こちらの記事の続きになります。
さて、ホークスの誰かが練習中である以外はほぼ無人の福岡ヤフージャパンドームを満喫したあたし。
そろそろ「乗りバス」に転じてみようかと。
バスを降り立った国立医療センター前バス停に戻ると、まあいろいろとバスの行先があって、行先を選ぶのにああでもないこうでもないとあれやこれやと考える。
一応頭にあるのは、福岡の交通政策の特殊性を端的に表す例として、地下鉄のほぼ真上を、他社の路線バスが並行してバンバン走らせているという事実で、もともと福岡市内は天神や博多地区はいろいろ回ったことはあるけれど、天神より西側はあまり足を踏み入れたことがない地域ばかりなので、それらをまとめてバスに乗って見てみようじゃないかと。
即ち、国立医療センター前から1番のバスで姪浜駅方面に出て、折り返し1番の「貫線」系統で天神へ出てみようという腹積もり。この先の藤崎~姪浜間は全くもと来た道を逆戻りすることになるが、細かいことはあまり気にしないw
元来た道を戻るのは本来なら邪道とするところで、それなら以前新しく開業した福岡市営地下鉄七隈線の適当な駅までバスに乗っかってひとまず七隈線を乗り潰すのもよいかと思うし、本来ならむしろまずそう考えるのだけれど、今回は普段の行動では見ることができない普段着の福岡の街を見てみたいという思惑もある。
というより、七隈線方面に向かうバスにはかなり興味はひかれたが、生憎とバス案内所で路線図をもらっておらず、七隈線自体の下調べすら全くしていなかったので、七隈線方面に行くにはどのバスに乗ればよいのか、或いは七隈線とおぼしき駅名を行先に掲げるバスまで待たなければいけないのかが全く判然とせず、行こうにも重たい腰を上げづらかったというのもあるw
というわけで、姪浜方面に向かう1番の野方行きに乗ってみる。
バスは百道浜の2車線道路を悠然と走るが、右折すれば福岡タワーという交差点で、さっそく福岡タワーが終点のバス達に取り囲まれるw
いわゆる福岡名物「バスの壁」というのは、天神や博多駅周辺では日常的に見られる光景だけれども、真っ昼間に同じような路線バスが4台も5台も雁行状態で見られる光景が、都市部のいたるところで繰り広げられている様を見ることができるのは、日本広しと言えどまあ福岡くらいなものだろう。
右折レーンをバスが取り囲んでいる様を、大型サイズでご覧いただきます。
※↑クリックで拡大します。
この百道浜から藤崎へ抜けるバスは、福岡ドームへの行きしなに都市高速を西公園ランプで流出して中央市民プール、福浜二丁目を過ぎて福岡ドームに差し掛かるところの川を渡る前後の宅地開発状況で開発年代が推定できるのと同様に、百道浜から藤崎へ南下する過程でも、開発された年代がおおよそ推定できる。即ち、「百道浜」は1980年代後半から1990年代にかけて開発された場所であるところに対し、「百道」「藤崎」一帯は、すでにその頃には開発を終えているエリアである。
藤崎でバスは交差点を右折して西進、室見を経て姪浜へ至るという、藤崎~姪浜間は地下鉄のルートとは若干の相違はあるけれど、ほぼ並行していると表現して差し支えないルートを走る。
とりあえずこのバスを姪浜駅北口で下車。どうやらこの辺りのバスは、同じ「姪浜」を名乗っても、駅前ターミナルである姪浜駅南口に入る系統とそうでない系統があるらしく、これが余計に余所者には理解しがたい状況になっているので、とりあえず「駅前」を名乗る場所で下車することにした。このあたり、いつでもどこでも降りられるのはフリーきっぷのよいところである。
姪浜は福岡市営地下鉄の終点で、マリーンズファンも福岡遠征で空路福岡入りした際や、唐人町経由で福岡ドームに足を運ぶ人にとってはおなじみの場所。姪浜から西はJR筑肥線が西唐津まで延びているが、この先は15分~60分ヘッドになる。
乗りつぶしに精を出すのであれば、姪浜から筑肥線の西唐津、そして伊万里までまるまる乗り残しているので、一瞬で伊万里まで攻めて帰りは昭和バスの「いまり号」で福岡まで戻るとか考え付くのだが、今日はフリーパスが手元にあるのでこのまま1番の天神行き(天神北止まり)で天神まで折り返す。
なにせ地下鉄は数多く乗っても、なかなかその真上をほぼ完全にトレースする路線バスに乗る機会などそうそうあるものではないし、そもそも総合交通体系を考えた交通政策を考えるのであれば、そんな路線を引いていること自体がある意味おかしいわけである。
他の都市をいろいろ見て行っても、地下鉄の路線と完全に並行して走っている路線バスはそうそう探しても見つかるものではない。地下鉄の起点と終点、或いは起終点とターミナル駅を結ぶバスはあるだろうが、もちろん大抵はバスと地下鉄とでは経由地を全く異にした設定をしているがゆえに両者が共存できるものであり、途中の天神までではあるが、地下鉄の真上をほぼ並行する路線としは、この1番バスが稀有な存在である。
バスはもと来た道を室見、藤崎バスターミナル前と戻り、西新、唐人町、大濠公園と地下鉄の真上をトレース。
大濠公園近くになると道路幅も3車線、4車線ほどになって広くなるが、荒戸1丁目で、バスは大きくて広い昭和通を外れて右へ進んで明治通りへ。
この通りが、もともと西鉄の福岡市内線貫線(かんせん)が走っていたところであり、1番バスはその代替系統という意味合いもあり、今でも市内電車の頃の名称であった「貫線」という名前が残っている。
…このあたり、一番前の左側に乗っていたのだから、様子を全部写真に撮っておけば良かったのだが、その発想がなかったのはなんでだろ…orz
バスは40分ほどをかけて天神の天神センタービル前にある13Bバス停に到着。バスはこの後天神交差点を左折して北進、すぐ北隣を東西に貫いている昭和通を越えた天神北バス停が終点になる。折り返しはおそらく、那の津口にある西鉄バスのプールを使うのだろう。
昼飯はラーメンでも…と思ったが、夜食もラーメンを食べる腹積もりであったため、2食ラーメンもどうかと思って自重。本当ならすぐにでも脂臭い店を目指して新天町辺りを右往左往したかったのだが、なんとなく新天町商店街入口にあったロッテリアに落ち着いてしまったのは、もはやロッテファンの悲しい性w
時計を見るともう14時30分前でいい時間。
天神のバスセンターでも見物して、ボチボチ久留米に移動しますかね。
まあ、慌てて移動しなくてもいいのだが、大荷物を持って久留米まで移動するのに、せっかくだから西鉄の特急8000系車両にご挨拶するのが礼儀というものだし、ラッシュにかかってはけんのんだ。
天神高速バスセンターへ通じる連絡通路から、渡辺通りを南へ一望してみる。
ここから久留米方面へ行くバスが出ていれば乗るのだけれど、真下から特急電車が30分で走るというのに、バスなんか走らせても意味はありませんわな(´・ω・`)
「久留米方面」という意味では、熊本行き「ひのくに号」で久留米インターで下車すれば確かに「久留米方面」には連れて行ってもらえるのだが、そこから路線バスかタクシーに乗り継ぐルートを選ぶ奴はそうそういるはずがないw
西鉄の大牟田行き特急は30分間隔。
次は15時ちょうど発の大牟田行き。発車まで20分もあるのにもう列が伸びているので並んで待つことにする。
その間に、新型3000系の小郡行き急行を一枚。
大牟田行き特急にライドオン。
筑後平野の真っ只中を久留米まで30分で突っ走る。
20分前から乗車位置に列が出来ているのを証明するかのように、特急車内はほぼ満席の乗車率。立ち客はいないけれどほぼ全ての座席が埋まっている。
この区間の西鉄電車に乗るのはまる9年ぶり。
前回の福岡ドームの項で少し触れたが、初遠征の2002年7月、佐賀競馬に遠征した後に佐賀競馬から西鉄久留米まで友の会バスに揺られ、特急電車で天神へ出てバスで福岡ドームまで駆けつけて土曜ナイターの応援を楽しんで以来で、下りの特急に乗ったとなると…多分久留米に住んでいた当時の1985年まで遡るのではないかと思うのだ。
いやあ…懐かしいねえ。
そうそう。2002年の福岡ドーム初遠征で、今のマリーンズの観戦仲間達と初めて出会ったのが、その前日の金曜日の6番ゲート前。当時はチケットがなかなか取れないということもあり、外野自由席のチケットが取れなかった時点で土日の観戦は諦めて佐賀競馬巡礼をして、翌日はフラフラと広島へ行こうというラフデッサンを描いていたので、土曜日の福岡ドームでの対ロッテ戦の観戦は全く予定外だったのだ。
で、外野自由席はなかったけれど、レフト側の外野指定席(当時のレフト側は通路より下が指定席、上段が自由席で、今のように「ビジターエリア」などという生易しい隔離地帯など存在しなかった)が売れ残っていたので、このチケットを手にごにょごにょさせていただいたのである。
そんな感慨にふけりながら、あっという間の30分で特急は久留米に到着。
2002年7月以来、9年ぶりの久留米でございます。
大牟田へ向けて走り去る特急8000系。
写真だと小さくてわかりづらいけれど、右奥にはおそらく甘木行きワンマンカーが滑り込むシーンも写っている。
さて、今宵の宿は、西鉄久留米駅東口ロータリーにある、岩田屋久留米店の上にあるハイネスホテル久留米にチェックイン。
確かオープンは1984年だか85年だったかで、岩田屋の新館と同時オープンだったはず。
当時は「えらい立派なシティホテルが出来たもんだ」と子供心ながらに思っていたのだが、時の流れは非情なもので、25年という時を経て、つくりは立派なのだが、今となっては宿泊客を集めるのに四苦八苦な様子。朝食バイキングつきでなんとまあ4800円。開業当初でももっと宿泊料はかかっていたはずであるが…。
まあ、安いので部屋の狭さもそれなりで、部屋はロータリー向きなので、行き交う西鉄電車を見ることができることはできるのだが、いかんせんビジネスホテルクラスの悲しいところで、ベッド横のソファに座っても外の景色は眺められず、見るには立って眼下の景色を覗き込むほかない。むう。
部屋で荷を解くと、今朝方というか未明に見た変な夢で起こされた疲れが一気に回ってきた。
本来なら落ち着いた後にすぐにでも外に出かけたかったが、小一時間ほどベッドに倒れこんだ。
テレビでは相変わらず原発がどうのこうの、放射能がどうのこうのという夕方の情報バラエティ番組が流れている。
…まあ、ここまでくれば原発だの放射能だのの影響は全くないし、節電や停電の必要もなければ、ガソリンも日用品も駅前の店に行けばいくらでも手に入る。ただし電池だけはどこも品薄だったようだけれど。
少々まどろんだ午後5時過ぎに行動再開。
日が落ちないうちに、かつて住んでいたエリアを歩くべく、31番の諏訪野町経由八女営業所行きのバスに乗り八軒屋で下車。
このあたりは1度、もう17年も前になる1994年2月にも一度歩いているので、この地を離れた1985年以来ということはないのだけれど、やhり記憶は風化の一途を辿るようである。
…こんなところだったっけなあ…(・・;)
どうも記憶と道幅が一致しなかったりなんだったり。
当時通っていた小学校は、桜が満開を迎えている。
関東じゃもはや、花見をしたら愛国なんとかとおっしゃる方々から非国民扱いされそうな勢いでもあった。まあ、やったけどねww石原都知事の言いつけを守らず上野公園でやってやったさww
地震が怖くて花見が出来るかバカヤロウ。
…って呟いたら、一緒にいた方が「地震が怖えから広域避難場所(上野公園)に来ているんじゃねえかバカヤロウ」と呟いて一本負け(´・ω・`)
小一時間ほど住んでいたエリアを歩き回り、国道3号と209号を東西に結ぶ上津バイパス沿いにある温浴施設上津天然温泉「遊心の湯」へ。
この温浴施設は最近出来たようで、この旅で「温泉」がまったく縁がないので、久留米で温浴施設を調べて探し出したのだ。
それにしてもここは、バスなどの公共交通機関ではなかなかいけない場所で、一番近いバス停は、西鉄バスのローカルバスである、西牟田経由羽犬塚行き55番バスの本山バス停だが本数がえらく少なく、或いは羽犬塚、船小屋方面行きの50番バスで野伏間下車が徒歩7分ほどと近いのだが、いかんせんバス停からここまで歩くのも面倒でかなわない。
というより、筑後地方のこの時期って、午後6時半を回っても日の明るさが残っているのね(・・;)
日本が東西に長い証拠を改めて見た次第。
日の明るさが残っているといっても、もちろんとうに日はとっぷり暮れていて、まだ空が若干青さを残しているというだけなのだが、関東なら完全に夜の帳の時間帯で、30分程度は日の長さに違いがあるんですなあ…。
本来ならここで風呂上りに一杯行きたい所だけれど、一杯は久留米の市街地に戻ってからやる予定なのでここは我慢。我慢。うう我慢←だったら飲めw
ちなみに、久留米滞在中のおかんの昼間の居場所は、どうやらこの温浴施設の近所らしいということは分かっていたのだが、電話一本入れてお呼ばれしたらそれはそれで面倒なのでやめておくw
帰りは帰りで、国道3号より209号に出る方が圧倒的に近いことは分かっているのだから、50番バスで西鉄久留米に出ればよかったのにと思うのだが、おそらく25年前には整備すらされていなかった上津バイパスを見たくなったのだろう。国道3号まで2キロ近くを歩いてしまった(´・ω・`)
上津バイパスと国道3号との交差点、上津荒木(こうだらき)で、八女から来た諏訪野町、市役所経由JR久留米行きにライドオンする頃にはもう夜もとっぷり暮れて、こっちもせっかく天然温泉に浸かったというのに帰りに余計に疲れるという暴挙(´・ω・`)
昔はこれくらい歩いただけではへばらかなったのに…。
ま、ある程度の疲れがあったほうが酒はおいしいでしょと都合よく解釈w
宿は西鉄久留米にあるのだが、バスはせっかくJR久留米駅行きなので、JR久留米駅まで乗りとおしてみる。
西鉄久留米とJR久留米は2キロ近く離れており、両ターミナルを移動するにはバスかタクシーということになるが、バスも頻発しており、わざわざタクシーに乗るほどの距離ではない。
久留米市内は両駅間のバス路線が再編され、知る限りでは西鉄久留米から大通りをまっすぐ行って縄手のJRのガードまでぶつかってJR久留米駅に向かう便ばかりだったのだが、いつの間にやら本町で右折して一本北隣の通りに入り、市役所を経由してJR久留米にいたる路線が半数以上を占めるようになった。今乗っている31番のバスも市役所を経由するバスである。
JR久留米へついてみると、今まで使用されていたバス乗り場は閉鎖されて完全にバスプールになっており、新しく駅前ロータリーが造成されてバスは全て駅前につけられるようになった。
帰りは佐賀駅バスセンターからやってきた、従来の荘島回りの西鉄久留米経由信愛女学院行きバスで、西鉄とJRの中間地点にある六ツ門で途中下車。
ここから西鉄久留米にいたるアーケードは、おいらの住んでいた80年代は井筒屋デパートやショッパーズプラザがあるなど隆盛を極めたものだったのだが…。
アーケードが真っ暗闇の森((((;゜Д゜)))))))
灯火が全くついていないアーケードで、まさか大震災発生時から節電しているわけでもないだろうが、普通アーケードの中は、夜でも多少の街灯が中を照らすというものなのに、灯火が全く何一つついておらず薄気味悪い。
そりゃあ、井筒屋デパートが閉店して地域の核を失った事情は理解できるし、久留米に限らず、ロードサイド店が反映して旧市街地がシャッター通りと化しているのは地方都市に例を待たないが、アーケードまで真っ暗だなんていくらなんでもやりすぎ。そりゃカップルだったらあんなことやこんなことまでできちゃうけどさ(´・ω・`)
つまりはそれほどの暗さですよ。
暗かった中に「らーめん」の灯火が見えた、六角堂公園そばの大栄ラーメンに逃げ込んでみたw
まずはもつで一杯。おつかれちゃーん。
クハ~。
ついでラーメン。
六ツ門から西鉄久留米まではものの距離ではないので、当然酔いざましがてら歩き。
西鉄久留米駅前自体は人の流れはそれなりにあり、地下道ではストリートミュージシャンがギターをかき鳴らす姿を、女子高生が膝を抱えて真っ正面からガン見していた(^^;)
こういうシーンはいいと思うわ。
いいと思うけど、兄ちゃん歌の声が音程から外れてるで(・・;)
でも、ヘタクソでもきっと気持ちで通じ合っているのかしら。兄ちゃんと女子高生。
かくて久留米の夜は更けていくのであった。
欲を言えば、もうちとワンデーパスを有効活用してもよかったかなあ。
本当だったら宮の陣の国道3号沿いにある、久留米ラーメンのお店に行ってみたかったし、もっといえば一杯やりに福岡まで出ていってもよかったとも思えるが、まあいいか(´・ω・`)
(※以下続きます)
さて、ホークスの誰かが練習中である以外はほぼ無人の福岡ヤフージャパンドームを満喫したあたし。
そろそろ「乗りバス」に転じてみようかと。
バスを降り立った国立医療センター前バス停に戻ると、まあいろいろとバスの行先があって、行先を選ぶのにああでもないこうでもないとあれやこれやと考える。
一応頭にあるのは、福岡の交通政策の特殊性を端的に表す例として、地下鉄のほぼ真上を、他社の路線バスが並行してバンバン走らせているという事実で、もともと福岡市内は天神や博多地区はいろいろ回ったことはあるけれど、天神より西側はあまり足を踏み入れたことがない地域ばかりなので、それらをまとめてバスに乗って見てみようじゃないかと。
即ち、国立医療センター前から1番のバスで姪浜駅方面に出て、折り返し1番の「貫線」系統で天神へ出てみようという腹積もり。この先の藤崎~姪浜間は全くもと来た道を逆戻りすることになるが、細かいことはあまり気にしないw
元来た道を戻るのは本来なら邪道とするところで、それなら以前新しく開業した福岡市営地下鉄七隈線の適当な駅までバスに乗っかってひとまず七隈線を乗り潰すのもよいかと思うし、本来ならむしろまずそう考えるのだけれど、今回は普段の行動では見ることができない普段着の福岡の街を見てみたいという思惑もある。
というより、七隈線方面に向かうバスにはかなり興味はひかれたが、生憎とバス案内所で路線図をもらっておらず、七隈線自体の下調べすら全くしていなかったので、七隈線方面に行くにはどのバスに乗ればよいのか、或いは七隈線とおぼしき駅名を行先に掲げるバスまで待たなければいけないのかが全く判然とせず、行こうにも重たい腰を上げづらかったというのもあるw
というわけで、姪浜方面に向かう1番の野方行きに乗ってみる。
バスは百道浜の2車線道路を悠然と走るが、右折すれば福岡タワーという交差点で、さっそく福岡タワーが終点のバス達に取り囲まれるw
いわゆる福岡名物「バスの壁」というのは、天神や博多駅周辺では日常的に見られる光景だけれども、真っ昼間に同じような路線バスが4台も5台も雁行状態で見られる光景が、都市部のいたるところで繰り広げられている様を見ることができるのは、日本広しと言えどまあ福岡くらいなものだろう。
右折レーンをバスが取り囲んでいる様を、大型サイズでご覧いただきます。
※↑クリックで拡大します。
この百道浜から藤崎へ抜けるバスは、福岡ドームへの行きしなに都市高速を西公園ランプで流出して中央市民プール、福浜二丁目を過ぎて福岡ドームに差し掛かるところの川を渡る前後の宅地開発状況で開発年代が推定できるのと同様に、百道浜から藤崎へ南下する過程でも、開発された年代がおおよそ推定できる。即ち、「百道浜」は1980年代後半から1990年代にかけて開発された場所であるところに対し、「百道」「藤崎」一帯は、すでにその頃には開発を終えているエリアである。
藤崎でバスは交差点を右折して西進、室見を経て姪浜へ至るという、藤崎~姪浜間は地下鉄のルートとは若干の相違はあるけれど、ほぼ並行していると表現して差し支えないルートを走る。
とりあえずこのバスを姪浜駅北口で下車。どうやらこの辺りのバスは、同じ「姪浜」を名乗っても、駅前ターミナルである姪浜駅南口に入る系統とそうでない系統があるらしく、これが余計に余所者には理解しがたい状況になっているので、とりあえず「駅前」を名乗る場所で下車することにした。このあたり、いつでもどこでも降りられるのはフリーきっぷのよいところである。
姪浜は福岡市営地下鉄の終点で、マリーンズファンも福岡遠征で空路福岡入りした際や、唐人町経由で福岡ドームに足を運ぶ人にとってはおなじみの場所。姪浜から西はJR筑肥線が西唐津まで延びているが、この先は15分~60分ヘッドになる。
乗りつぶしに精を出すのであれば、姪浜から筑肥線の西唐津、そして伊万里までまるまる乗り残しているので、一瞬で伊万里まで攻めて帰りは昭和バスの「いまり号」で福岡まで戻るとか考え付くのだが、今日はフリーパスが手元にあるのでこのまま1番の天神行き(天神北止まり)で天神まで折り返す。
なにせ地下鉄は数多く乗っても、なかなかその真上をほぼ完全にトレースする路線バスに乗る機会などそうそうあるものではないし、そもそも総合交通体系を考えた交通政策を考えるのであれば、そんな路線を引いていること自体がある意味おかしいわけである。
他の都市をいろいろ見て行っても、地下鉄の路線と完全に並行して走っている路線バスはそうそう探しても見つかるものではない。地下鉄の起点と終点、或いは起終点とターミナル駅を結ぶバスはあるだろうが、もちろん大抵はバスと地下鉄とでは経由地を全く異にした設定をしているがゆえに両者が共存できるものであり、途中の天神までではあるが、地下鉄の真上をほぼ並行する路線としは、この1番バスが稀有な存在である。
バスはもと来た道を室見、藤崎バスターミナル前と戻り、西新、唐人町、大濠公園と地下鉄の真上をトレース。
大濠公園近くになると道路幅も3車線、4車線ほどになって広くなるが、荒戸1丁目で、バスは大きくて広い昭和通を外れて右へ進んで明治通りへ。
この通りが、もともと西鉄の福岡市内線貫線(かんせん)が走っていたところであり、1番バスはその代替系統という意味合いもあり、今でも市内電車の頃の名称であった「貫線」という名前が残っている。
…このあたり、一番前の左側に乗っていたのだから、様子を全部写真に撮っておけば良かったのだが、その発想がなかったのはなんでだろ…orz
バスは40分ほどをかけて天神の天神センタービル前にある13Bバス停に到着。バスはこの後天神交差点を左折して北進、すぐ北隣を東西に貫いている昭和通を越えた天神北バス停が終点になる。折り返しはおそらく、那の津口にある西鉄バスのプールを使うのだろう。
昼飯はラーメンでも…と思ったが、夜食もラーメンを食べる腹積もりであったため、2食ラーメンもどうかと思って自重。本当ならすぐにでも脂臭い店を目指して新天町辺りを右往左往したかったのだが、なんとなく新天町商店街入口にあったロッテリアに落ち着いてしまったのは、もはやロッテファンの悲しい性w
時計を見るともう14時30分前でいい時間。
天神のバスセンターでも見物して、ボチボチ久留米に移動しますかね。
まあ、慌てて移動しなくてもいいのだが、大荷物を持って久留米まで移動するのに、せっかくだから西鉄の特急8000系車両にご挨拶するのが礼儀というものだし、ラッシュにかかってはけんのんだ。
天神高速バスセンターへ通じる連絡通路から、渡辺通りを南へ一望してみる。
ここから久留米方面へ行くバスが出ていれば乗るのだけれど、真下から特急電車が30分で走るというのに、バスなんか走らせても意味はありませんわな(´・ω・`)
「久留米方面」という意味では、熊本行き「ひのくに号」で久留米インターで下車すれば確かに「久留米方面」には連れて行ってもらえるのだが、そこから路線バスかタクシーに乗り継ぐルートを選ぶ奴はそうそういるはずがないw
西鉄の大牟田行き特急は30分間隔。
次は15時ちょうど発の大牟田行き。発車まで20分もあるのにもう列が伸びているので並んで待つことにする。
その間に、新型3000系の小郡行き急行を一枚。
大牟田行き特急にライドオン。
筑後平野の真っ只中を久留米まで30分で突っ走る。
20分前から乗車位置に列が出来ているのを証明するかのように、特急車内はほぼ満席の乗車率。立ち客はいないけれどほぼ全ての座席が埋まっている。
この区間の西鉄電車に乗るのはまる9年ぶり。
前回の福岡ドームの項で少し触れたが、初遠征の2002年7月、佐賀競馬に遠征した後に佐賀競馬から西鉄久留米まで友の会バスに揺られ、特急電車で天神へ出てバスで福岡ドームまで駆けつけて土曜ナイターの応援を楽しんで以来で、下りの特急に乗ったとなると…多分久留米に住んでいた当時の1985年まで遡るのではないかと思うのだ。
いやあ…懐かしいねえ。
そうそう。2002年の福岡ドーム初遠征で、今のマリーンズの観戦仲間達と初めて出会ったのが、その前日の金曜日の6番ゲート前。当時はチケットがなかなか取れないということもあり、外野自由席のチケットが取れなかった時点で土日の観戦は諦めて佐賀競馬巡礼をして、翌日はフラフラと広島へ行こうというラフデッサンを描いていたので、土曜日の福岡ドームでの対ロッテ戦の観戦は全く予定外だったのだ。
で、外野自由席はなかったけれど、レフト側の外野指定席(当時のレフト側は通路より下が指定席、上段が自由席で、今のように「ビジターエリア」などという生易しい隔離地帯など存在しなかった)が売れ残っていたので、このチケットを手にごにょごにょさせていただいたのである。
そんな感慨にふけりながら、あっという間の30分で特急は久留米に到着。
2002年7月以来、9年ぶりの久留米でございます。
大牟田へ向けて走り去る特急8000系。
写真だと小さくてわかりづらいけれど、右奥にはおそらく甘木行きワンマンカーが滑り込むシーンも写っている。
さて、今宵の宿は、西鉄久留米駅東口ロータリーにある、岩田屋久留米店の上にあるハイネスホテル久留米にチェックイン。
確かオープンは1984年だか85年だったかで、岩田屋の新館と同時オープンだったはず。
当時は「えらい立派なシティホテルが出来たもんだ」と子供心ながらに思っていたのだが、時の流れは非情なもので、25年という時を経て、つくりは立派なのだが、今となっては宿泊客を集めるのに四苦八苦な様子。朝食バイキングつきでなんとまあ4800円。開業当初でももっと宿泊料はかかっていたはずであるが…。
まあ、安いので部屋の狭さもそれなりで、部屋はロータリー向きなので、行き交う西鉄電車を見ることができることはできるのだが、いかんせんビジネスホテルクラスの悲しいところで、ベッド横のソファに座っても外の景色は眺められず、見るには立って眼下の景色を覗き込むほかない。むう。
部屋で荷を解くと、今朝方というか未明に見た変な夢で起こされた疲れが一気に回ってきた。
本来なら落ち着いた後にすぐにでも外に出かけたかったが、小一時間ほどベッドに倒れこんだ。
テレビでは相変わらず原発がどうのこうの、放射能がどうのこうのという夕方の情報バラエティ番組が流れている。
…まあ、ここまでくれば原発だの放射能だのの影響は全くないし、節電や停電の必要もなければ、ガソリンも日用品も駅前の店に行けばいくらでも手に入る。ただし電池だけはどこも品薄だったようだけれど。
少々まどろんだ午後5時過ぎに行動再開。
日が落ちないうちに、かつて住んでいたエリアを歩くべく、31番の諏訪野町経由八女営業所行きのバスに乗り八軒屋で下車。
このあたりは1度、もう17年も前になる1994年2月にも一度歩いているので、この地を離れた1985年以来ということはないのだけれど、やhり記憶は風化の一途を辿るようである。
…こんなところだったっけなあ…(・・;)
どうも記憶と道幅が一致しなかったりなんだったり。
当時通っていた小学校は、桜が満開を迎えている。
関東じゃもはや、花見をしたら愛国なんとかとおっしゃる方々から非国民扱いされそうな勢いでもあった。まあ、やったけどねww石原都知事の言いつけを守らず上野公園でやってやったさww
地震が怖くて花見が出来るかバカヤロウ。
…って呟いたら、一緒にいた方が「地震が怖えから広域避難場所(上野公園)に来ているんじゃねえかバカヤロウ」と呟いて一本負け(´・ω・`)
小一時間ほど住んでいたエリアを歩き回り、国道3号と209号を東西に結ぶ上津バイパス沿いにある温浴施設上津天然温泉「遊心の湯」へ。
この温浴施設は最近出来たようで、この旅で「温泉」がまったく縁がないので、久留米で温浴施設を調べて探し出したのだ。
それにしてもここは、バスなどの公共交通機関ではなかなかいけない場所で、一番近いバス停は、西鉄バスのローカルバスである、西牟田経由羽犬塚行き55番バスの本山バス停だが本数がえらく少なく、或いは羽犬塚、船小屋方面行きの50番バスで野伏間下車が徒歩7分ほどと近いのだが、いかんせんバス停からここまで歩くのも面倒でかなわない。
というより、筑後地方のこの時期って、午後6時半を回っても日の明るさが残っているのね(・・;)
日本が東西に長い証拠を改めて見た次第。
日の明るさが残っているといっても、もちろんとうに日はとっぷり暮れていて、まだ空が若干青さを残しているというだけなのだが、関東なら完全に夜の帳の時間帯で、30分程度は日の長さに違いがあるんですなあ…。
本来ならここで風呂上りに一杯行きたい所だけれど、一杯は久留米の市街地に戻ってからやる予定なのでここは我慢。我慢。うう我慢←だったら飲めw
ちなみに、久留米滞在中のおかんの昼間の居場所は、どうやらこの温浴施設の近所らしいということは分かっていたのだが、電話一本入れてお呼ばれしたらそれはそれで面倒なのでやめておくw
帰りは帰りで、国道3号より209号に出る方が圧倒的に近いことは分かっているのだから、50番バスで西鉄久留米に出ればよかったのにと思うのだが、おそらく25年前には整備すらされていなかった上津バイパスを見たくなったのだろう。国道3号まで2キロ近くを歩いてしまった(´・ω・`)
上津バイパスと国道3号との交差点、上津荒木(こうだらき)で、八女から来た諏訪野町、市役所経由JR久留米行きにライドオンする頃にはもう夜もとっぷり暮れて、こっちもせっかく天然温泉に浸かったというのに帰りに余計に疲れるという暴挙(´・ω・`)
昔はこれくらい歩いただけではへばらかなったのに…。
ま、ある程度の疲れがあったほうが酒はおいしいでしょと都合よく解釈w
宿は西鉄久留米にあるのだが、バスはせっかくJR久留米駅行きなので、JR久留米駅まで乗りとおしてみる。
西鉄久留米とJR久留米は2キロ近く離れており、両ターミナルを移動するにはバスかタクシーということになるが、バスも頻発しており、わざわざタクシーに乗るほどの距離ではない。
久留米市内は両駅間のバス路線が再編され、知る限りでは西鉄久留米から大通りをまっすぐ行って縄手のJRのガードまでぶつかってJR久留米駅に向かう便ばかりだったのだが、いつの間にやら本町で右折して一本北隣の通りに入り、市役所を経由してJR久留米にいたる路線が半数以上を占めるようになった。今乗っている31番のバスも市役所を経由するバスである。
JR久留米へついてみると、今まで使用されていたバス乗り場は閉鎖されて完全にバスプールになっており、新しく駅前ロータリーが造成されてバスは全て駅前につけられるようになった。
帰りは佐賀駅バスセンターからやってきた、従来の荘島回りの西鉄久留米経由信愛女学院行きバスで、西鉄とJRの中間地点にある六ツ門で途中下車。
ここから西鉄久留米にいたるアーケードは、おいらの住んでいた80年代は井筒屋デパートやショッパーズプラザがあるなど隆盛を極めたものだったのだが…。
アーケードが真っ暗闇の森((((;゜Д゜)))))))
灯火が全くついていないアーケードで、まさか大震災発生時から節電しているわけでもないだろうが、普通アーケードの中は、夜でも多少の街灯が中を照らすというものなのに、灯火が全く何一つついておらず薄気味悪い。
そりゃあ、井筒屋デパートが閉店して地域の核を失った事情は理解できるし、久留米に限らず、ロードサイド店が反映して旧市街地がシャッター通りと化しているのは地方都市に例を待たないが、アーケードまで真っ暗だなんていくらなんでもやりすぎ。
つまりはそれほどの暗さですよ。
暗かった中に「らーめん」の灯火が見えた、六角堂公園そばの大栄ラーメンに逃げ込んでみたw
まずはもつで一杯。おつかれちゃーん。
クハ~。
ついでラーメン。
六ツ門から西鉄久留米まではものの距離ではないので、当然酔いざましがてら歩き。
西鉄久留米駅前自体は人の流れはそれなりにあり、地下道ではストリートミュージシャンがギターをかき鳴らす姿を、女子高生が膝を抱えて真っ正面からガン見していた(^^;)
こういうシーンはいいと思うわ。
いいと思うけど、兄ちゃん歌の声が音程から外れてるで(・・;)
でも、ヘタクソでもきっと気持ちで通じ合っているのかしら。兄ちゃんと女子高生。
かくて久留米の夜は更けていくのであった。
欲を言えば、もうちとワンデーパスを有効活用してもよかったかなあ。
本当だったら宮の陣の国道3号沿いにある、久留米ラーメンのお店に行ってみたかったし、もっといえば一杯やりに福岡まで出ていってもよかったとも思えるが、まあいいか(´・ω・`)
(※以下続きます)
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