檻ッ鉄の中の人が、まさかここまで本気だったとは思いませんでした。
ロッテ集中打で4点、オリックス下す(読売新聞) - goo ニュース
[ニッカン式スコア]
○ ナタリー 2勝1敗
S 破った 1敗5S
● 奥中山高原 4敗
土曜日からの2連戦は、グリーンスタジアム神戸改めほっともっとフィールド神戸での、阪急ブレーブス復刻イベント。
元々が合併球団ということもあり、関係するチーム関係者やファンのアレルギーも未だ根強いものがあるだけに、昨今流行りの復刻イベントには慎重な姿勢だったと思うのだが、大多数のファンが体験しておらず、体験した向きがあったとしてもかなり高齢者の部類に入る、1970年代の在阪球団に着目。70年代の阪急ブレーブスは一時代を築き上げただけに、復刻イベントを行うならおそらくは落とし所はここ…という、檻ッ鉄ならではの思惑もあっただろう。
1970年代の阪急と近鉄。
これをそのまま復刻できるのは、バファローズだけ。
このイベントに向けては、シーズンが始まる前から球団は様々な呼びかけを行っており、ツイッター上でも「中の人」がシーズン前から「この日は阪急ブレーブスを意識した演出を行います。お楽しみに!」と散々触れて回る気合の入れよう。数日前には同じくツイッター上で、ロッテファンに対し、「もし当日、ロッテオリオンズ時代のユニフォームなどをお持ちの方がいらっしゃったらご持参いただいて、往年の阪急ロッテ戦の雰囲気を作り上げていただければ…」という協力のお願いのツイートまで出る始末。
そして当日。
檻ッ鉄は本気でした(泣)。本気と書いてマジ(ry
Bs vs M スタメン 2011/05/07 阪急ユニ復刻試合
さすがにロッテ応援団は、映像にもある通り、スタメン発表とラッキー7以外はほぼ通常営業の様子だったけれど、檻ッ鉄応援団は雰囲気も当時をなるべくそのままに、1~3回、7~8回は阪急時代の応援歌を演奏する徹底したオールディーズ。
スコアボードは「ロッテ対阪急」。
場内演出も凝りに凝り、当時の球場演出の華でもあったオルガン演奏で選手入場曲を演奏、リンクを貼った上の映像にもある通り、スタメン発表では「ビバ!オリオンズ」、ラッキー7ではロッテ親衛隊を流すという、これでもかこれでもかとばかりの凝りよう。
元々檻ッ鉄も、こうしたイベントの時には、ホークスのオールディーズナイトの時には「南海ホークスの歌」を流してファンを狂喜乱舞させたことがある球団。
南海ホークスの歌(京セラドーム)
こうした徹底した凝りようは、阪急ブレーブスでプロ野球を知り、千葉ロッテマリーンズでパリーグを知ったおいらには、もう嬉しすぎて嬉しすぎて…。
選手応援歌で確認できたのはこれだけ。
他の選手の応援歌も聞いたことがあるのだけれど、記憶があいまいでどの曲が誰の応援歌だったのか、思い出せないのは残念無念。
坂口→たぶん福本
バルディリス→ブーマー
T-岡田→藤井
伊藤・前田→藤田
後藤→松永
森山→阪急汎用
阪急ブレーブスが突如オリックスに売り飛ばされてから23年。
まさか生きてもう一度、球場で阪急ブレーブスを拝むことができるとは、思ってもいなかった。
おいらが知っている阪急ブレーブスは80年代中盤で、西宮球場といえばアストロビジョンとブレービー、そして試合開始1時間前に阪急特急に掲げられたブレービーの看板と特急の方向板の2枚看板。これらで1セットなので、さすがに当時をしのぶものは残ってはいないし、球場も阪急西宮ガーデンズに姿を変え、当時を知るにはミュージアムへ行くしかない。
けれど、23年が経過して、阪急西宮ギャラリーという「帰る場所」が出来たり、70年代の演出とはいえ阪急ブレーブスが復刻されることで、心の奥底にしまいこんでいた思い出の扉を、再びおおっぴらに開けることができるようになったのは、思えば幸せなことなのだ。
このエントリを書き上げている頃、神戸はもう開場時刻を迎えていることだろう。
もし神戸へお越しの方で、もう少し当時の西宮球場の雰囲気を肌で感じたいとおっしゃる方がいらっしゃれば、帰りの地下鉄を三宮で阪急電車に乗り継いでいただいて、西宮北口で途中下車し、ギャラリーにお立ち寄りいただければ、より当時の雰囲気を味わいつくすことができると思います。
参考エントリ:2009年8月21日付「大人の修学旅行~待ってろ甲子園 しょの2」
ごめんなさい。
せっかく岡田の当たりを岡田がフェンス際でスーパーキャッチするというめでたい試合だったのに、ロッテと阪急の回顧話ばかり書いちゃってごめんなさい。
こんな昔話、若い方は苦手ですよね…(´・ω・`)
そうか。
あれから23年が経ったのか。そりゃあ当時生まれた子供たちが、もう社会人になっている年齢になるんだから、そりゃあ俺も歳を取るわけだよなあ…(:_;)
ロッテ集中打で4点、オリックス下す(読売新聞) - goo ニュース
ロッテ5―3オリックス(パ・リーグ=7日)――ロッテは1―1で迎えた五回、敵失と井口、金泰均の連続適時打で4点を勝ち越し、継投で逃げ切った。
薮田は5セーブ目。
オリックス先発の中山は開幕4連敗。
[ニッカン式スコア]
○ ナタリー 2勝1敗
S 破った 1敗5S
● 奥中山高原 4敗
土曜日からの2連戦は、グリーンスタジアム神戸改めほっともっとフィールド神戸での、阪急ブレーブス復刻イベント。
元々が合併球団ということもあり、関係するチーム関係者やファンのアレルギーも未だ根強いものがあるだけに、昨今流行りの復刻イベントには慎重な姿勢だったと思うのだが、大多数のファンが体験しておらず、体験した向きがあったとしてもかなり高齢者の部類に入る、1970年代の在阪球団に着目。70年代の阪急ブレーブスは一時代を築き上げただけに、復刻イベントを行うならおそらくは落とし所はここ…という、檻ッ鉄ならではの思惑もあっただろう。
1970年代の阪急と近鉄。
これをそのまま復刻できるのは、バファローズだけ。
このイベントに向けては、シーズンが始まる前から球団は様々な呼びかけを行っており、ツイッター上でも「中の人」がシーズン前から「この日は阪急ブレーブスを意識した演出を行います。お楽しみに!」と散々触れて回る気合の入れよう。数日前には同じくツイッター上で、ロッテファンに対し、「もし当日、ロッテオリオンズ時代のユニフォームなどをお持ちの方がいらっしゃったらご持参いただいて、往年の阪急ロッテ戦の雰囲気を作り上げていただければ…」という協力のお願いのツイートまで出る始末。
そして当日。
檻ッ鉄は本気でした(泣)。
Bs vs M スタメン 2011/05/07 阪急ユニ復刻試合
さすがにロッテ応援団は、映像にもある通り、スタメン発表とラッキー7以外はほぼ通常営業の様子だったけれど、檻ッ鉄応援団は雰囲気も当時をなるべくそのままに、1~3回、7~8回は阪急時代の応援歌を演奏する徹底したオールディーズ。
スコアボードは「ロッテ対阪急」。
場内演出も凝りに凝り、当時の球場演出の華でもあったオルガン演奏で選手入場曲を演奏、リンクを貼った上の映像にもある通り、スタメン発表では「ビバ!オリオンズ」、ラッキー7ではロッテ親衛隊を流すという、これでもかこれでもかとばかりの凝りよう。
元々檻ッ鉄も、こうしたイベントの時には、ホークスのオールディーズナイトの時には「南海ホークスの歌」を流してファンを狂喜乱舞させたことがある球団。
南海ホークスの歌(京セラドーム)
こうした徹底した凝りようは、阪急ブレーブスでプロ野球を知り、千葉ロッテマリーンズでパリーグを知ったおいらには、もう嬉しすぎて嬉しすぎて…。
選手応援歌で確認できたのはこれだけ。
他の選手の応援歌も聞いたことがあるのだけれど、記憶があいまいでどの曲が誰の応援歌だったのか、思い出せないのは残念無念。
坂口→たぶん福本
バルディリス→ブーマー
T-岡田→藤井
伊藤・前田→藤田
後藤→松永
森山→阪急汎用
阪急ブレーブスが突如オリックスに売り飛ばされてから23年。
まさか生きてもう一度、球場で阪急ブレーブスを拝むことができるとは、思ってもいなかった。
おいらが知っている阪急ブレーブスは80年代中盤で、西宮球場といえばアストロビジョンとブレービー、そして試合開始1時間前に阪急特急に掲げられたブレービーの看板と特急の方向板の2枚看板。これらで1セットなので、さすがに当時をしのぶものは残ってはいないし、球場も阪急西宮ガーデンズに姿を変え、当時を知るにはミュージアムへ行くしかない。
けれど、23年が経過して、阪急西宮ギャラリーという「帰る場所」が出来たり、70年代の演出とはいえ阪急ブレーブスが復刻されることで、心の奥底にしまいこんでいた思い出の扉を、再びおおっぴらに開けることができるようになったのは、思えば幸せなことなのだ。
このエントリを書き上げている頃、神戸はもう開場時刻を迎えていることだろう。
もし神戸へお越しの方で、もう少し当時の西宮球場の雰囲気を肌で感じたいとおっしゃる方がいらっしゃれば、帰りの地下鉄を三宮で阪急電車に乗り継いでいただいて、西宮北口で途中下車し、ギャラリーにお立ち寄りいただければ、より当時の雰囲気を味わいつくすことができると思います。
参考エントリ:2009年8月21日付「大人の修学旅行~待ってろ甲子園 しょの2」
ごめんなさい。
せっかく岡田の当たりを岡田がフェンス際でスーパーキャッチするというめでたい試合だったのに、ロッテと阪急の回顧話ばかり書いちゃってごめんなさい。
こんな昔話、若い方は苦手ですよね…(´・ω・`)
そうか。
あれから23年が経ったのか。そりゃあ当時生まれた子供たちが、もう社会人になっている年齢になるんだから、そりゃあ俺も歳を取るわけだよなあ…(:_;)
今、練習中の選手が金網越しのおにゃのこに声をかけるなんてことがあれば、そりゃもうネットで(ry
そういえば、堀様引退セレモニーの最中、90年代当時の誰もいないマリンのレフトスタンドが映し出されてるたびに、スタンドが大きくどよめいていました。
あの頃はもう、過去なんですね…。
世界の盗塁王が、そんじょそこらの小娘に声をかけてくれる時代、今じゃ想像できないかもしれませんね。
パ・リーグも人気が出てきて、良かったと思う反面、そんな時代も懐かしく思い出すのでした。