小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

結局はこうなったわけですが

2006-03-31 16:34:16 | Weblog
民主執行部が総退陣 永田議員も辞職 (朝日新聞) - goo ニュース
 
民主党の前原誠司代表は31日、永田寿康衆院議員(民主党の党員資格停止中)が引き起こした送金メール問題で混乱を招いた責任をとって代表を辞任する意向を固め、党幹部に伝えた。メール問題の収拾が長引き、国民の支持の低落に歯止めがかからないことから、自らの辞任で幕引きを図る狙いだ。鳩山由紀夫幹事長ら執行部も総退陣する。同党は同日午後、メール問題に関する党の調査結果を公表する。

 また、党内からも辞職を求める声が高まっていた永田氏について、鳩山幹事長は31日午後開かれた党役員会で「永田氏は議員を辞職する」と報告した。

 役員会では、前原氏の後任を選ぶ代表選挙は党員選挙を行わず、来週中に党所属の衆参国会議員による両院議員総会を開いて新代表を選出することを決めた。後継代表の任期については「(前原代表の残り任期の)9月までの暫定にすべきだ」(渡部恒三国対委員長)などの声が出ている。

 一方、同党が同日午後に公表するメール問題の調査結果では、永田氏が衆院予算委員会で質問した時点で送金に使われたとされる銀行口座の番号を知っているかのように誇張して党幹部らに説明していたことなどが記される。これを受けて、鳩山幹事長は同日午前、永田氏と都内で会い、自発的な辞職を求めた。

 一方、前原氏は渡部国対委員長に「自ら責任を取る」と説明した。

 後任には、昨年の代表選で前原氏と争った菅直人元代表や小沢一郎前副代表らの名前が挙がっている。

 前原氏は昨年9月、衆院選で大敗した責任で辞任した岡田克也氏の後を受け、代表に就任。結党以来初めての40代の代表で、「党の再生」に向けて対案路線を掲げた。

 しかし、「脱労働組合依存」や中国の軍事力を「現実的脅威」と指摘するなど、党内の合意を得ない発言が反発を招いていた。今年2月には、永田氏によるメール問題の対応が後手に回ったことにより、党内の求心力を失っていた。


やっと永田センセイも議員辞職ですか。
正直なところ遅きに失した感がするが、やっと責任を取る気になったかということで。
だいたいこのメール問題にしろ、○しざわたか○(←○には皆さんのお好きな文字を入れて名前を完成させて下さいw)という人物が、週刊ポストで清原のガセ記事を書いて損害賠償沙汰になった札付きのブラックジャーナリストだということなど、一般市民の我々でさえもネットがあればたやすく仕入れることが出来た情報だっただけに、なぜ永田センセイや民主党執行部が、こうした情報を仕入れることが出来なかったのかということが疑問でならない。メールを持ち込んだ人物がああいう人物であるということは、ただでさえ日本の中枢の永田町、ちょっと調べればたちどころにわかったはずではないのか。戦争になぞらえれば、まさしく情報戦で負けるべくして負けたと言わざるを得ないのである。即ち危機管理体制の欠如という指摘に行き着くわけだが、情報戦で負けるとは、旧日本軍の戦時体制レベルである。

永田センセイにはこれを機に隠居してもらおう。永田センセイに期待して一票を投じてしまった我々がおバカだったということで、間違っても今度の衆議院選挙に出馬しようなどとは思わないで頂きたい。それだけ日本国中から八千代市民の良識が疑われたのだから、それくらいは甘んじて受けてもらいたい。

しかし、どこへいくのかね。民主党。



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2 コメント

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永田議員も議員辞職 (Bitcafe)
2006-04-01 00:37:33
やっとという感じですが、民主党の永田議員が議員辞職をするようです。



官僚上がりの世間知らずというか、井の中の蛙というか出処進退を誤ると惨めになるという見本のような人です。



さらに輪をかけて出処進退を誤ったのが前原代表という事になるのでしょう



指導力のなさといい、決断力のなさといい、上に立つ人ではないですね。

結果として執行部は総辞職ってことでしょう。

自分勝手にやって自分だけ不幸になるのは構わないけれど、周りも不幸になってしまうのですよね・・・・



自分だけの考えで進むのも悪くはないかも知れませんが、行き詰まったときに相談できる先輩が居ないというのは寂しいものです。

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いらっしゃいませ (小馬太郎兵衛)
2006-04-01 19:21:05
>Bitcafe様

全ては初動体制ということに尽きると思います。

一般市民でさえ、あのメールの出所は怪しいんだという情報ぐらい、すぐに手に入ったのですから、永田町に動きがなかったはずがありません。

まさしく「出処進退を間違えた」の一言で片づけられるでしょう。

前原も、永田センセイが最初に辞意を漏らした時に止めていなければ、自ら引責辞任をする必要もなかったでしょうに…。
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