小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

画像フォルダの国鉄を探して

2017-03-30 18:21:22 | Weblog
今年は2017年。国鉄分割民営化からまる30周年ということで、当時の交通公社時刻表が復刻されるなど、いろいろと30周年に向けて動いておりますが、当方でも、画像フォルダの中にあった「国鉄」を探して一丁。

そんなわけで、2003年7月にJR久留米駅バス乗り場で撮影した、当時でも貴重だった「国鉄」の文字が残った看板。
久留米競輪場への送迎バスの時刻であります。
…これ、当時から堀川バスの運行だったのかな?
今は堀川バスの運行ですが、昔は西鉄バスだったような気がするし、久留米競輪場があるエリアは西鉄バスと堀川バスが両社路線を持っているから、僕が住んでいた1980年代前半~半ばくらいからずっと堀川バスだったような気もするのだけれど、バスには興味があっても、こうしたギャンブル場護送バスはガキンチョのころは興味がなかったしなあ…。
なので、昔実は久留米市民だったにもかかわらず、久留米競輪場の送迎バスの業者は全く記憶にございません(´・ω・`)

そういえば、JR久留米駅も、新幹線開業に伴って姿を大きく変えましたね。
以前はこのような駅舎でございまして。



今はバス乗り場はロータリー内にあるけれど、当時のバス乗り場は、久留米駅からやや南側へ歩いた場所に、こじんまりとしたターミナルがございまして。
今でもバス留置場自体は残っているから、バス乗り場の痕跡はおそらく残っているとは思いますが、こんな感じのバス乗り場でありました。



バス乗り場の行先に隠された文字はなんですかね。
たぶん、「山鹿」「熊本」とか、「大牟田」とか、そんな感じですかね。
ああそうだ、当時は日田のさらに奥、杖立温泉まで日田バスが直通していたから「杖立」かも。

国鉄。
稲毛駅西口にも看板が残っていたのですが、シール攻撃にあって文字が潰された(´・ω・`)

東京近辺に「国鉄」の痕跡は、果たしてどれくらい残っているのでしょうか。


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