最近、特に思う。
この騒動も、青波と猛牛が消えてなくなったことも、仙台に地元密着を謳う球団が出来たのも、全ては3年も昔の彼方の話でしかなくなってしまったのだろうか。
間違いなくあの日は、マリーンズの、パリーグの、プロ野球の存亡の危機だったというのに。
だって今、例えば6月13日の話をするとしますわね。
セリーグファンが、選手会がストライキを起こした日におめおめとイベントに出掛けていたにもかかわらず、6月13日の意味すら調べねえと分からないって公言するくらいだからなあ…。やはりセリーグファンにとっては、パリーグなどお荷物程度の認識でしかなかったのだろうか。いや、それはそれで仕方ないのかもしれない。所詮はセリーグにとって、パリーグはただの日本のマイナーリーグでしかないのだから。セリーグという名の勝ち馬に乗っているファンからすれば、無名の穴馬もいいところのパリーグファンの存在など、どうでもいいものだったに違いない。
今のマリンスタジアムの喧騒からすると、3年前、マリーンズが破滅の道へ向かって舵を切っていたのがにわかには信じがたいし、その雰囲気のかけらすらないだろう。マリンスタジアムには「フィールド・ウイングシート」という、野球観戦だけのためならこれ以上ない最高の席が設けられ、場内の雰囲気をMスプラッシュが盛りたててくれる。場内を歩けばいろんな食べ物が置いてあり、試合前に場内通路を一周するのが楽しみ…という人も相当な数に上るに違いない。
場外では場外で、球場正面には数々の出店が設けられ、お祭りムードが漂う。球場正面にはステージが設けられ各方面から多彩なゲストを呼んではライブを行ったり、試合後には選手を呼び出して歌わせたりと、とにかくあれやこれやのイベントが盛りだくさんで、決してファンを飽きさせることがない。
そしてそれらは全て、2004年以前にはほとんど存在しなかった。
そういった意味での営業努力は、このチームに関して言えば、2004年、ボビーが来日したのを境として、誰の目から見ても明らかに変わった。正直企画にあたり外れがあるのが玉に瑕だが、それとてやらぬよりは立ててファンのブーイングを一身に浴びた方が100倍マシ。それくらい、2004年以前の球場イベントというイベントは行われてこなかったのだ。
ファンから大ブーイングを浴びたイベントとして上げられるのは、やはり去年のファン感で呼び損なったAKB48の招聘だろう。正直なところ、こうしたイベントを、果たしてどのような層に向けてアピールしたいのかが全く理解できない企画が多数あるのもまた事実なのだが、やっているだけまだまだマシなのかも。それくらい矢継ぎ早にあの手この手のサービスを繰り出すのも、今のマリーンズの特徴である。
マリーンズの合併話が表面化してから、丁度3年。
あの頃中学3年生の多感な時期を過ごしていた青年は、道を踏み外していなければ、今年大学受験を目指す年に成長した。
3年という時がたてば、客層も変わるし、人付き合い、仕事、環境、全てが変わるのも珍しくない。それはなによりおいらがそうだから。
あんな悲しい思い出は、もうたくさんだ。
ただただ球界再編という時流に流されるだけで、何も抵抗することが出来なかったいらだち。
しかし、もし、合併反対運動に何かしら参加していたら、今頃マリーンズファンを続けることが出来ただろうか…とも思う。おそらく最後まで運動に与しなかったのは、自分の中で「見てはいけない裏の顔がある」という忌避の念が働いたのかも知れない。
これ以上潰れるだの合併だのという話は、聞きたくない。
あの時作ったミサンガは、今でも机の引き出しの中に眠っている。
出来ることなら、もう二度と、ミサンガを眠りから覚まして欲しくない。
あの時の話は、丁度一年前のエントリに詳しく書いておりますので、ご一読願えれば…と存じます。
マリーンズファンにとって、七夕とは、1998年、ジョニーの涙の奥に消えていったプリアムの一発、その翌年、東京ドームの歓喜と合わせて、なにかと浅からぬ因縁があるものです。
この騒動も、青波と猛牛が消えてなくなったことも、仙台に地元密着を謳う球団が出来たのも、全ては3年も昔の彼方の話でしかなくなってしまったのだろうか。
間違いなくあの日は、マリーンズの、パリーグの、プロ野球の存亡の危機だったというのに。
だって今、例えば6月13日の話をするとしますわね。
セリーグファンが、選手会がストライキを起こした日におめおめとイベントに出掛けていたにもかかわらず、6月13日の意味すら調べねえと分からないって公言するくらいだからなあ…。やはりセリーグファンにとっては、パリーグなどお荷物程度の認識でしかなかったのだろうか。いや、それはそれで仕方ないのかもしれない。所詮はセリーグにとって、パリーグはただの日本のマイナーリーグでしかないのだから。セリーグという名の勝ち馬に乗っているファンからすれば、無名の穴馬もいいところのパリーグファンの存在など、どうでもいいものだったに違いない。
今のマリンスタジアムの喧騒からすると、3年前、マリーンズが破滅の道へ向かって舵を切っていたのがにわかには信じがたいし、その雰囲気のかけらすらないだろう。マリンスタジアムには「フィールド・ウイングシート」という、野球観戦だけのためならこれ以上ない最高の席が設けられ、場内の雰囲気をMスプラッシュが盛りたててくれる。場内を歩けばいろんな食べ物が置いてあり、試合前に場内通路を一周するのが楽しみ…という人も相当な数に上るに違いない。
場外では場外で、球場正面には数々の出店が設けられ、お祭りムードが漂う。球場正面にはステージが設けられ各方面から多彩なゲストを呼んではライブを行ったり、試合後には選手を呼び出して歌わせたりと、とにかくあれやこれやのイベントが盛りだくさんで、決してファンを飽きさせることがない。
そしてそれらは全て、2004年以前にはほとんど存在しなかった。
そういった意味での営業努力は、このチームに関して言えば、2004年、ボビーが来日したのを境として、誰の目から見ても明らかに変わった。正直企画にあたり外れがあるのが玉に瑕だが、それとてやらぬよりは立ててファンのブーイングを一身に浴びた方が100倍マシ。それくらい、2004年以前の球場イベントというイベントは行われてこなかったのだ。
ファンから大ブーイングを浴びたイベントとして上げられるのは、やはり去年のファン感で呼び損なったAKB48の招聘だろう。正直なところ、こうしたイベントを、果たしてどのような層に向けてアピールしたいのかが全く理解できない企画が多数あるのもまた事実なのだが、やっているだけまだまだマシなのかも。それくらい矢継ぎ早にあの手この手のサービスを繰り出すのも、今のマリーンズの特徴である。
マリーンズの合併話が表面化してから、丁度3年。
あの頃中学3年生の多感な時期を過ごしていた青年は、道を踏み外していなければ、今年大学受験を目指す年に成長した。
3年という時がたてば、客層も変わるし、人付き合い、仕事、環境、全てが変わるのも珍しくない。それはなによりおいらがそうだから。
あんな悲しい思い出は、もうたくさんだ。
ただただ球界再編という時流に流されるだけで、何も抵抗することが出来なかったいらだち。
しかし、もし、合併反対運動に何かしら参加していたら、今頃マリーンズファンを続けることが出来ただろうか…とも思う。おそらく最後まで運動に与しなかったのは、自分の中で「見てはいけない裏の顔がある」という忌避の念が働いたのかも知れない。
これ以上潰れるだの合併だのという話は、聞きたくない。
あの時作ったミサンガは、今でも机の引き出しの中に眠っている。
出来ることなら、もう二度と、ミサンガを眠りから覚まして欲しくない。
あの時の話は、丁度一年前のエントリに詳しく書いておりますので、ご一読願えれば…と存じます。
マリーンズファンにとって、七夕とは、1998年、ジョニーの涙の奥に消えていったプリアムの一発、その翌年、東京ドームの歓喜と合わせて、なにかと浅からぬ因縁があるものです。
ベニーはだいじょうぶ?
orz
朝早くからご苦労様です。
頑張ってきて下さい。
左様でしたか。それは尚のことお疲れ様です…。
あたしも横須賀の帰りに結果を知って卒倒したクチですorz
>たこすけさん
確かに、いつまでも昔を引きづるのはよくないことですし、昔がよかったであろうはずがないのは百も承知です。
だからこそ、「あの日、こんなことがあった」と、こうした機会に語り継いでゆかなければ…という気持ちがあるのもまた事実です。
そして、「白いボールのファンタジー」を歌うことで全てを解決できると信じたあの日のことを。
いろいろなことを思い出したよ。ありがとう!
単独首位の東京ドーム。当時の職場の老人ホームから七夕飾りを失敬して、応援バナーとして活用した事。
ジョニーがプリアムに打たれた日。夜勤で職場にいた事が悔しくて、明けで新幹線で神戸に行った事(先発は薮田さんの試合)。
いろいろなことを思い出したよ。ありがとう!
うちの観戦仲間が日比谷のデモで知り合った近鉄応援団をライトスタンドに連れてきて、ずーっと話し込んでいたことを。
思い出すなあ…。
スタンドを写したスポニチの記事に涙したことを…。
事情さえ許せば、おいらも仕事をほったらかしにして神戸に行きたかったなあ…。
思い出すなあ…。
前年があるからこそ、七夕の日に首位に立ったことにものすごく意味があって、でも、それは七夕の一夜限りの壮大な夢だったことを…。