仕事でいいようにやられた時は、なにはともあれ「鉄分補給」が一番だろう…ということで、今週末のおいらの鉄分補給などをネタにしてみる。
金曜日夜。
神田駅で山手線内回りを待っていたら、お隣中央線に、201系の東京行きがやって来たので、なんとなくフラフラと5番線に移動。なんとなく乗っちゃう(笑)。
中央線の201系は、高架化工事により編成が足りなくなるため、E233系化が推し進められてもなお、2編成が残されていたのだけれど、高架化工事の進捗により、201系は今年の夏までに姿を消すことが決定しており、そのうちの1編成については、商魂たくましいJR東日本のこと、6月20日に松本まで201系に乗って行くというツアーを組んだ後に、そのままおそらく長野まで廃車回送されるという、廃車回送の行路までツアー客に惜しげもなく使い倒そうという、実に涙ぐましいツアーが用意されている。
ソースはJR東日本八王子支社HPから(※PDFファイルです)
っつーか、201系で松本までって、どんな修行の旅やねん。
途中でトイレ休憩くらいはあるだろうけれど、まだまだ中央東線を闊歩している115系に比べたら、ロングシートだし、トイレはついてないから水分補給も控えざるを得ないだろうし、ましてや201系といえど、大月を過ぎればなかなか見ない光景で、1年に1回だけ、諏訪湖の花火大会の臨時列車用で201系が駆り出されることはあるのだけれど、それだって1年に1回限りだし諏訪湖周辺だし、201系で松本まで…というのも、カネを払ってまではいかがなものかとは思う(笑)。
というわけで、そんな201系。
201系といえば、数を減らしながらも京葉線にも走っているけれど、もうそろそろ撮っておく準備はしておいた方がいいのかな?
京葉線にもE233系が投入されるというアナウンスはすでにされているんで…。
そんな201系にも、30周年をお祝いするささやかなステッカーが施されております。
そういえば職場で、「そういえば小馬さん、中央線に新しい電車(E233系)と古い電車(201系)が走ってるじゃないですか。やっぱり小馬さん的には古い方がいいんですか?」と言われ、即座に「そりゃあ…ね」と答えたことがあったけれど、それも今だから言える話で、10年くらい前なんてそりゃもう酷くって、おそらくそんな話を振られたら、京浜東北線の209系がE233系に替わるのを喜んだのと一緒で、「とっとと新しい車両にしてくれねえかなあ…」と答えたことだろう。
10年前の中央快速線といえば、今でもそうだけれど、何かと言っては人身事故だとかで止まるケースが多々あって、元々事故で止まるのが多い路線ではあるのだけれど、人身事故だけではなく、車両トラブルで運転見合わせが発生する事も多々あり、新聞は元より、鉄道雑誌の投稿欄にまで手ひどく叩かれたことがある。
これは中央線に限らず、当時各路線を走っていた国鉄形車両にはたいがい当てはまってしまうのだけれど、車両のメンテナンスがまあ酷いこと。
塗装がベロッと剥がれてボコボコになっている車両などは当たり前で、方向幕などが全車しっかり表示されているのが当たり前のはずなのに、故障で編成中の一車両だけが白幕で行き先が非表示のままだったり、方向幕内部の蛍光灯が切れているケースも珍しくはなかった。編成中の一両だけが方向幕が作動しない…というケースは、なぜか編成両端の車両の側面方向幕が多かったのはなぜだろう…?
そう考えると、「この電車の塗装が酷いなあ…」と思いつつ電車に乗ることもなくなったということは、それだけ国鉄形車両に出会うケースも少なくなってきているということである。
房総地区の113系も、カウントダウンが始まってますしねえ…。
房総地区と言えば、両国からの新聞輸送列車も廃止になるんですな。
内房は館山道があるからいいとして、外房地域の新聞輸送はどうするんだろう…?
さて、201系を思わず撮影してしまった後、上野駅へ出ると、ちょうど折良く、今週12日で廃止になる「北陸」と、定期運行を終える「能登」の惜別グッズが、地平ホームの広場で売られていたので、ちょいと顔を出してみることに。
NRE(日本レストランエンタプライズ)のイベントで、お別れイベントが行われるごとに、惜別の各グッズやお弁当などを展開しては、ファンからガッポリカネを取る、実に手堅い商売を繰り広げております。
そんなわけで。
北陸方面は、どちらかというと思い出よりは苦い思い出しかないんですが(泣)、あたくしもものの見事にNREの毒牙に引っかかってしまいました。
ミニヘッドマークとケータイストラップで、しめて2300円。
北陸号は1回しか乗ったことがない。マリーンズ北陸遠征時の帰りに、たこすけさんと富山から乗り込んだ1度きり。
たこすけさんが寝台で飲もうと日本酒を持ち込んだのだけれど、生憎その頃から日本酒を受け付けない体質になっていたのと、夜勤明けでそのまま北陸遠征という超強行軍だったため、寝台で横になったら即座にダウン、黒部あたりまでは車内放送を聞いたような気がするのだが、その先はもう高崎まで覚えていないくらいの爆睡。
そりゃあ…ねえ。
夜勤明けでそのまま東京→長岡→(北越号)→金沢→石川県立野球場到着と同時に堀様1500本安打達成のアナウンス→雨が止まない→その後の焼肉屋でかなり出来上がり→ホテル投宿が午前様→翌日頭痛い→バファリンを買ってそのまま富山→試合後に岩瀬浜の寿司屋に20人くらいで突撃→帰りの列車が「能登」か「北陸」しかなくなっちゃいました→じゃあ「北陸」で帰ろうや→シボンヌ
こんな予定、今じゃ身体が許しても気力が許さないorz
まあ、「北陸」は廃止だけれど、「能登」は多客臨として、とりあえず初夏までは車両を替えて残ることが決まっているから、「能登」に乗ること自体は、別に今度でもいいのかな。ボンネット型特急車両という希少性がネタになっているわけだし。
続く土曜日。
ついフラフラと松戸競輪場にでかけて、松戸ダービーの準決勝3個レースを観戦。
村上兄弟が揃って勝ち上がって、「こりゃ明日は村上兄弟から入れるかな」とか思っていたら、本当に弟→兄のワンツーで決まって良かったねえ…。
3着にもヤマコウが入ったから、別線とはいっても事実上は現地集合の4車ラインだったのね。直線ではしっかり慎平が他のラインを牽制してたし(笑)。
こーゆーレースがまだまだ見られるってーのは、競輪もまだまだ捨てたもんじゃないですな。
ちなみにG1レース決勝での兄弟ワンツーは、実に1976年の前橋(旧、今のドーム競輪場の道を挟んだ反対側にあった)オールスターでの藤巻昇・清兄弟以来の記録だそうで。おめでとうございます。
そんな松戸競輪で、ヤマコウから流して伏見→ヤマコウで24倍の車券を取らせて貰って万々歳。
松戸競輪でヤマコウといえば、あたしゃ4年前にこんな目に遭っておりまして。
2006年7月25日付「♪さ~んさ~ん 栄光の~ さ~んさ~ん 鐘が鳴る~♪」
4年ごしに当時の敵をうつことができたぜ。ありがとうヤマコウ。
車券は都合1勝2敗だったものの、的中がモノを言って車券収支自体はプラスで出所。
そのまま帰るには北松戸から代々木上原方面行き電車に乗ればよいが、少々機嫌がよくなったので、すこ~し足を伸ばしてみることに。
北松戸~我孫子~土浦~つくばセンター~流山おおたかの森~船橋。
常磐線に乗ったらば、我孫子で下車して、弥生軒の「唐揚げそば」を食らうのが男。
ちょうど次の土浦行きまで15分待ちだから、待ち時間にそばを食べるにはもってこいの時間。
満腹になった後、勝田行きで土浦へ。
土浦では悦楽を買わずに靴を買い(笑泣)、バスでつくばセンターへ出て、たまにはつくばエクスプレスにでも乗ってみよう…という算段。
そこで乗ったバスなんですがね…。
床が板で出来たバスだったからつい嬉しくなっちゃった。
↑※クリックで拡大します。
バスの後ろが三方シートってーのも懐かしや…。
こんな形をした車内灯も懐かしくなってついつい一枚。
この辺りまで来ると、東京など1都3県の排ガス規制の対象外の地域になるから、都心や地元千葉でもおいそれとは見つけられなくなった、ツーステップのバスが未だに現役バリバリなのは嬉しいねえ…。おいらがのったバスのすぐ隣にいた、阿見町行きのJRバス関東のクルマなんて、1995年式がいたからねえ…。
思えばおいらも年を食ったもので、1995年式でも使い倒せるギリギリの年数になったことを考えると、ちょいとシュンとしたりして。
開業以来のつくばからのTXで、相変わらずきびきび走るところが嬉しくなったり、トンネルに入って耳が痛くなったのは、きっと仕事疲れが残っているからだと思ったり。
流山おおたかの森で下車して、隣接する大型商業施設を見て回り、ここで洋服を買ってみようと思うお店を一軒見つけてみたり。
なかなか収穫が多い、鉄分補給の週末でございました。
金曜日夜。
神田駅で山手線内回りを待っていたら、お隣中央線に、201系の東京行きがやって来たので、なんとなくフラフラと5番線に移動。なんとなく乗っちゃう(笑)。
中央線の201系は、高架化工事により編成が足りなくなるため、E233系化が推し進められてもなお、2編成が残されていたのだけれど、高架化工事の進捗により、201系は今年の夏までに姿を消すことが決定しており、そのうちの1編成については、商魂たくましいJR東日本のこと、6月20日に松本まで201系に乗って行くというツアーを組んだ後に、そのままおそらく長野まで廃車回送されるという、廃車回送の行路までツアー客に惜しげもなく使い倒そうという、実に涙ぐましいツアーが用意されている。
ソースはJR東日本八王子支社HPから(※PDFファイルです)
っつーか、201系で松本までって、どんな修行の旅やねん。
途中でトイレ休憩くらいはあるだろうけれど、まだまだ中央東線を闊歩している115系に比べたら、ロングシートだし、トイレはついてないから水分補給も控えざるを得ないだろうし、ましてや201系といえど、大月を過ぎればなかなか見ない光景で、1年に1回だけ、諏訪湖の花火大会の臨時列車用で201系が駆り出されることはあるのだけれど、それだって1年に1回限りだし諏訪湖周辺だし、201系で松本まで…というのも、カネを払ってまではいかがなものかとは思う(笑)。
というわけで、そんな201系。
201系といえば、数を減らしながらも京葉線にも走っているけれど、もうそろそろ撮っておく準備はしておいた方がいいのかな?
京葉線にもE233系が投入されるというアナウンスはすでにされているんで…。
そんな201系にも、30周年をお祝いするささやかなステッカーが施されております。
そういえば職場で、「そういえば小馬さん、中央線に新しい電車(E233系)と古い電車(201系)が走ってるじゃないですか。やっぱり小馬さん的には古い方がいいんですか?」と言われ、即座に「そりゃあ…ね」と答えたことがあったけれど、それも今だから言える話で、10年くらい前なんてそりゃもう酷くって、おそらくそんな話を振られたら、京浜東北線の209系がE233系に替わるのを喜んだのと一緒で、「とっとと新しい車両にしてくれねえかなあ…」と答えたことだろう。
10年前の中央快速線といえば、今でもそうだけれど、何かと言っては人身事故だとかで止まるケースが多々あって、元々事故で止まるのが多い路線ではあるのだけれど、人身事故だけではなく、車両トラブルで運転見合わせが発生する事も多々あり、新聞は元より、鉄道雑誌の投稿欄にまで手ひどく叩かれたことがある。
これは中央線に限らず、当時各路線を走っていた国鉄形車両にはたいがい当てはまってしまうのだけれど、車両のメンテナンスがまあ酷いこと。
塗装がベロッと剥がれてボコボコになっている車両などは当たり前で、方向幕などが全車しっかり表示されているのが当たり前のはずなのに、故障で編成中の一車両だけが白幕で行き先が非表示のままだったり、方向幕内部の蛍光灯が切れているケースも珍しくはなかった。編成中の一両だけが方向幕が作動しない…というケースは、なぜか編成両端の車両の側面方向幕が多かったのはなぜだろう…?
そう考えると、「この電車の塗装が酷いなあ…」と思いつつ電車に乗ることもなくなったということは、それだけ国鉄形車両に出会うケースも少なくなってきているということである。
房総地区の113系も、カウントダウンが始まってますしねえ…。
房総地区と言えば、両国からの新聞輸送列車も廃止になるんですな。
内房は館山道があるからいいとして、外房地域の新聞輸送はどうするんだろう…?
さて、201系を思わず撮影してしまった後、上野駅へ出ると、ちょうど折良く、今週12日で廃止になる「北陸」と、定期運行を終える「能登」の惜別グッズが、地平ホームの広場で売られていたので、ちょいと顔を出してみることに。
NRE(日本レストランエンタプライズ)のイベントで、お別れイベントが行われるごとに、惜別の各グッズやお弁当などを展開しては、ファンからガッポリカネを取る、実に手堅い商売を繰り広げております。
そんなわけで。
北陸方面は、どちらかというと思い出よりは苦い思い出しかないんですが(泣)、あたくしもものの見事にNREの毒牙に引っかかってしまいました。
ミニヘッドマークとケータイストラップで、しめて2300円。
北陸号は1回しか乗ったことがない。マリーンズ北陸遠征時の帰りに、たこすけさんと富山から乗り込んだ1度きり。
たこすけさんが寝台で飲もうと日本酒を持ち込んだのだけれど、生憎その頃から日本酒を受け付けない体質になっていたのと、夜勤明けでそのまま北陸遠征という超強行軍だったため、寝台で横になったら即座にダウン、黒部あたりまでは車内放送を聞いたような気がするのだが、その先はもう高崎まで覚えていないくらいの爆睡。
そりゃあ…ねえ。
夜勤明けでそのまま東京→長岡→(北越号)→金沢→石川県立野球場到着と同時に堀様1500本安打達成のアナウンス→雨が止まない→その後の焼肉屋でかなり出来上がり→ホテル投宿が午前様→翌日頭痛い→バファリンを買ってそのまま富山→試合後に岩瀬浜の寿司屋に20人くらいで突撃→帰りの列車が「能登」か「北陸」しかなくなっちゃいました→じゃあ「北陸」で帰ろうや→シボンヌ
こんな予定、今じゃ身体が許しても気力が許さないorz
まあ、「北陸」は廃止だけれど、「能登」は多客臨として、とりあえず初夏までは車両を替えて残ることが決まっているから、「能登」に乗ること自体は、別に今度でもいいのかな。ボンネット型特急車両という希少性がネタになっているわけだし。
続く土曜日。
ついフラフラと松戸競輪場にでかけて、松戸ダービーの準決勝3個レースを観戦。
村上兄弟が揃って勝ち上がって、「こりゃ明日は村上兄弟から入れるかな」とか思っていたら、本当に弟→兄のワンツーで決まって良かったねえ…。
3着にもヤマコウが入ったから、別線とはいっても事実上は現地集合の4車ラインだったのね。直線ではしっかり慎平が他のラインを牽制してたし(笑)。
こーゆーレースがまだまだ見られるってーのは、競輪もまだまだ捨てたもんじゃないですな。
ちなみにG1レース決勝での兄弟ワンツーは、実に1976年の前橋(旧、今のドーム競輪場の道を挟んだ反対側にあった)オールスターでの藤巻昇・清兄弟以来の記録だそうで。おめでとうございます。
そんな松戸競輪で、ヤマコウから流して伏見→ヤマコウで24倍の車券を取らせて貰って万々歳。
松戸競輪でヤマコウといえば、あたしゃ4年前にこんな目に遭っておりまして。
2006年7月25日付「♪さ~んさ~ん 栄光の~ さ~んさ~ん 鐘が鳴る~♪」
4年ごしに当時の敵をうつことができたぜ。ありがとうヤマコウ。
車券は都合1勝2敗だったものの、的中がモノを言って車券収支自体はプラスで出所。
そのまま帰るには北松戸から代々木上原方面行き電車に乗ればよいが、少々機嫌がよくなったので、すこ~し足を伸ばしてみることに。
北松戸~我孫子~土浦~つくばセンター~流山おおたかの森~船橋。
常磐線に乗ったらば、我孫子で下車して、弥生軒の「唐揚げそば」を食らうのが男。
ちょうど次の土浦行きまで15分待ちだから、待ち時間にそばを食べるにはもってこいの時間。
満腹になった後、勝田行きで土浦へ。
土浦では悦楽を買わずに靴を買い(笑泣)、バスでつくばセンターへ出て、たまにはつくばエクスプレスにでも乗ってみよう…という算段。
そこで乗ったバスなんですがね…。
床が板で出来たバスだったからつい嬉しくなっちゃった。
↑※クリックで拡大します。
バスの後ろが三方シートってーのも懐かしや…。
こんな形をした車内灯も懐かしくなってついつい一枚。
この辺りまで来ると、東京など1都3県の排ガス規制の対象外の地域になるから、都心や地元千葉でもおいそれとは見つけられなくなった、ツーステップのバスが未だに現役バリバリなのは嬉しいねえ…。おいらがのったバスのすぐ隣にいた、阿見町行きのJRバス関東のクルマなんて、1995年式がいたからねえ…。
思えばおいらも年を食ったもので、1995年式でも使い倒せるギリギリの年数になったことを考えると、ちょいとシュンとしたりして。
開業以来のつくばからのTXで、相変わらずきびきび走るところが嬉しくなったり、トンネルに入って耳が痛くなったのは、きっと仕事疲れが残っているからだと思ったり。
流山おおたかの森で下車して、隣接する大型商業施設を見て回り、ここで洋服を買ってみようと思うお店を一軒見つけてみたり。
なかなか収穫が多い、鉄分補給の週末でございました。
銚子電鉄は、伊予鉄から車両を買って更新するようですね。
どうやらもうそろそろ、古い車両ともお別れするときが近づいているようですよ。
銚子電鉄の全駅訪問は、意外と難易度が高いですね。時間の割に列車がなくって…。
歩きを駆使すれば出来そうですが。
銚子電鉄の吊り掛け電車も廃車なんて話を聞きましたが、あのレトロ電車だけは残してもらいたいものです。
今度は、『銚子電鉄全駅訪問』なんていかがですか(因みにオイラ今年の一月にやっています)。