GW中にまとめようまとめようと思いつつも、とうとう流れ流れて空の下、こんな時期にまとめることになっちまいました。
まあ、竹原トレードは青天のへきれきってやつでしたな。
正直出されるなら昨シーズンオフとばかりずっと思っていたので、言葉は悪くて申し訳ないけれど、「生き延びた」と言った方がおいらの感想にはより近いし、生き延びたからには、なんとか昨年とは違う結果を…とは思っていた。
竹原に関しては、当ブログをご覧の方々が、私が竹原自身に関してどんな印象を抱き、どう評していたかは、一定のご理解はいただいているとは思うけれど、はっきり言えば、試合中本気で怒ることができた唯一の選手だった。
すなわち、結果が出る出ないにかかわらず、その結果に至るプロセスがこちらに伝わればよかったのだが、残念だが竹原はそうした選手ではなかった。
おいらもマリーンズに関するエントリの中で、「結果はどうだろうと関係ない、そのプロセスこそが問題なのだ」と、昨シーズンを振り返るだけでも散々っぱら書いている。
「プロは結果がすべて」とよく人は言うけれど、おいらは必ずしも100%賛同はしない。
確かに結果を求められては来たけれど、求める結果に対して、打席でどういうプロセスを踏んだか。
竹原は、打席ではそうしたことを提示する選手ではない、そうした性格ではないと言った方がいいだろう。
結果が出るときはあっさりライナー性の鋭い打球を飛ばしていたが、そうでないときはチャンスで2球目、3球目をあっさりひっかけてセカンドゴロなどに終わることがよくあり、それがゆえにファンがフラストレーションをためていたというのも、残念ながら事実である。
こればっかりは、一言でいえば「勝負に淡白な性格」であったが故の心理状況のかい離もあったのだろう。
分かっている。
分かってはいる。
それでもなおかつ、再三再四チャンスを貰いながら結果が出ない打席に、時には歯ぎしりし、時にはかぶっていた帽子を床に思いっきり叩きつけたりもした。
チャンスを貰いながらも日に日に消費されていく出番に、決してひいきしているつもりはなかったけれど、打てば喜び、あっさり凡退すれば容赦なく激怒した。ファンには申し訳ないけれど、おそらくは痛烈なヤジを飛ばしたことも、2度や3度ではなかっただろう。「前に竹原ファンの○○ちゃんがいるからやめて!」と周囲に止められたのも、2度や3度ではなかった(^^ゞ
それだけ、俺は竹原には本気だった。
マリーンズの特定の選手に、これだけ熱くなったのは、間違いなく竹原以外いなかった。
青野、大松、竹原のクリーンアップを、本気で夢見ていた頃が懐かしい…。
そういう意味では、環境を変えて心機一転檻ッ鉄に行って、イチから竹原自身の居場所を作り直すのは、決して悪いことではないと思う。
その居場所を作れるか作れないかは、あくまで竹原の腕とバット次第。
外野でどこかのポジションに風穴を開けるのか、或いは指名打者で長距離砲を目指すのか。
思えばアマ時代は和製大砲として騒がれ、社会人時代には野球部閉鎖も経験している苦労人。
そしてトレード。
期待の大砲は、今こそヒーローになれるのか。
魂を込めて振りぬいた一撃は、栄光の架け橋を描く事が出来るのか。
すべては、竹原自身の腕とバットと考え方次第。
2009年7月の福島の楽天戦。
長谷部から打ったグランドスラムを含む2ホームランの「福島七夕竹原祭り」は、一生の思い出として、胸にしまいこんでおきます。
この試合のエントリはこちら。
2009年7月8日付「千葉の敵を南東北で返す」
月並みな言葉ですが、頑張れ、竹原。
まあ、竹原トレードは青天のへきれきってやつでしたな。
正直出されるなら昨シーズンオフとばかりずっと思っていたので、言葉は悪くて申し訳ないけれど、「生き延びた」と言った方がおいらの感想にはより近いし、生き延びたからには、なんとか昨年とは違う結果を…とは思っていた。
竹原に関しては、当ブログをご覧の方々が、私が竹原自身に関してどんな印象を抱き、どう評していたかは、一定のご理解はいただいているとは思うけれど、はっきり言えば、試合中本気で怒ることができた唯一の選手だった。
すなわち、結果が出る出ないにかかわらず、その結果に至るプロセスがこちらに伝わればよかったのだが、残念だが竹原はそうした選手ではなかった。
おいらもマリーンズに関するエントリの中で、「結果はどうだろうと関係ない、そのプロセスこそが問題なのだ」と、昨シーズンを振り返るだけでも散々っぱら書いている。
「プロは結果がすべて」とよく人は言うけれど、おいらは必ずしも100%賛同はしない。
確かに結果を求められては来たけれど、求める結果に対して、打席でどういうプロセスを踏んだか。
竹原は、打席ではそうしたことを提示する選手ではない、そうした性格ではないと言った方がいいだろう。
結果が出るときはあっさりライナー性の鋭い打球を飛ばしていたが、そうでないときはチャンスで2球目、3球目をあっさりひっかけてセカンドゴロなどに終わることがよくあり、それがゆえにファンがフラストレーションをためていたというのも、残念ながら事実である。
こればっかりは、一言でいえば「勝負に淡白な性格」であったが故の心理状況のかい離もあったのだろう。
分かっている。
分かってはいる。
それでもなおかつ、再三再四チャンスを貰いながら結果が出ない打席に、時には歯ぎしりし、時にはかぶっていた帽子を床に思いっきり叩きつけたりもした。
チャンスを貰いながらも日に日に消費されていく出番に、決してひいきしているつもりはなかったけれど、打てば喜び、あっさり凡退すれば容赦なく激怒した。ファンには申し訳ないけれど、おそらくは痛烈なヤジを飛ばしたことも、2度や3度ではなかっただろう。「前に竹原ファンの○○ちゃんがいるからやめて!」と周囲に止められたのも、2度や3度ではなかった(^^ゞ
それだけ、俺は竹原には本気だった。
マリーンズの特定の選手に、これだけ熱くなったのは、間違いなく竹原以外いなかった。
青野、大松、竹原のクリーンアップを、本気で夢見ていた頃が懐かしい…。
そういう意味では、環境を変えて心機一転檻ッ鉄に行って、イチから竹原自身の居場所を作り直すのは、決して悪いことではないと思う。
その居場所を作れるか作れないかは、あくまで竹原の腕とバット次第。
外野でどこかのポジションに風穴を開けるのか、或いは指名打者で長距離砲を目指すのか。
思えばアマ時代は和製大砲として騒がれ、社会人時代には野球部閉鎖も経験している苦労人。
そしてトレード。
期待の大砲は、今こそヒーローになれるのか。
魂を込めて振りぬいた一撃は、栄光の架け橋を描く事が出来るのか。
すべては、竹原自身の腕とバットと考え方次第。
2009年7月の福島の楽天戦。
長谷部から打ったグランドスラムを含む2ホームランの「福島七夕竹原祭り」は、一生の思い出として、胸にしまいこんでおきます。
この試合のエントリはこちら。
2009年7月8日付「千葉の敵を南東北で返す」
月並みな言葉ですが、頑張れ、竹原。
一軍では目立たないのに、二軍では格の違いをまざまざと見せ付けていました
チャンスで凡退後、ベンチでヘラヘラしている(ような)姿が映し出されるたびに、「タケー」と一人怒鳴ったものでした
なにはともあれ、オリで最期のチャンスをつかんでもらいたいものです
本人もよく覚えていると思います。
わしら二人もあそこから始まったんですが(^^ゞ
今はチャンスを貰っている立場、遮二無二食らいついて欲しいです。