもしれませんね。
ともすると、今の方にとっては、古いファンの回顧なんて、どうでもいい話と受け取ってしまわれることもあると思うのですが、そんな数周が悲しくて悲しくて…。
12球団でロッテほど、今のファンが昔を知らない…というところなど無いと思うのです。
>ウインズさん
そういえばいなくなっちゃったなあ、S君。
2軍が優勝を決めたときに、顔面からビールの泡をぶっかけてやったのは、ここだけの内緒です←おい
おそらくプロフェッショナル論としては、ボビーは代田さんに一目を置いているのだと思います。発言の節々からもそれが伺えるのが、ファンならずとも嬉しいです。